第8章:「定山渓の紅葉」
10月中旬、秋の深まりを感じさせる季節。葵と瑠璃は、定山渓の紅葉狩りに出かけることにした。バスに揺られること約1時間、二人は豊平峡ダムに到着した。
「すごい……」瑠璃が息を呑む。
眼前に広がる景色は、まさに絵画のようだった。赤や黄色、オレンジ色に染まった木々が、ダムの湖面に映り込み、幻想的な風景を作り出している。青い空を背景に、燃えるような紅葉が広がり、その色彩の豊かさに二人は言葉を失った。
「本当に美しいね」葵も感嘆の声を上げる。
二人は手を取り合って、展望台へと向かった。そこからの眺めは、さらに壮大だった。遠くまで広がる紅葉の絨毯が、秋の陽光に輝いている。風に揺られる葉の音が、静かな秋の交響曲を奏でているようだった。
「ねえ、葵。写真撮ってもらえる?」瑠璃が頼む。
「もちろん」
葵がスマートフォンを構えると、瑠璃は紅葉をバックに笑顔を見せた。シャッターを切る瞬間、葵は瑠璃の笑顔が紅葉よりも美しいと感じた。瑠璃の黒髪が秋風に揺れ、その姿が風景と溶け合うようだった。
「今度は二人で撮ろう」葵が提案する。
近くにいた地元のガイドさんに頼み、二人で寄り添って写真を撮ってもらった。
「お二人さん、仲が良くていいわねえ」ガイドさんが優しく微笑む。「実はね、この定山渓の紅葉には面白い歴史があるのよ」
ガイドさんは、目の前に広がる壮麗な紅葉の景色を指さしながら、静かに語り始めた。その声には、この土地への深い愛情と誇りが滲んでいた。
「この美しい紅葉の風景は、実は人の手によって作られたものなんです」
葵と瑠璃は驚いた表情を浮かべ、ガイドさんの言葉に耳を傾けた。
「定山渓温泉が開発されたのは明治時代。当時はまだ周囲に木々が少なく、荒涼とした風景だったんですよ」
ガイドさんは昔の写真を取り出し、二人に見せた。そこには、確かに木々の少ない、寂しげな風景が写っていた。
「温泉地として発展していく中で、先人たちは自然の美しさの重要性を理解していました。そこで、計画的に様々な種類の木を植樹し始めたんです」
ガイドさんは、カエデやナナカマド、イタヤカエデなど、紅葉の美しい木々の名前を挙げていった。それぞれの木の特徴や、紅葉の色の違いなども詳しく説明してくれた。
「これらの木々は、何十年もかけて大きく育ち、今では自然に溶け込んで、この素晴らしい景観を作り出しています」
葵と瑠璃は、目の前の紅葉を新たな目で見つめ直した。一つ一つの木々に、先人たちの思いと歴史が刻まれていることを実感する。
「しかし、単に木を植えただけではここまで美しくはならなかったでしょう」ガイドさんは続けた。「自然と人間の営みが絶妙なバランスを保ちながら、長い年月をかけて作り上げてきたものなんです」
ガイドさんは、温泉街の発展と自然保護のバランスを取ることの難しさや、地域の人々が長年にわたって森を大切に守ってきた努力についても語った。冬の厳しい寒さや、時には害虫との闘いもあったという。
「人間の努力と自然の力が調和した結果が、この景色なんです」
葵と瑠璃は、その言葉に深く頷いた。目の前に広がる紅葉の美しさが、単なる自然の恵みではなく、人々の思いと努力、そして自然との共生の結果であることを知り、感動を覚えた。
「この風景は、私たちに多くのことを教えてくれます」ガイドさんは穏やかな口調で続けた。「自然を大切にすること、長期的な視野を持つこと、そして何よりも、人と自然が協力し合うことの素晴らしさを」
葵と瑠璃は互いに顔を見合わせ、小さく頷き合った。二人の目には、この土地への新たな愛着と、未来への希望が宿っていた。
「私たちも、この美しい風景を次の世代に引き継いでいく役割があるんですね」瑠璃が静かに言った。
「そうですね。この景色を守り、さらに美しくしていくのは、これからを生きる私たちの責任でもあります」葵も同意した。
ガイドさんは満足そうに微笑んだ。「その通りです。この風景は、過去と現在、そして未来をつなぐ架け橋なんです」
ガイドさんの言葉に、葵と瑠璃は顔を見合わせて微笑んだ。
散策を続けながら、二人は秋の自然を堪能した。落ち葉を踏む音、澄んだ空気、時折吹く冷たい風。全てが新鮮に感じられた。
「ねえ、葵」瑠璃が突然立ち止まって言った。「私たち、少しずつ前に進んでいるよね」
葵は瑠璃の手をそっと握り、「うん、一緒に歩んでいこう」と答えた。
帰りのバスの中、葵はスマートフォンで撮った写真を見返していた。紅葉をバックに笑顔の瑠璃、二人で寄り添う姿。葵は迷わず、二人の写真を携帯の壁紙に設定した。
「何してるの?」瑠璃が不思議そうに尋ねる。
「ん? ああ、ちょっとね」葵は少し照れくさそうに答えた。
瑠璃は葵の様子を見て、何となく察したようだった。彼女もまた、自分のスマートフォンを取り出し、同じように二人の写真を壁紙に設定した。
二人は互いの目を見つめ合い、そっと手を重ね合わせた。バスの窓に映る夕暮れの風景を背景に、葵と瑠璃は静かに、しかし確かに深まる愛を感じていた。
バスが札幌に近づくにつれ、二人の心には温かな思い出と、より深まった絆が刻まれていた。この日の紅葉の美しさは、二人の心に永遠に残る特別な思い出となったのだった。
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