第12幕 弓弦サヤカ(3)
弓弦サヤカはパイプ椅子に腰掛けていた。
隣ではピエロが静かに座っている。
☆
「先生!それ、本当ですか!?」
サヤカの母親は、担当医に掴みかからんばかりの勢いで、立ち上がった。
思わず面食らった医者だが、乱れた白衣を整え、ずり落ちたメガネを直すと、間違いありませんと答えた。
母親は涙を流しながら、走ってICルーム(説明室)を飛びだした。
「サヤカ!サヤカ!」
看護師達が走らないでくださいね、とやんわり注意するも、母の耳には届いていないようだった。
「もうさぁ、重いのもいい加減にしてほしいわよねぇ。」
「なんで女ばっかりこんな目に遭うんだろうねぇ。」
サヤカの個室の前にたどり着く母親。
【月のもの】の話しをしている二人の看護師を押しのけ、その勢いのまま、扉を開け放つ。
「…サヤカ?」
そこに、サヤカの姿はなかった。
―――――――――
「ママッ!!」
「公演中はお静かに。」
―――――――――
サヤカを探し、母は病院中を駆け回る。
庭、休憩スペース、キッズルーム。
最後に屋上を訪れると、そこにサヤカの姿を見つける。
走り回ってクタクタになっていた母は、扉に身体を預けると、声を掛ける。
「サヤカ!そんなところにいたら危ないわよ!!」
息を整えながら、サヤカに近づく母。
声を聞いたサヤカが振り返ろうとした瞬間―。
ガチャン、と音を立てて柵が外れた。
母は全身の血の気が引き、全てがスローモーションに感じた。
だが、すんでの所で、サヤカの手を掴むことが出来た。
サヤカの手を強く握る母。
だが、サヤカはその手を握り返さない。
「サヤカ!!早く!手を握って!!汗、汗がぁ!!」
母は涙を流しながら懇願する。
それでもサヤカは握り返さない。
「ごめんね、ママ。」
「なに言ってるの!!折角ここまできたのに!!治るの!!治るのよぉ!!」
「もう、いいの。」
サヤカはもう片方の腕で、母の手を払う。
落ちていくサヤカの身体。
すると、母は、迷うことなく、サヤカの後を追った。
もう一度手を握り直し、気絶したサヤカに喋りかける。
「ごめんね、サヤカ。ちゃんと産んであげられなくて、ごめんね。一人には、しないからね。」
―――――――――
「そんな!!ママ!!ママは…、ママはどうなったの!?」
「最後まで見た貴方には、もうおわかりでしょう。亡くなる最期の瞬間まで、貴方を守ろうとした。それ故に、貴方は少しだけ、こちらに来るのが遅れたのでしょうね。先程の舞台は、先にここに来た、貴方の母の脚本ですよ。」
―きっとあとに来るはずのわたしの娘を、よろしくお願いいたします。
このおぞましい姿のピエロに、彼女の母は驚くでも、恐怖するでもなく、泣きながら懇願したのである。
あとに来るであろう、娘のことを思い―。
人の心を持つかもわからぬ、化け物に―。
どんなに、悔しかったであろうか。
娘を守りきれぬことが。
ピエロは、暫く振りの役者への感情移入に、自分でも驚きを隠せなかった。
「そんな、わたし、お母さんの、ママの負担に、なりたくなくて…。」
サヤカは、溢れてきた涙を抑えきれず、両手で顔を覆ったまま縮こまる。
「罪のない我が子を憎む親は、あまり多くはありません。貴方の母の魂は、あの脚本の中に強く刻み込まれています。彼女の人生の他の部分を再現することも、そう難しくはないでしょう。」
サヤカは同じ姿勢のまま、動かない。
「…サヤカ様。ご提案があります。私の助手をいたしませんか?」
サヤカはその言葉に、ようやくピエロに向き直る。
「…助手?」
「ええ。貴方が体験できなかった外の事が、ここなら擬似的に体験できるでしょう。貴方の母も、貴方には普通の人生を送って欲しかった事でしょう。私や、この舞台に敬意を払った貴方の母へ、我々も最大の敬意を払いたい。」
ピエロはサヤカに向かって恭しくお辞儀をする。
「どうか、我々の面子の為に、力添え願えませんか?」
ピエロの表情は、どこかいつもよりも真剣味を帯びたものだった。
「…わたし、頑張ります!わたしが母に恩返し出来る手段はきっと、もうこれしかないから。」
その言葉を聞いて、ピエロは歪んだ笑顔を見せる。
「では厳しく指導させていただきますので、そのつもりで。サヤカ様。」
「ピエロさん!こういうのって先輩、後輩っていうんですよね?」
先輩と、後輩で、ピエロと自分を交互に指差すサヤカ。
「えぇ、まぁ、そうなりますね。」
「なら、わたし、後輩になるんですから!様はやめてください!」
一皮むけたサヤカは意外と気が強く、物怖じしない性格であった。
「これからよろしくお願いしますね!先輩!」
ピエロはやはり引き受けなければよかったと、少し後悔するのであった。
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