第12幕 弓弦サヤカ(3)

弓弦サヤカはパイプ椅子に腰掛けていた。

隣ではピエロが静かに座っている。



「先生!それ、本当ですか!?」


サヤカの母親は、担当医に掴みかからんばかりの勢いで、立ち上がった。

思わず面食らった医者だが、乱れた白衣を整え、ずり落ちたメガネを直すと、間違いありませんと答えた。


母親は涙を流しながら、走ってICルーム(説明室)を飛びだした。


「サヤカ!サヤカ!」


看護師達が走らないでくださいね、とやんわり注意するも、母の耳には届いていないようだった。


「もうさぁ、重いのもいい加減にしてほしいわよねぇ。」

「なんで女ばっかりこんな目に遭うんだろうねぇ。」


サヤカの個室の前にたどり着く母親。

【月のもの】の話しをしている二人の看護師を押しのけ、その勢いのまま、扉を開け放つ。


「…サヤカ?」


そこに、サヤカの姿はなかった。


―――――――――


「ママッ!!」

「公演中はお静かに。」


―――――――――


サヤカを探し、母は病院中を駆け回る。

庭、休憩スペース、キッズルーム。

最後に屋上を訪れると、そこにサヤカの姿を見つける。


走り回ってクタクタになっていた母は、扉に身体を預けると、声を掛ける。


「サヤカ!そんなところにいたら危ないわよ!!」


息を整えながら、サヤカに近づく母。

声を聞いたサヤカが振り返ろうとした瞬間―。


ガチャン、と音を立てて柵が外れた。

母は全身の血の気が引き、全てがスローモーションに感じた。


だが、すんでの所で、サヤカの手を掴むことが出来た。


サヤカの手を強く握る母。

だが、サヤカはその手を握り返さない。


「サヤカ!!早く!手を握って!!汗、汗がぁ!!」


母は涙を流しながら懇願する。

それでもサヤカは握り返さない。


「ごめんね、ママ。」

「なに言ってるの!!折角ここまできたのに!!治るの!!治るのよぉ!!」

「もう、いいの。」


サヤカはもう片方の腕で、母の手を払う。


落ちていくサヤカの身体。


すると、母は、迷うことなく、サヤカの後を追った。


もう一度手を握り直し、気絶したサヤカに喋りかける。


「ごめんね、サヤカ。ちゃんと産んであげられなくて、ごめんね。一人には、しないからね。」


―――――――――


「そんな!!ママ!!ママは…、ママはどうなったの!?」

「最後まで見た貴方には、もうおわかりでしょう。亡くなる最期の瞬間まで、貴方を守ろうとした。それ故に、貴方は少しだけ、こちらに来るのが遅れたのでしょうね。先程の舞台は、先にここに来た、貴方の母の脚本ですよ。」


―きっとあとに来るはずのわたしの娘を、よろしくお願いいたします。


このおぞましい姿のピエロに、彼女の母は驚くでも、恐怖するでもなく、泣きながら懇願したのである。


あとに来るであろう、娘のことを思い―。

人の心を持つかもわからぬ、化け物に―。


どんなに、悔しかったであろうか。

娘を守りきれぬことが。


ピエロは、暫く振りの役者への感情移入に、自分でも驚きを隠せなかった。


「そんな、わたし、お母さんの、ママの負担に、なりたくなくて…。」


サヤカは、溢れてきた涙を抑えきれず、両手で顔を覆ったまま縮こまる。


「罪のない我が子を憎む親は、あまり多くはありません。貴方の母の魂は、あの脚本の中に強く刻み込まれています。彼女の人生の他の部分を再現することも、そう難しくはないでしょう。」


サヤカは同じ姿勢のまま、動かない。


「…サヤカ様。ご提案があります。私の助手をいたしませんか?」


サヤカはその言葉に、ようやくピエロに向き直る。


「…助手?」


「ええ。貴方が体験できなかった外の事が、ここなら擬似的に体験できるでしょう。貴方の母も、貴方には普通の人生を送って欲しかった事でしょう。私や、この舞台に敬意を払った貴方の母へ、我々も最大の敬意を払いたい。」


ピエロはサヤカに向かって恭しくお辞儀をする。


「どうか、我々の面子の為に、力添え願えませんか?」


ピエロの表情は、どこかいつもよりも真剣味を帯びたものだった。


「…わたし、頑張ります!わたしが母に恩返し出来る手段はきっと、もうこれしかないから。」


その言葉を聞いて、ピエロは歪んだ笑顔を見せる。


「では厳しく指導させていただきますので、そのつもりで。サヤカ様。」


「ピエロさん!こういうのって先輩、後輩っていうんですよね?」


先輩と、後輩で、ピエロと自分を交互に指差すサヤカ。


「えぇ、まぁ、そうなりますね。」


「なら、わたし、後輩になるんですから!様はやめてください!」


一皮むけたサヤカは意外と気が強く、物怖じしない性格であった。


「これからよろしくお願いしますね!先輩!」


ピエロはやはり引き受けなければよかったと、少し後悔するのであった。









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