第3話 優しい世界

 その家は郊外の上級住宅地区に建っていた。それを見た家族はその大きさと豪壮さに驚いた。父親は得意満面。

「さあ、遠慮なく入ってくれ。皆の家なんだからな」

「信じられない!本当に良いの?」

「これからこんな立派な家で暮らせるんだね!」

 父親は興奮する妻と子に家の中を一通り案内し終え、その後、皆でリビングで寛いだ。

「本当に、夢みたい……」

「そうだろう、俺もそう思う。全ては我らがヤン・シュミット師のお陰だ……」

「さっきもちょっと言ってたわよね。一体誰なの、その人?」

「俺のアタマの面倒を見てくれてるお方さ。24時間、休まず、ずっとね」

「お父さんのアタマ?」

「つまりさ、さっき話したマイクロチップの動作……つまり精神鎮静波の発信・停止を管理してくれてるお方なんだ。俺が何かのきっかけで頭に血が上ってカッとなりそうになる、するとそれが我らがヤン・シュミット師に即座に伝えられ、師が手元の無数のボタンの中から俺用のを選んで押してくださる。すると遠隔操作で俺の脳内のマイクロチップが精神を安定させる電気信号を発信し始め、俺は気持ちが落ち着くって訳さ。俺だけじゃない、俺と同じマイクロチップが埋め込まれてる人は皆、シュミット師が24時間休まず見守ってくださっておられるんだ」

「……あの、ちょっと聞くけど、あなたと同じようにマイクロチップが埋め込まれてる人って、どれくらい居るの?」

「うぅ~ん……今この都市に500万人が暮らしていて、マイクロチップ被施術者はその約一割弱、40~50万人ってとこだ」

「50万人の人間の感情を24時間休まず管理するなんて、そんな事一人の人間には無理だよ」

「いや!その不可能な事をやってのけているから凄いんだよ!このマイクロチップ施術を受けた人で、今までに問題を起こした人は居ないんだ!みんな師が守ってくださっているからなんだ!本当に神様のようなお人なんだよ。俺はね……」

 父親は一息ついて続ける。

「……もしもこれがAIによる管理だったなら、こんな処置は死んでも拒絶したよ。自分の頭を、自分の心を、血の通わない冷たい機械に委ねるなんて、そんなの想像しただけでゾッとすると思わないか? けど我らがヤン・シュミット師は機械じゃない。人間なんだ! 俺達と同じ、赤い血の流れる温かい生きた人間なんだよ!その師が、俺達皆を、常に見守っていてくださるんだ!」

「う、うん、解ったわ。けど……」

「……確かに、一部の心無い連中は『ヤン・シュミットなんて存在しない』とか『もしかしたら元になる人物は居るかも知れないけど、その人は50万人の感情を24時間ずっと休まず見守り続けるだなんて事はしていない』なんて言うヤツラもいる。だが俺は信じない。そんな事を言われるのは、それだけ師が神のごとき御業をやってのけてるって事だ。低劣な人間どもにはそれが理解できんのだな。お前達は、まさかそんな馬鹿げた事は言わないだろう?」

「う、うん……」

「言わない、言わないよ……」


 その後、父親はトイレに席を外し、残された三人は話し合う。

「……AIでしょうね」

「たぶん遠隔操作じゃなくて、マイクロチップ自体にそういう機能が備わってるんだと思うな。その方が合理的だよ」

「何ノボル? あんた詳しいの?」

「うん、僕将来機械工学科に進みたくて、そっちの勉強してんだ」

「それにしてもお父さんの機械嫌いも相変わらずねぇ」

「いや、もう宗教だよ。あのナントカ師の事を話す時のお父さん、何か目がおかしく光ってたもの」

「まさか、大金を貢がされたりとかしてるんじゃあ……」

「いや、今ちょっと調べてみたんだけどね……そのナントカ師の医療メーカーって、この街公認の半公的企業で、施術料も良心的な額、その後もお金を取られる事は無いんだって……」

「へぇ、悪徳カルトって訳でもないんだ……」

 確かにそれで上手くいっているのだ。ただ、彼らの父親の師へののめり込み方がちょっと行き過ぎているだけで……その彼だって、トラブルメーカーから世間で立派に認められる人物となり、その結果がこの邸宅だ……。母親は子供達に言った。

「二人とも、お父さんには、今の話はしないでおいてあげましょう」

「うぅ~ん……けど……」

 本当にこのままで良いのか、という思いはある。当たり前だ。人間だもの。

「お父さん、あんなに嬉しそうだったじゃない。真実を伝える事が常に正しいとは限らないわ。それに、そのナントカ師が絶対に実在しないって確証だって無い訳でしょう」

「まあね……」

「全て良い方向に向かってるじゃない。何でわざわざ本当の事――それも私達が本当だと信じてるに過ぎない事――を話して聞かせて、それを台無しにする必要があるの? これで良いのよ」

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