第50話 謁見

聖者が無事帰還し、一連の騒動に関わる諸々の後処理が終わったのは二日後のことだった。

対応の迅速さもあり、聖者がシルバエルから遁走したという珍事は綺麗に揉み消されていた。

彼らとシルバエルに戻ったリゼルドもその立役者として、また使徒家の長として教主に謁見、というか密談をする予定だった。

案内を受け接見室に入ったリゼルドは、開口一番場違いなほど砕けた声音を響かせた。

「こんにちは~!レイノス様久しぶり元気~~?」

「ええ、お陰様で。

いつも世話になっていますね。

君たちが領土を守ってくれている限り、私も枕を高くしていられますよ」

「はは、家の奴らに聞かせてやりたいなあ、それ。皆泣いて喜びそう」


待ち受けていた教主は、何の動揺も不快も見せずに応対する。

他へ向けるのと変わらない静かな笑顔と柔らかい声で、彼はリゼルドを労った。


「それに今回のことも、良くやってくれましたね。

短時間で見事聖者様を見つけてくれたと聞きました。

……戦ばかりでなく、こうした局面でも頼れる麾下に恵まれ、私は嬉しいですよ」

「ふふ。そうでしょう?一層贔屓にして良いんだよ!」


教主の労いに、リゼルドは手を叩いて笑い返す。

教主を相手に、不遜そのものの態度だった。

余人が見れば眦を吊り上げるだろうが、これが彼らの挨拶だ。

向かい合い笑い合う二人は色彩と雰囲気こそ違うものの、良く良く見ると似通った顔立ちをしていた。


「……シルバエルは三年ぶりだけど、見た感じ人は殆ど変わっていないみたい。

ベルダット様も相変わらずみたいだね」


ここへ来る途中ですれ違った教主の腹心のことを思い返す。

相変わらず要らぬ苦労まで背負って板挟みになっているようだった。

リゼルドには到底できない生き方である。


これは彼の勘だが、その気苦労の多くはきっと教主と聖者の関係性に端を発している。

リゼルドも詳しいことは知らないが、彼ら二人の間に以前悶着があったというのは使徒家では暗黙の了解だ。

当事者以外から聞いた又聞きでしかないが、聞くところによればこの教主は――。


「……聖者様も譲らないんでしょう?何か、色々難儀だねえ」

「…………」


返ってきたのは微笑と沈黙のみだったが、不穏な気配を感じたリゼルドは言及を取り止めることにする。

別に今どうしても知りたいというわけでもなし、わざわざ虎の尾を踏むことはない。

この機に願い出たいこともあるのだし。

すぐに話題を変えることにした。


「それでさあ、そろそろ戦いたいんだけど。

僕も配下も、欲求不満でそろそろ辛いんだけど。

息抜きしたくって」

「許可できません。君にはここに留まってもらいます」

「…………へえ。なんで?」


リゼルドは目を見開き、相手を窺う。

その答え自体は予想通りだったが、声色に少し妙な、大袈裟に言ってしまえばただならぬものを感じた。

リゼルドは青い目を瞬かせ、向かいの主君をまじまじと見つめる。


「後、半年です。休戦期間はまだ終わっていません」

「………あいつらが律儀に決まり事を守るとか、本気で思っているわけ?」

「無論、いざとなれば頼りにさせて貰いますよ。

その時はすぐに戦線に行ってくれて構いません。

……ここまで辛抱できたのだから、後半分も君なら当然耐えられるでしょう?」


教主は何も変わらぬ様子で微笑んでいる。

それこそ五年前から変わりのない鉄壁の笑みだ。

この五年というもの、教団は楽団と相争ってきたが、そもそもの勃発はある事件が切っ掛けだった。

そのためにリゼルドはヴェンリル家の当主となり、自ら前線に立ち只管敵を屠ってきた。

思い出しても笑いが止まらないような、楽しく愉快な日々だった。

数えるのも面倒なほど人を殺し、街を滅ぼし、幾つかは攻め落とした。

ある場所は教団領に組み入れ、ある場所は交渉の末返還したりと、それはもう色々とあった。

貶められた家名の回復、という御題目はあったがリゼルド自身はただ楽しんでいただけである。


だが抗争をしていれば、その内互いに整えなければならないことも出てくる。

どちらかが完全に壊滅するまでただ只管に殺し合うのも一興だが、そういうのは後々になって響いてくるのだ。

魔獣の脅威や、他の勢力の存在もあった。

往時より格段に衰えたとは言え、騎士団はまだまだ侮れない。

教団と楽団が弱ろうものなら、ここぞとばかりに復権を狙って来るだろう。

医師団も不気味である。

今のところ積極的に領土拡大を狙う様子はないものの、均衡が崩れれば何をしてくるか分からない。


そういう思惑が重なり合った末、楽団との休戦協定が成立したのが半年前だ。

それからというものの、リゼルドは生殺しのような思いで過ごしていたわけである。

休戦の必要性が分からないほど愚かではなかったが、だからといって禁欲が楽になるわけでもない。

殺すこと、虐げることは彼にとって殆ど本能のようなものなのだから。


だが、そればかりでは回らないのが使徒家当主の役割というものである。

眼の前の主君は淡々とした声で、それを思い出させてきた。


「一応落ち着いている今が、正式に家督を継ぐ良い機会です。

暫くはあちらに戻らずシルバエルに居なさい。

五年前の継承からというもの戦続きで、まだ何も片付いていないでしょう。

報復も虐殺も結構ですが、その手の始末もしてもらいたいものです。

……それに、偶には親孝行をしてあげなさい」

「…………あっはははー。まあ、そうだよね。うん、忘れていたわけじゃないよ」


おや、これはやはり。やや怒らせたかもしれない。

微妙に苦笑して天井を仰ぐ。

灯りが届ききらず薄暗い中でも、高く佇む梁に繊細な模様が刻まれているのが見て取れた。

本当に、呆れるほど贅を尽くした部屋である。

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