第48話 シルバエルへ

現れた一行は、見覚えのある白装束の大男が率いていた。

常に教主の傍らに控えている、灰色の髪をした大男――確かワーレン家の一人だ。

男は素早く場に目を走らせ、横転した馬車、取り押さえられたシノレと聖者、逃亡奴隷たちの死体を確認してからリゼルドに向き直った。


「…………リゼルド様、ならず者から聖者様をお守りくださったのですね。

不肖、この私が猊下に代わって御礼を申し上げます。

ですがどうか、この先は私にお任せ下さいませんか」


無表情で見返すリゼルドに、男は更に駄目押しのように告げる。


「リゼルド様、これは猊下の御旨です。

……此度の任務遂行を阻害しようとなさったことは、私の胸の内に留めておきます」

「――――……」


言われた少年は一瞬、酷く不機嫌そうな顔をしたものの、流石に引き際だと悟ったのだろう。

黙って手綱を引き、馬を後退させた。

リゼルドを退かせた大男は、改めて聖者に向き直る。

それを受けて、聖者は僅かに青褪めたように見えた。

どうしてか、リゼルドと対峙していた先程よりも怯えている感じがする。


「……聖者様。何事もなくご無事のご様子、誠に宜しゅうございました」

「ベルダット、様……」

「お迎えに上がりました。聖都で猊下がお待ちでいらっしゃいます」


男の――ベルダットの誘いに、聖者はすぐには答えなかった。

前に佇むシノレを見つめて、固く目を閉ざし、やがて緩やかに首を振った。


「帰りません。帰れません。

……どうか、私のことは死んだものとお思い下さい」


その返事に、辺りは水を打ったように静まり返った。

小さく肌を刺すような、冷たい緊迫感が満ちた。

シノレは息を詰め、ベルダットは眉を寄せる。

リゼルドは目を眇めた。

聖者だけが変わらず無表情で、静かな言葉を吐き出していく。


「今回のことは全て、私が無理にシノレに命じて行わせたことです。

……このまま、私のことはお捨て置き下さいませ」

「………聖者様。

もし、勇者殿の今後を案じておられるのなら、私からも猊下に可能な限りの取り成しを致します。

猊下とて聖者様がご無事ならば、強くお咎めにはならないでしょう。

その他にもご不安があるのならば何なりとお申し付け下さい。……ですから」


言いながらも下馬したベルダットはその巨体を屈め、躊躇なく地に膝をついて頭を下げた。

白い装束が土に塗れて、何かの残骸の上に広がる。


「この通り、願い上げます。

どうか、私とともにシルバエルにお戻り下さい」

「……お止め下さい……!」


聖者は初めて、取り乱した声を上げた。

シノレの影から飛び出して小走りにベルダットに駆け寄り、同じように膝をついて視線を交える。

シノレも思わず、つられるように数歩踏み出す。

見ていて一瞬ひやりとした。

迂闊に接近などすれば、隙を突いて何かされるのではと思ったのだが、どうやらそれは杞憂のようだった。

ベルダットは只管頭を下げ続け、その眼前で聖者は困り果てたように項垂れる。

大男に寄り添うと一層、その線の細さが際立った。


「……どうか、分かって下さい。

どの道、いつかは私は行かねばならないのです」


(本当に、どういうこと?

何が目的……この人は、何を、隠している?)


口を挟めないまま、ただその光景を見守るシノレは、リゼルドが観察するように見つめていることに気づかなかった。

彼を乗せた青毛の馬が小さく鼻を鳴らすが、首に手を添えられた途端静かになる。

目配せを受けた男の一人が下馬し、気配を殺して動き出した。

その間にも地べたに座り込んだままの、大男と少女の奇妙な押し問答は続く。


「聖者様が去ったとあっては動揺は必至。

聖者様を慕う数多の教徒はどうなります」

「……それもまた、神の思し召しなのです。

大丈夫です。

教主様があられる限り、何一つ憂うことはありません」

「……それではせめて、猊下にお目にかかって頂くわけには参りませんか。

一言の別れもなくとは、あまりのなさりようではありませぬか」

「……それは……いえ、それでも、私は……」


双方の言い分は平行線を描き続ける。

その膠着状態を打ち破ったのは誰かの言葉ではなく、突如鳴り響いた鋭い風切り音だった。


「――っ!?」

「……飽きたなあ。もう、これでいいでしょ」


視界の外から何かが飛んでくる。

それに気を取られると同時に、後頭部に衝撃が走った。

咄嗟に言葉の意味は取れなかったが、つまらなさそうな乾いた響きだけが耳に残った。

「……!?……っ!」

投げつけられたらしきものが、その独特の形状が一瞬目の片隅に入る。

拳銃を投擲されたらしいと察するが、気づいたところでどうしようもない。

直後、均衡を失った体が地面に叩きつけられた。

意識が朦朧とする。

手足も動かない。

倒れ伏した地面が音を立てて揺れ、何か大きなものが移動しているのを感じた。


「回りくどいことは嫌い」


視界が暗く霞んでいく中で、平坦に囁く声がやけに近くから聞こえた。

ぐるりと視界が回転し、勢いよく体を引き上げられる。

何人かの手で支えられ、無造作に荷物のように持ち上げられ運ばれるのを感じた。

揺らぐ意識の向こうから、絹を裂くような取り乱した悲鳴が響く。

それに取り合わずにやり取りする声が、近くと遠くから聞こえてくる。


「ベルダット様は聖者様を連れて帰ると言う。

聖者様はお前と行くと言っている。

つまりお前を押さえれば八方良しの万事解決、聖者様も快く帰って下さるわけだ。

それで良いよね、ベルダット様?」

「…………やむを得ませんな。

聖者様、このご無礼、お許し下さいとは申しません。

ですが、どうか償いの機会をお与え下さい。

御身とシノレの立場の保全は、私の名誉にかけて保障します。

そして……猊下へのご報告もございますので、リゼルド様にも同行をお願い致します」

「……良いよ。

あっはは、シルバエルも久々だなあ!

ああ大丈夫、お前の安全と待遇は僕の方からも手を回してあげる。

だって面白そうだから!!」


朦朧とした意識が薄れ、目の前が暗くなっていく。

降り注ぐ音の連なりは、意味を成さずにばらけていった。

その合間から聖者が何度も、何度も名を呼んでいるのが聞こえてきた。


「――シノレ……っ!!」

その悲痛な残響を最後に、シノレの意識は途切れて闇に落ちていった。

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