第47話 ヴェンリル家の当主
「よく、も。仲間を……」
「…………うん?何?」
「……我々は、貴様ら狂信者の巣窟から出ていく!!
この二人は教徒だろう!?
こいつらの命が惜しければ邪魔をするな!!」
「そ、そうだ……!この、聖者がどうなっても良いのか!知っているぞ、こいつが死ねば貴様らは咎められるはずだ!!」
「……分限を弁えろよ。
奴隷が高望みをするようではお終いだよ?
お前如き下郎、僕と直接話をすることさえ…………
あ、うん、そうだ。
聖者様は連れ帰るよう言われているけれど、他は別に殺してもいいよね。
最近すごく退屈だったんだあ」
話す途中で、何の前触れもなく少年の様子が変わった。
それこそ豹変という言葉が似つかわしいほど、劇的に変化する。
汚物でも見るかのようだった目が突然輝き、不愉快そうな声が何かに酔ったように浮つく。
熱り立つ奴隷の男たちを完璧に無視して、
少年はシノレにひたと視線を当ててくる。
そのまま手綱を操り、騎乗する青毛の馬が歩き出した。
周りの男も馬を動かし、守るように付き従う。
「勇者って何?
多分皆が気になっていることだ。
殺せば僕でも分かるのかなあ。
血に内臓に肉に骨に、何処か普通の人間と違ったり?楽しみ」
馬を緩やかに歩かせ、少しずつ近付いてくる。
少年はシノレを見つめ、唯でさえ大きな目を更に見開いて、小さく舌舐めずりをした。
「そうだ。その髑髏、酒盃にしてみたいなあ。
脳味噌全部引きずり出して。良い味するんじゃない?」
最早完全に、奴隷の男たちへの興味が失せているのは明白だった。
いよいよ、馬上からの殺気が膨れ上がるのを感じる。
背後の男の腕が震え、首元に短剣を押し当てる力が強まる。
「ち、近づくな。
少しでも近づけば、こいつらを殺す!殺すからな!!」
聖者を捕らえた男も、叫び声を張り上げる。
錯乱気味の威嚇の声が、何処か遠くに聞こえた気がした。
頭の奥で、刺激するなという警鐘が大音量で鳴り響く。
けれど、彼らももう退けないのだ。
その時、弱々しく呻くような声が耳朶を打った。
「無駄です……」
「無駄だよ」
聖者の声に被さるようにして、少年の声が響く。
その笑みが崩れる気配はなく、ただ声にだけ嘲りの色が滲んだ。
「そうやって盾にしたところで、何の意味もないよ。
だってお前たちではその方を殺せない。
人質として成立しない。
もう片方は今のところあんまり価値がないから、尚の事人質にはならない」
「……そういう、ことです」
向こうには聞こえないような小声で、諦めたように呟いた後、聖者は顔を上げて馬上の少年を見据えた。
当然、姿勢は羽交い締めにされ鏃を首に当てられたままだ。
その視線を受けて、少年も馬を止まらせて聖者を見つめ返す。
互いに探り合うような沈黙が流れた後、聖者が重々しく口を開いた。
「……お久しぶりです、リゼルド様。
三年前に聖都でお見かけして以来ですね」
「うん、そうなるね。早いもんだ。
聖者様こそ、僕なんかのことを覚えていてくれたなんて。嬉しいなあ!」
リゼルドと呼ばれた少年は、馬上で身を仰け反らせけたけたと笑う。
それでいて、その姿には一分の隙も生じない。
(リゼルドって……”あの”ヴェンリル家の当主!!
悪名と血腥い武勇伝しか聞かないあの!)
諸々の噂が脳内を駆け巡り、一気に緊張が走った。
使徒家の一角の長でありながら、休戦協定後もシルバエルに戻らず、楽団と睨み合いを続けているというその人物と面識はなかった。
だが半年間で、それはもう色々と噂は耳にした。
だだっ広い教団領で、何故よりによってそんなものと遭遇するのか。
今更ながらに世間の過酷さが身に染みる。
周りの様子には構わず、聖者は言葉を続ける。
「……リゼルド様にお願い申し上げます。
どうかシノレに、いえ、彼らに手を出さないで下さい。
お聞き届け下さるのならば、私は相応の見返りを差し上げる覚悟があります」
「……なにを?勇者ならともかく、一文の価値もない……反抗的な奴隷を見逃すだけの益って?」
口を開いた聖者に、リゼルドは驚いたように瞬きをする。
淡い青の目に始めて、興を誘われたような色が浮かんだ。
その様子に聖者は顔を強張らせるが、目を逸らそうとはしなかった。
「私の噂について、お聞き及びなのでしょう。
実際に確かめてみたくはありませんか」
「……それは、まあ。
……でも、レイノス様に知られたら怒られちゃうからなあ」
「互いに口外しなければ、露見することはありません。
お気の済むまでお付き合いします。
無論、聖者を連れ戻した手柄もリゼルド様のものです。
ですから、どうかこれ以上彼らに危害を加えないで下さい」
「そう?……素敵だね。でも残念、交渉が下手」
その直後に、発砲音が鳴る。
言い終えた後の、一瞬の出来事だった。
短く、骨を揺さぶるような激しい音が辺りに鳴り響く。
上からどろりとしたものが落ちてくる。
シノレを捕らえていた腕から、ずるりと力が抜ける。
他三人も、一瞬で絶命したようだった。
物体となった体が脱力して落下する、その先に佇むリゼルドを囲む男たちが、こちらに何かを向けていた。
黒々と口を開けた小さなそれから、上っていく細い煙がやけにはっきりと見えた。
「両取りでは何故いけない?聖者様も、その勇者も」
リゼルドの顔には、ずっとずっと欲しかった玩具を手に入れた子供のような、酷く楽しげな笑みが浮かんでいた。
再びゆったりと馬を歩かせ、こちらに近付いてくる。
もう聖者しか目に入らないようで、死体が一つ馬の脚に潰された。
「思ったよりも可愛いんだね、聖者様って。
好きになっちゃいそう」
三日月のように歪んだ笑顔が、広がって目の前まで迫ってくるようだった。
その悍ましさに鳥肌が立つ。
魔獣や逃亡奴隷の比ではない、今まで感じた中でも最大級の危機感が膨れ上がった。
咄嗟に男の死体を振り落とし、聖者の前に出る。
同時に押し寄せた殺気に、思わず目を見開いた。
リゼルドの傍に控えていた男たちも、逃げ道を塞ぐように散開した。
その中央を馬で進むリゼルドは、追い込むように悠然と近づき、直ぐ側までやって来る。
いよいよ手を伸ばせば届く距離になったところで、辺りの空気を切り裂くような、掣肘するような笛の音が響き渡った。
音がした方に目を向けると、土埃をあげて何かが近付いてきていた。
それらは段々明瞭になり、その一行が教団の旗を掲げていると気づく。
前方から小さく舌打ちが聞こえた。
「――――役立たず」
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