第45話 闘技場の主

――そこでは、異様な熱狂の渦がとぐろを巻いていた。


城郭都市ドールガは、シルバエルから離れた北西に位置している。

元々は楽団領、初代ヴェンリルの根城であったそこは、教団領でも上から数えた方が早い大都市だ。

楽団との地境に近く、街自体が一つの要塞でもあるそこは、全体が固く重く、血の匂いを染み付かせて傲然と聳えているような場所だった。

その北の丘の麓には、一際目立つ円形の広場がある。

ドールガ最大の建築物にして名物である大闘技場である。


その日は朝からそこで、恒例の興行が行われていた。

それこそがドールガの最大の特色だ。

ヴェンリルに送り込まれた奴隷は、殆どが戦場かこの場所で命を終える。

教団領では楽団の野蛮な娯楽と唾棄されるものであるが、そんな彼らも身元を隠して見物に来ていたりするのだから人間とは皮肉なものだ。


舞台設定や人数は回によって違うものの、奴隷や捕虜や罪人、獣などを使って殺し合わせるという趣向は毎度共通していた。

殺し、殺され、そして生き残った一人に受洗の権利を与え、教徒に召し上げる。それはこの場にいる者全てに通達されていることだった。


今日の主役は奴隷たちであった。

教団に買い取られた奴隷は、大概がシュデースかヴェンリルの二択で明暗を分けられる。

いづれも過酷なものの、シュデースならばまだましなのだ。

だがヴェンリルの場合は、正直楽団の待遇と大差ない。

ヴェンリルに引き取られた奴隷の末路は大体二通り。

戦場で捨て駒にされるか、囮にされるか、平時ならば見世物とされるか。

或いは当主の玩具にされるか、である。


演目が一段落し、小休止の段階であった。

凄惨な血腥い空気の中、死屍が積み重なっている広場を軽やかに優雅に闊歩する青髪の男がいる。

道化めいて着飾った彼は踊るように跳ね回り、同じく派手に飾った荷車や奴隷たちを指揮して、汚れた舞台を片付けていった。

芸術的なまでのその手際は、非常に美しく軽快で、客席からは激励とともに幾分かの硬貨や花が投げられる。


「これは、有難うございます!!今後ともどうぞご贔屓に……!!」


それをふわりと跳ねて受け取り、男はよく通る声で高らかにそう返す。

そして優雅に返礼する男に、一層声は高まった。


手に汗握る、一瞬も目を離せぬ死闘とは違い、気楽に楽しめる種目である。

初めから終わりまで陰惨なだけでは感覚は麻痺してしまう。

合間合間に多少の息抜きは必要だ。

そうであればこそ演出の残酷さや戦いの激しさ、命の燃焼が際立つのだから。

……それはこの闘技場の前の主が考案したことだった。


続いて繰り広げられたのは昼最後の演目だ。

参加者は三十人ほど、奴隷のみで皆剣を持たされていた。

開始の合図から暫くは睨み合っていたが、一度火蓋が切られれば展開は瞬く間に動いた。

叫びと風を切る音とともに、影が一人二人と血飛沫を上げて倒れ、数は瞬く間に減っていった。


傾きかけても日差しは未だ力強く、眩く舞台を照らし出している。

舞台もいよいよ佳境、一目で手練れと知れる剣士二人の一騎打ちが花開いていた。

闘技場という名の舞台で、戦士の命が力の限り燃え上がる。

異様な熱気の立ち込める中で、怒号や叫びの声が飛び交うそこでは、隣の者と話すことさえ容易くはない。

観客たちは皆血腥い見世物に熱狂しており、賭けに興じている者も多くいた。


その観客たちの頭上に、一際格調高い御座が据え付けられていた。

広大な闘技場を一望できるそこには、少年の姿がある。

長い黒髪は明るい日差しを弾いては、微妙な色彩を浮かべる。

白皙の肌に青みがかった淡い色の瞳をしており、その顔立ちも至って端正なものだ。

小作りな顔の中で目だけが端麗に大きく、長い髪も相まって見ようによっては少女と言っても通るだろう。

顔ばかりでなく隅々まで均整のとれた、精巧な人形のような少年だった。

ただその居住まいは間違っても人形のように、無機質で大人しいものではない。

ただ座っているだけでも何処か異様な、殺気立った威圧感を振り撒く少年だった。

傍らには数人の付人が控え、足元では獰猛な面相をした巨大な黒犬が伏せている。

その姿を目にしたなら、この少年こそが血塗られた闘技場の主であると誰しも理解するだろう。


「…………」

少年は眼下の死合に目を向けようともせず、先程急遽届いた書簡に目を落としていた。

周囲の喧騒も他所に読み進める内に、段々と表情が難しくなる。

そこに書かれた内容は長いものではなかった。

それほど時間をかけず読み終えた少年は、書簡を透かし見るように光に翳し、暫し沈思する。


その時闘技場が、一際激しい喧囂に揺さぶられる。

そのどよめきだけで、勝者が決まったことが知れた。

倒れ伏した屍が累々と転がる舞台の中央には、肩で息をする剣士が一人立ち尽くしていた。

何処から見ても疲労困憊の体で、それでもその顔には勝利の歓喜と、生への渇望があった。

そんな剣士に観客は拳を突き上げ、口々に歓呼や罵声を浴びせる。


途端、彼ら全てを打ち据えるような銅鑼の音が鳴り、一瞬で闘技場は静まり返る。

そこで、少年は初めて視線を舞台に向け、値踏みするように男を見つめる。

見守る誰もが息を殺し、辺りに沈黙が満ちた。直後少年は軽く顔を顰め、頭を振った。


その直後、闘技場の壁の一部が外れ、中から武装した兵が現れた。

彼らが携えた武器が、満身創痍の剣士に振り下ろされる。

盛大に血飛沫を舞わせた剣士は、驚愕と絶望の表情を貼り付けたまま事切れた。

闘技場を埋め尽くす高揚、響き渡る声はますます高まり、観客の興奮は最高潮を迎える。

誰もが声の限りに闘技場の主を称え、轟く歓声は空を突き破るようだ。


「あー、つまらないなー……」

それにも関わらず、少年の表情は冷めていた。

また駄目だったかと、乾いた心境で思う。

同胞として迎えるに相応しい戦士は、中々見つからないものだ。

ましてやこの半年間は休戦で戦えもせず、退屈で仕方がない。

地境の警備など暇潰しにもならないし、魔獣を駆逐しようにもここのところは静かなものだし、そもそもどうせ戦うなら人間相手が良い。

要するにこの半年間、心浮き立たせるものが何も無かった。

虚無なのだ。楽しいことが欲しいと切に思う。


改めて手元の書簡を見返す。

その時には死合や剣士のことなど完全に頭から消えていた。


そこには、彼の主君からの指示が書き連ねられていた。

全く、どうしたものか。

適当に人員を出して義理を果たしても良い。

しかしそうまでしてここに居座ったところで、この調子では大したものは見られないだろう。

忠誠を示すためには彼自身が出るのが一番だが、かといって、いるかも分からない相手の姿を求めて無意味に外をぶらつくのも気が進まない。


「…………そもそも、探す相手があれだし」


傍の付き人にも聞こえないほど、その声は小さかった。

渦中の失踪したらしき人物のことを思い出し、少年は眉を顰める。

個人的にはそのままどこかで野垂れ死んでくれても全く構わないのだから、捜索に気分が乗るはずもなかった。


「……当主様、宜しいでしょうか」


その時、声がかかった。

見ると、催事の責任者がやや離れた場所で膝をついている。

代わりに話を聞いたらしき付人が傍へ寄り、淡々と報告を述べた。


「夜の部に使うはずだった奴隷の内三十人が、どうも逃げ出したようです。

八人は捕らえて連れ戻しましたが、残りは行方が知れないと」

「……監督者は誰?後は監視人と警備員。

代わりにそいつらを夜の演目に引き摺り出せ」

「は、既に手配と指示は済ませてあります。

して、逃亡者どもは如何致しましょう」

「そう。それなら、いいね。

……うん、外に出るのも悪くない。駆り立てに行こうか」


良い時機に逃げてくれたものだ。

付人の答えに微笑んだ少年は、こともなげにそう答える。

少年の最も近く、その斜め後ろに控えていた男が、やや顔色を悪くした。


「当主様、恐れながら、猊下の宣旨は……」

「だだっ広い教団領で禄に手がかりもないなら、真面目にやるだけ無駄だって。

どうせ誰かがその内見つけるでしょ。死体を、かもしれないけど」


少年は諫言を遮って気怠そうに答える。

見世物にも飽きてきたところだし、色々と丁度良い。

命令に従って捜索し、結果偶然にも逃亡奴隷の処分が遂行できた。

そういうことにするのが、一番良いように思えた。


椅子に座ったまま、無骨な靴の踵を打ち鳴らす。

その音に、足元の犬がびくりと反応する。

ゆるく振られていた尻尾がさっと逆立ち、身を起こして素早くその場から退いた。

同時に少年が立ち上がる。


「それより、奴隷だよ。

……落ち延びて野盗なんかになったりしないよう、きっちり始末をつけないとね」


その手から、書簡がぱさりと音を立てて落ちた。

その行方を見届けることもせず、リゼルド=ヴェンリルは一歩を踏み出した。

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