第43話 血まみれの聖者
一匹は既に脱落したようだった。
右手の空では三匹の魔獣が紫の尾を引いて旋回している。
上空にいるので小さく見えるが、地上に降りてくれば子供ほどの大きさはあるだろう。
あるべきでないものを無理矢理貼り付けたかのような、異様に発達した鉤爪と嘴の形状が目に留まる。
全体的に鳥に近い姿だが、羽の模様に微妙に虫のような面影がある。
その癖頭だけは奇妙に骨ばって大きい。
声もそうだが、その姿も見ているだけで矢鱈と不快になるような、本能的な忌避感を呼び起こすものだった。
ちらちらと飛沫のようなものが羽搏きする度に降り落ちる。
あれに触れてしまうと位置を察知される上、獲物として延々付け狙われるのだ。
とにかく、接近と位置取りは完了した。
醜悪な魔獣に向けてシノレは銃を向け、照準を合わせる。
一応槍もあったが、飛ぶ敵に投げつけて負傷させるというのはシノレの力では無理がある。
比較的軽量で扱いやすい銃が備えられていたのは幸運だった。
(いや銃なんて、それもこういう取り回しやすい物なんて馬鹿みたいな高級品なのに、あんなとこに無造作に入ってるとか。
今更だけど、聖都は金持ちだらけだな……)
そんなことを考えつつ三発撃つ。
一応射撃の訓練も受けていたのだが、やはり動く的相手ではそう上手くはいかないもので、一発は逸れ、一発は掠め、一発は見当違いの場所に飛んでいった。
だが、この場合は少しでも弾が掠めたということが大きかった。
衝撃で体勢を崩した魔獣は呆気なく前のめりになり、地面に突っ込むように落ちていく。
それを追ってシノレも駆け出した。
飛ぶ魔獣というのは自然界の鳥などとは異なり、殆どが釣り合いの悪い体で無理矢理飛んでいる。
そのため少しでも姿勢が乱れれば途端に墜落するのだ。
まあ中には、衝撃波を放って投擲物を撃ち落としてくるような洒落にならないものもいるが。
そういうものはこの季節には出てこない。
藻掻いている魔獣に、とどめを刺すために近づく。
まずは頭部に、完全に弱らせてから眼球に撃ち込んで、息絶えたのを確認して再び装填する。
それとともに、明らかにそれまでとは違う調子の鳴き声が響く。
目を上げると、更にもう二匹がこちらへ向かっていた。
(……これ以上縺れたら厳しいし。確実に当てられる距離になるまで引き付けるか……)
手近な木に背中を預け、呼吸を整える。
一直線に突っ込んでくる二匹の内、より近い方に銃口を向けた。
段々と大きくなり、不快な姿態の細部まで見て取れるようになる。
いくら動き回る的と言っても、この距離と大きさでは外す方が難しい。
上手いこと頭に入ったようで、ぐらつきながら後方に倒れ込む。
同時にもう一匹に向けても発砲した。
だが、そちらは外れた。
直前の一匹と違い、変則的な動きで勢いを殺さず向かってくるその姿が更に加速する。
「――――!!」
伸びてきた鉤爪が間一髪のところを掠め、その拍子に銃が手から落ちた。
咄嗟に魔獣避けの匂い袋を取り出し、袋の口を破って叩きつける。
粉末が飛び散り、魔獣は怒ったような声を上げた。
その隙に片手で短剣を抜き、腹を抉ろうとしていた足を切り落とす。
血が飛び散り、シノレに降りかかる。
「――……っ!!」
血を浴びた瞬間、ぞわりと、皮膚の裏側に蠢くような妙な感覚が走った。
息ができず、気持ちが悪くて堪らない。
立っていられないほどに不快で、それなのに、一周回って奇妙な恍惚感すら覚えさせるような。
何とも言い表し難い、ぞっとする感触だった。
「これ、ばっかりは、慣れないんだよね……!!」
神経が高ぶっているからか、押し寄せる怖気がいつもより強い。
一瞬意識が飛んでいたらしく、我に返った時には直ぐ側まで迫られていた。
振り下ろされた嘴を躱し、そのまま魔獣の胴に突き入れ、両手で力を込めて押し留める。
抵抗できたのはそこまでだった。
刃が動かず、抜けない。
それどころかじりじりと押し込まれそうになる。
子供程度の体躯に反して、力は屈強な男並みだ。
手を伸ばせば届く距離になったその顔と、寸時睨み合った。
緊張と疲労で腕が震えそうになる。
シノレは一介の子供だ。
接近されれば力の差が歴然と出てしまう。
短い拮抗の末、魔獣は凄まじい金切り声とともに頭ごと嘴を振りかぶり、こちらを突き刺そうとしてきた。
瞬間、どっと、何か鈍い音と共に魔獣の体が揺らいだ。
鬼気迫った様子の魔獣は目を見開いたまま、ゆっくりと全身が傾いでいく。
後ろへ倒れ込んだ、その奥からゆらりと聖者の姿が現れた。
後ろ首に刺さった短剣が引き抜かれ、更にぐちゃりと、濡れた音を立て眼球に刃が突き立てられる。
魔獣が何度か痙攣し、動かなくなるまでそれは強く押し込められていた。
その断末魔の下から、呻くような声が聞こえてくる。
「……シノレ……」
剣が抜かれると同時に血が――他の生き物には有り得ない、ぎらついた色の血が迸り、びしゃりと聖者の衣を汚していく。
場違いにも、その様を花のようだと思った。
蒼白な頬と、純白の装束に、生々しく血が飛び散る。
そして放たれた声すらも、血に染まったように淀んでいた。
「……仰るとおり、この世は歪みきっています。
原罪に塗れ、地獄と化した地の果てにあっては、神の威光など届きもしない」
血塗れの姿で、そんなことを宣う。これが本当に聖者なのか。
シノレは気圧され、動けなかった。今まで感じたことのない畏れだった。
先程までとは別人のようだった。
一切の不純物を除いたような、神聖さを人の形に凝らせたような、取り澄ました静謐さは消え失せている。
眼差しに声に、揺らいで滲み出ているそれは、何かに対する激情だ。
シノレにはその正体が分からず、ただ気圧されるばかりだった。
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