第42話 ただひとつの鍵

短剣を握り締める。

返答によっては本当に刺すつもりだった。

とにかく教団の柵も何もない場所で、二人きりになりたかった。

積もりに積もったものをぶつけたかった。

言えば言うほど、鬱憤が募っていく。

シルバエルで体験した物事が連なって頭を巡り、シノレの喉から怒声を吐き出させた。


「勇者なんて、一体何を望んでるわけ?

ただの酔狂?

出任せのお遊び?

なんで僕だったの……

あんたのために喜んで死ぬ教徒なんて、幾らでもいただろう!?」


大声は狭い馬車の中に反響し、軋んだ耳鳴りのような余韻の後には静寂が残った。

怒鳴りつけられても聖者はまるで動かず、ただ密やかに、浅い呼吸の音を鳴らす。


「……私のために、死ぬ、教徒……?」


何が気に障ったのか、聖者は唇を微かに歪めたようだった。

歪んだ唇から、淡々とした声が落ちる。


「私のために身命を擲つかどうかなど、瑣末事です。

そのようなこと、考慮するにも値しない」


そこで聖者は一度息をつき、頭巾の向こうから激しい目でシノレを見据えてきた。

これまでとは打って変わった、燃えるような眼光に息を呑む。


「シノレ。貴方でなければなりませんでした。

それは私自身にも、どうにもならぬことです。

何故なら貴方は。貴方が。私の、この八年で唯一の」


言葉は不自然に途切れる。

指が震え、更に頭巾が引き下ろされて表情が影に隠れる。

シノレは何故か気圧されて、続きを催促することも忘れ固唾をのんだ。

暫しの沈黙の末、聖者は低く、殆ど絞り出すように囁いた。


「……私がやっと見つけた、ただひとつの鍵です。

教団ではない。私自身に貴方が、絶対に必要でした。

だからこうして着いてきた。

何処なりと、貴方が行くところへなら付き従いましょう。

殺すというならば、それも仕方がない――貴方には、私を殺す資格があるからです」


「…………それは、どういう……、……っ!?」


言葉は続かなかった。不意に馬が甲高く嘶くのが聞こえ、馬車が大きく揺れた。


「っ!?何……」

窓から外を窺うと、南の方角の空から妙な影が幾つか迫ってきている。

しかも形状を見るに、あれは。


咄嗟に優先順位をつけ、御者台に飛び移った。

とにかく、馬だ。ここで馬に暴走されるのは非常に不味い。

そして次に、上空の敵から身を隠すことだ。

幸いここは森林のため、ざっと見渡しただけでも良さそうな場所が幾つかある。


「数は一、二、三……いや、四か」

取り乱して暴れ出す寸前の馬をどうにか制御して、目についた目的地目掛けて一目散に駆けさせる。

草が多く深くなっていくのも構わず進み、より緑の濃い場所を目指す。


何とか追いつかれる前に、密集した木々の下に辿り着き、深く地面に溜まった木陰に馬車ごと飛び込んだ。

鬱蒼とした葉と枝の連なりと、その向こうに広がる空で、毒々しい色彩が舞っている。

中々止まないけたたましい鳴き声に顔を顰める。


(……厄介なことになった)


普段なら、そして運が良ければ息を潜めてやり過ごすという方法もあるだろうが。

生憎「使って」しまったばかりだ。

おまけに辺りに人気はないとは言え、こんな大声だ。

誰かしらに気付かれたら即座に討伐隊が組まれるだろう。

そうなれば聖都に注進が行くのも時間の問題だ。


「だとしたら、ここで何とかしないとなあ……」


一度ため息をついて馬車内に戻り、座席下の収納を引っ張り出す。

襲撃やらの非常時に備えて、こういうところでは相応の準備がしてあるものだ。


「……うっわ、こんなのもある」


思わずそんな声が漏れた。

けれどこれは好都合だ。

目についたそれを手に取り、他の品定めも終える。

そうしている間聖者に呼ばれた気がしたが、非常事態なのでそんなことには構っていられない。

再び外に出て、物陰に潜む。鳴り響く声に顔を歪めつつも位置を推定し、隠れながら移動して、やがて相手を視界に収めた。

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