第31話 教主と指揮者

「皆、ご苦労でした。また一つ、地上に神の教えが知れ渡りましたね」


スーバでの一晩を過ごし、更に一日かけてシルバエルに戻った一同を迎えたのは、出発時と何も変わらぬにこやかな教主だった。


窓から見える日は、既に落ちつつあった。

場は大神殿ではなく接見用の館の一つ、その応接間である。

上座に腰掛けた教主の後ろには数人が控えている。

中でも一際目立つのは、前回大神殿への入場を促した灰色の髪の大男だった。


帰還の挨拶を述べた指揮者一人ずつに労いの言葉をかけ、その労りは望んでいないのにこちらにも向いてくる。


「シノレ。君もこの度はよく励んでくれたようですね。

叙階の儀ですが、予定通り明後日に行うこととします。

今日明日は、よく体を休めておくよう」


相変わらず穏やかだが起伏に乏しい、思惑が窺い知れない声だった。

その声で、今最も名前を聞きたくない人物に言及してくる。


「君のことを、聖者様が心配なさっていましたよ。

人心地ついたら、顔を見せて差しあげると良いでしょう」

「…………はい」


嫌だ、などと言えるわけがない。

なるべく嬉しそうな笑顔を頑張って維持した。


「猊下。後日、幾らかお時間を頂けるでしょうか。

何かと気にかかることがございましてな」

「ええ。ルダク、後ほど改めて報告を聞かせて下さい。

ですが今日はもう遅い。疲れたでしょうし、まずは体を休めなさい」

「有り難い。戦場の空気は老骨に堪えますからな」

「ラザンも、疾く奥方に顔を見せてあげなさい。

エルクも、メレナが待っていることでしょう。

今日はもう良いですから、各々寛いで疲れを落としなさい」


何気なく、もののついでのようにエルクに声をかける教主を、思わず不躾に観察してしまう。

この二人は腹違いとはいえ兄弟関係のはずだが、口調は驚くほど淡々として静かなものだ。

弟の初陣やそれに伴う不調について、何ら思うところはないようだった。

穏やかな教主からも伏し目がちの少年からも、これといった葛藤や確執は感じられない。

どちらかと言えばこの空気は、疎遠な他人同士の距離感だ。


(……ワーレン司教が普段物凄く大人しいのも、正嫡で教主の兄に憚っているというのがあるんだろうな)


ワーレン教は制度として重婚が認められている分、嫡子と庶子で生まれながらに上下が決定しているところがある。

エルクはワーレン一族の男子だが、使徒家ではない母から生まれた庶子である以上教主になることはない。

因みにラザンが、エルク相手に砕けた物言いを使っていたのもこのためだ。

父親はともかく母親の血筋が使徒家よりも劣る上、主君として戴く可能性が無いからああした接し方ができる。

ワーレン本家筋の嫡男が相手であれば、例え赤児相手だろうと恭しく接しただろう。

使徒家の価値観、序列とはそういうものだ。

その時、教主の背後の大男が声を発した。

「……猊下、そろそろお時間です」

「ああ、分かりました。

それでは下がりなさい。通達があれば追って知らせます」


そうして退出した指揮者たちは、外で待ち構えていた付人に囲まれて散っていく。

エルクは何か声をかけたそうにしていたが、周りに引っ張られていった。

一人残されたシノレは深々と溜息をつきたいのを堪えて、背筋を伸ばした。


(…………あの聖者に、会わないわけにはいかないだろうな。

とりあえず朝になったら、誰かに取次を頼んで…………)


思うだけで気が滅入る。

全く、他の面々は家族なり、気心知れた者に会えるのだろうに、どうして自分ばかりがこんな悪寒を味わわなければならないのか。

内心不満たらたらになりながらも、背筋を伸ばして歩き出した。


「とりあえず、寝よう」

踏み出しながら零した声は、我ながら疲れ切っていた。



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