第28話 熱狂と惨劇の音

そんなこんながあっても、何事もなく太陽は巡り朝が来る。

その日はやや寝不足気味だったが、上面だけはいつも通りにして、シノレは血腥い通りを闊歩していた。

足を向けた区画は特に被害が酷く、建物の半分近くが倒壊していた。それぞれ別の家の瓦礫が、半ば重なり合うようになっている。


傾斜を描き、外壁を背にしたその一帯は鎮圧が粗方済んで尚、粘り強く抵抗を続けていた。

寧ろ追い込まれるほど抵抗は激しくなる一方で、こうなってはもう自棄なのだろう。

教団もそれに小細工なしの真っ向勝負で応じている。

紛争の中心からは少し離れているが、ここにも雄叫びやら鬨の声やらが聞こえてきた。早くも気が滅入る。


(それにしても、何か変な感じ)


シノレはこれが初陣だし、大規模な戦についてそこまで知悉しているわけではない。

しかしこういう場合有効なのは相手の熱狂を冷まし、心胆を折るような小細工や裏工作だと思う。

無論正気を失った相手には無意味なことも多いが、一応試しておこうと仕掛ける気配もない。

死物狂いの相手にこういう力押しは、妙に非効率的な感じがする。

そもそも主導権は最初から教団が握っているのだから、向こうから屈服してくるように謀略を仕掛けても良さそうなものだ。

だが、今回の教団にその意志は無いようだった。


だが何もかも、時間の問題だった。

日が昇りきって程なくして遠くで大歓声が上がり、鎮圧の終結を知る。開始から四日目の昼前、完全にエレラフは陥落した。


そこからは最早恒例の、暴力に酔った人間たちによる娯楽の時間が始まるだけだろう。

あまり関わり合いになりたくない。そう思ってなるべく人の少なそうな道を歩いていたのだが、嫌なところに通りがかってしまった。

シノレは足を止め、溜息をつきそうになる。

辺りには罵声と石が飛び交っている。広場に引き摺り出された者たちが次々と首を落とされ、一つ転がる度に熱狂的な声が上がる。

盛大な狼煙が上げられ、煙が青空を炙るように立ち上っていく。


「汚らわしき異教徒めが、地獄に堕ちよ!!」

「卑しき下郎共が、猊下への不遜と忘恩をあの世で悔いるが良い!」


繰り返しの罵声は、不意に辺りを割いた大声に束の間途切れた。


「黙れ!!地獄に堕ちるは貴様らもだ、匪賊ども!!」


その声を発したのは一人の男だった。

昂然としたようにすら見える面持ちで、引き立てられていながら堂々たる風情がある。

きちんと身なりを整えれば押し出しの良い人物だろうと思わせる、しかしあからさまな狂気を浮かべた男は、教徒の只中で高らかに喚き立てた。


「己で考えず、教主に惨めに餌を乞うのみの犬共がっ!!

我らは戦った、その先が地獄というのなら喜んで其処へ赴こう!だが、貴様らの末路も我らと同じであるぞ!!」


数秒、辺りが水を打ったように静まり返った。

やがて空気に僅かな火花が散り、次の瞬間爆発的な怒号とともに石礫が降り注ぐ。

もう何を言っているのかも分からない――言っている本人たちでさえ多分分かっていない。

尚叫び続ける男の声はあっという間に埋もれて潰えた。


本当にもう、何もかもうんざりだ。だがそれだけでは留まらなかった。

身を潜め、足音を殺し、なるべく人に会わないよう歩いていたのに、横から声をかけられる。


「これは勇者殿。……あちらへの参加はなさらないのですか?」

立ち止まり、敢えてゆっくりと向き直ると、見知った顔があった。

前絡んできた片割れ、それも聖者に心服しているらしき方だ。


(……使えるかもしれない)

相手は既に幾人も殺したようで、血塗れに汚れている。畳み掛けてくる前に、シノレは口火を切る。


「……こんにちは。実は聖者様に、内密に言いつけられた用事がありまして」


案の定相手は反応し、俄に浮足立った様子を見せた。

問い質す声もやや上擦って落ち着きを無くす。


「何と、聖者様の?それはどういう要件ですか、こんな時に……」

「特別な祈り、とだけ言っておきます。

……本当は何一つ口外してはならないのですが、敬虔な貴方であれば聖者様もお許し下さるでしょう」

「む…………そうですか。そういうことなら、私も黙っておきましょう。気をつけてお行きなさい」

「ええ。失礼します」


(ちょろい。聖者様様だね、全く。こんな馬鹿げた言い草が通るんだから……まあ、あの聖者だからだろうけれど)


数日振りに聖者の姿を思い出す。

あれは本当に、何かの託宣、常人には分からないような何かを感じていると、そう思わせるものがあるのだ。

「聖者様」の一言を出せば大抵の教徒を鼻白ませ、躱すことができる。

もう何度も使った手だった。そのことについて、聖者自身から何かを言われたことはない。


遠ざかっていく教徒の後ろ姿を見送り、シノレはまた歩き出した。背後からは相変わらず、熱狂と惨劇の音が聞こえてきた。

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