第27話 代償

その頃シノレは黙々と丘を降りていた。エルクに、何と言葉をかけていいのか分からなかった。


「……あの、子は……」


か細いその声に、ため息をついて返す。後味の悪さが蟠った。

実際に手を血で染めたことがないと言いつつ、所詮実態などこんなものだ。

それで逐一心を痛めることはもうできないけれど、かといって何も感じないわけではない。


「連れて逃げるのは絶対無理だった。

石柱に縛り付けられていたし……気づいていないだろうけれど、物陰から僕共々狙われていたよ。

妙な挙動をすれば二人して死んでいただろうね。悪いけれど、僕にできることは何もなかった」


実際あのままなら、どうなっていただろう。ふとそう考える。

あの場で屍を晒していただろうか。それとも――どちらにせよぞっとしない事態だ。助けて貰ったと、そう思う。


不意に、隣の気配が肩から離れるのを感じた。


「ワーレン司教……?」


シノレから離れた銀髪の少年は、その場で少しふらつくも踏みとどまり、小さく咳き込む。

その様子にシノレは暫し躊躇うが、手を伸ばして薄い背中に触れた。


「…………ありがとう。少なくとも僕は、ああしてくれて助かった」


エルクはそれに答えず、ただ「……話の、続きをしましょうか」と返した。一呼吸置き、更に顔色が青褪める。


「猊下は、こうも酷いことを……本当に、知っておられた上で、ああ仰ったのでしょうか。

……このようなことが起きると承知の上で……」

「それは……僕には分からないし、君の方がよく分かると思うんだけど」


教主と会ったことなど数えるほどしかないシノレに、その胸中など推し量れるはずがない。

ただ、それでも敢えて私見を語るのなら。眩いばかりの大神殿に佇み、エレラフの浄化を宣言した教主の姿を思い出す。

教主は例え、今のエレラフにいたとしても、どれほど陰惨な光景や死に様を見ても、あの微笑を崩すことはない気がする。


しかし、流石に口にするのは憚られた。

個人的な印象で、他人の身内についていい加減なことを言うわけにはいかない。

代わりに悲嘆に暮れ、今にも崩れ落ちそうな少年の様子につい口出しする。


「……それについては、下手に追求しない方が良いと思う。

実際、そこまで心を痛めるようなことでもないよ。命に優先順位があるのは当然のことだ。

教団の場合、教徒と領地を守るのが最重要ということで一貫している。

それは外部には時として悪辣だけど、内部の者には頼もしいだろうし、こんな時代にあって得難いことだろうと思うよ」


どうにか教団の美点を捻り出して擁護をしてみるものの、シノレの立場では真情を込めて言うことは難しかった。

必然口調も渋々としたものになる。

それが伝わってしまっているのか、エルクは言葉もなくただ俯いた。


「……始まりは、誰が間違えたことなのか。本当に、どうして、世界はこんな姿になってしまったのか」


「人が原罪を犯したからでしょ。教徒の論理とか、僕が君に言うのも馬鹿馬鹿しいけど」


それがワーレン教の教義にして本質だ。

長い沈黙が流れ、やがて顔を上げる。その顔にはもう初対面の時の、大人しいばかりの繊弱な面影はなかった。


「僕は故郷を好きですし、猊下を尊敬申し上げています。

これまでの僕を護り、形作ってきた教徒の秩序と安寧。互いに助け合い、安んじて暮らせる日々。

……その代償として、行われてきたことがこれなんですね」


そこで深く、息をついた。


「……守ることは殺すことの裏返し。僕はワーレン一族として、それを知っておかなければならなかったのでしょう」


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