第26話 一代限りの使徒家

固まって遠ざかる人影を、残されたラザンは困ったような、案じるような顔で見送っていた。

ルダクは相変わらず、感情の読めない笑顔を崩さない。


「…………困ったものですな、エルク様にも」


やがてルダクが、静かにそう口にした。

ラザンも困ったようにぼやく。


「此度の鎮圧が始まって以来、眠りも食も、殆ど取れていないようだと報告を聞きます」

「儂の方には、逆徒どもの血を浴びて目を回してしまわれたとの報せが来ましたぞ。

初陣なのですから、多少は止むを得ないでしょうが」


そこで二人は口を噤む。

短い沈黙の後、再び気まずげに口火を切ったのはラザンの方だった。


「ううむ、だが……無論、今決めつけるのは早計であろうが……

しかし猊下の弟君ともあろう方が、あのような様子では、些か」

「……まあ、同胞ではなし。

致し方ないのやもしれませんな」


そうやり取りしながら、袖についた虫でも払うように手を振り、忍んでいた者たちを引き上げさせる。

万が一、シノレが異教徒ではなくこちらを襲ってきた時の用心のために、控えさせていた者たちだった。

少女も縄で引きずられていき、その気配も消え失せ、朝の庭は平穏な静寂を取り戻す。

「はて、さて。どうやらあの勇者殿も、中々に強情な質のようですな。

ザーリアーの者の薫陶を半年に渡り受けたはずですが……

やはり余所者は宜しくない」


ルダクが冷ややかに放ったその言葉に、ラザンはやや狼狽えたように口を挟む。


「い、いや、あれも見どころはそれなりに……

無論改善点は山とございますし、とりわけ肝要な教団への恭順はまだまだ足りませぬが」

「そう。知識も武勇も礼節も、全ては猊下への恭順あってこそのものです。

……まこと、聖者様は何をお考えであられるのか。

口さがない者は、以前からの顔見知りであったのではなどと嘯きますが、どうなのだか」

「……あの御方の胸中など、徒人には測り兼ねるものでしょう。

ですが、天に遣わされた御方です。

……俗な推測で推し量るべきことではないかと」


そう言うラザンの声音には、珍しく、畏怖と言うべき感情が滲んでいた。


彼らの纏う純白の装束が風に揺れる。当たり前だが、それは決して軽々しいものではない。

上質な布を重ね、ワーレン教を表す天秤と家紋を象った意匠を中心に様々な装飾を凝らしたそれは、使徒家の生まれにしか許されない装いだ。

何処の生まれとも知れぬ身でありながらそれを許された聖者は、元は教団の人間ですらない。

ある日突然教団領の辺境に現れ、視察に訪れた先代教主と出会い、瞬く間に特殊な立場を与えられた。

もう八年も前のことだ。

その特例を「一代限りの使徒家」と、一部の者はそう呼んだ。


突如巻き起こったその流れに、当時使徒八家は動揺し、憤慨した。

それはそうだ。

どの家にも代々血と教えを受け継ぎ、教団の興隆を導いてきた自負がある。

教団の中でも選ばれた教徒であるという矜持がある。

そこに、いきなり現れた異分子を快く受け入れられるはずもない。

通常ならば当然そうだ。


だというのに。

いざそれを前にして、その存在が神の奇跡であると、天が遣わした恩寵であると主張した、先代教主のその言葉に誰一人として反論できなかった。

そうであるかもしれないと、誰もが思わされてしまった。

その存在に利用価値を見出した者もいれば、恐れ疎んだ者もいる。

けれど、誰も聖者を排斥することはできなかったのだ。

それが真に神の使者であれば、教徒として取り返しのつかない罪を犯すことになる。



そして迎えられた教団で聖者は増長するでも暗躍するでもなく、誰とも付かず離れずの距離を保ってきた。

五年前に教主が代替わりしてからは尚更、死んだように沈黙していた。

その沈黙を破って初めて求めたことが、かの勇者を迎え、側に置くことだったのだ。

そこに何か、特別な因果を探りたくなるのは人の性であろう。


「だが、あの勇者殿は聖者様とは違う。

有無を言わさず我々を説き伏せるようなものは持っていない。

多少見栄えのする容色を除けば、どこにでもいるような貧弱な童に過ぎません。

まして、ああも敵に甘いとあっては甚だ不安を感じます」

「正しく、それは御尤も……

ですがあれもまだ半年なのですし、生まれつきの教徒のようにはいかぬでしょう。

長い目で見てやることも肝要かと」

「ラザン殿は寛大でいらっしゃる……

この度の猊下の思し召しについても、さようにお考えで?」


二人の指揮者は、探り合うような視線をぶつけ合う。

今回のシノレの随行に当たっては、教主から彼らにも密命が下っていた。

それで課された任務は戦の場でシノレを監視し、見定めることである。

彼らにとっては、エレラフなぞよりそちらの方が遥かに重要だった。

だが、この分では些か報告し辛い。

いやそもそも、教主にとってシノレが使える方が望ましいのか、或いはその逆なのか、それさえ判然としない。


「……あの御方と聖者様は、中々、微妙なところですからな。

此度のご用命も、どういった思惑がおありなのか判然としないところがございます」


「如何にも。

それから……特に言いつけられてはおりませんが、エルク様の件にも、触れぬわけにはいかぬでしょうな。

……全く、ヴェンリルの若君ほどになれとは言いませんが、もう少し傲然とあれぬものか。

この頃の若人の生態は難解、この老体には複雑怪奇です」


「ああ、そう言えば報せがありました。

あの悪童も暇を持て余して、ここに来たい来たいとごねているそうで。

あれのことだから長引けば本当に来かねませんし、悠長にしておられませんな」

「そうですなあ。速やかに残りの反乱分子を潰さねば……」


ラザンはこの三日で初めて疲弊の表情を浮かべ、眉間を揉んだ。

ルダクも心なしか遠い目をする。

悪鬼だの狂犬だのと囁かれる、使徒家随一の問題児のことを思えば誰でもそうなる。


……閑話休題。

見る限りシノレは不埒な逆徒を殺し回ることもなく、隙あらば情をかけるような甘ったるい言動ばかりしていた。

それに加えて先程の顛末だ。

この際率先して異教徒を殺せるかどうかはどうでも良い、結局は使徒家の要求に従えるかどうかだ。

逃げられてしまったが。

そしてその手引をしたのがワーレン家の一人とあっては、立場的に無理に引き止めるわけにもいかなかった。

最早事態は混沌としていると言わざるを得ない。

制圧されたエレラフの街並みを眼下に、暫し二人して密かに頭を悩ませた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る