第17話 独り言
(――――……知識がない内は、世界はただの平面に過ぎない)
自分が何かも知らず、溝鼠同然の有り様で過ごしていた日々を思い出す。
無論、あの頃の自分と眼の前の少年を比べられるものではないが、それでも。
シノレには奇縁で得た師がいた。
けれどエルクは、どれだけ周囲に敬われ奉仕されようと、本当に知りたいことを教えてくれる存在はいないのだ。
(そう言われると…………何だかなあ)
エルクは背筋を伸ばし、承諾されるまでは頑として帰らないという姿勢だった。
それに深々とため息をつく。
もういい。窮地に立たされたらその時はその時だ。
何なら尻尾を巻いて逃げれば良い。
「誰にも口外しないと、誓えますか。
僕は名誉とか懸けられても信じられませんが。
何しろ育ちが悪いもので、担保となりうるのは命だけなんです。
そういう場所で育ちました」
「――はい。誓います。
破った場合、君に殺されても構いません。
そうまでして、君の話を聞きたいと思っています」
「…………分かりましたよ、もう。
独り言を言えば良いんですね?」
「ええ。敬語も止めて下さい。独り言なんですから」
「……じゃあ言うけど。本当、何から何まで狂っているね、教団って」
固辞したかったが、そうするとまた押し問答の繰り返しになる気がする。
こうして薄暗い部屋の中、奇妙な密談の時間が始まった。
「僕は生まれた時から教団で育ったので、何がどう狂っているのか分かりません。
ですが、君からはそう見えるのですね。どうしてですか?」
腹立ち紛れの、挑発に近い言葉だが、エルクの反応は静かなものだった。
それにやや毒気を抜かれてしまう。
「……まず、その前に。エレラフについてどれだけ知っている?」
「十年前、先代猊下が教団領に組み込んだ都市だと。
異教が多数派を占め教化に長年従わず、遂には猊下の慈悲を裏切り反乱を起こすに至ったと聞きました」
「成程間違ってはいない。
でも、それだけでもないと思うよ。
僕が聞き、考えた限りでは――教団はエレラフに慈悲なんて一片も掛けていない。
……今から言うことは、ただ僕にはこう見えるというだけのことで、真実なんかでは絶対にない。そのつもりで聞いてね」
「分かっています。
情報がどんなものであれ、最終的な判断をするのは自分です。
教徒の情報も君の情報も、僕には得難い判断材料ですから」
「うん、じゃあ始める。
……スーバとエレラフは、元は親しい隣人だった。
同じ騎士団の民として」
「ええ。共に騎士団の庇護の元、それなりに穏やかな関係にあったのですよね。
そして十年前、騎士団との抗争の舞台となったのがこの二つの地方だったと聞いています」
「そう。そして知っているだろうけれど、近年の騎士団は年々弱る一方だ。
辺境まで整備の手は回らず、天候の変動で収穫量が落ち込み、強制的にそれを取り立て……どんどん事態は悪化している」
「そうです、一部の地方では貧しさを余儀なくされていると聞きます。
スーバとエレラフも、また。
それをお救いになったのが神であり、先代の猊下であられるのだと――」
「救った、ね。
……まあスーバについては、確かにそう言えなくもない。
実際騎士団の支配下では貧困に苦しんでいたのが、改善されたんだから。
それは僕らがこの目で確認したことだ。
それは偏に、教団を受け入れたから。そしてエレラフはそうじゃなかった」
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