第7話 枢機卿
「ワーレンの。貴様も初陣であるな」
「…………はい。よろしくお願いします」
相変わらず抑揚のない口調だった。
先程の返答はシノレへの、或いは聖者への敵意故かと思ったが、大司教にもこの対応ということは、誰に対してもこんな調子らしい。
そんな少年に大司教は、使徒家以外には絶対に向けないだろう、労りと慈愛と親しみの表情を向けた。
「そう緊張することはない、天は大義をご存知である。
正当なる神を戴く我らに負けなど有り得ないのだから。
まして相手は堕落した賊どもなのだから、初戦には丁度良い。
今回で勘所を押さえれば、ゆくゆくは家名に恥じぬ教徒となれよう」
「…………ありがとうございます。皆様の足手まといにならぬよう努めます」
「遅くとも半年後には楽団の奴原との戦が再燃するのだ。
猊下の御為にも貴様は励まねばならぬぞ」
「……はい、御二方の督励、有り難く頂戴致します。
改めて、宜しくお願い申し上げます」
威勢のいい激励に、少年はぽつりと、表情を変えずに返す。
それだけで寡黙で大人しい人となりが窺えた。
遠目に何度か見かけたことはあるが、こういう性格とは知らなかった。
「――ほほ。宜しいですかな?」
その時、やり取りを目を細めながらひっそりと見守っていた枢機卿が言葉を挟む。
ずっと黙っていた彼が口を開くと、一斉に視線が集まる。
教団に限らず、何処であれ老人というものは尊重されがちだ。
こんな荒廃した世界で長く生きたこと、それだけで尊敬に値するのだ。
故に老人の言葉には他者を動かす力がある。
ましてセヴレイル枢機卿は使徒家本流の教徒、教団の最上位階級である。
彼が言葉を発すれば、口を噤まない者は教団にはいないだろう。
「勇者殿のお出ましで中断したが、そろそろ話を戻しましょう。
……今回のエレラフの鎮圧ですが。
儂としては、主にラザン殿に指揮していただきたいのです」
「滅相もございません。
どうして私がルダク様を差し置いて総指揮など取れましょう。
貴殿の指揮に追随できること、誠に名誉に思っておりますのに!」
ここでようやく、シノレはセヴレイル枢機卿の名前を思い出した。
思い出したは良いが、一生役に立ちそうもない知識だった。
使徒家を名前呼びできるのは同じ使徒家か、余程親しい縁者くらいである。
軽々しく聖なる方々に馴れ馴れしい振る舞いなどすれば袋叩きにされることだろう。
閉鎖的で、良くも悪くも人々の関係が密接な教団領では、周囲から浮く振る舞いは命取りである。
ともあれ、先程まで現場の指揮権の上下について揉めていたらしい。
セヴレイル枢機卿が筆頭指揮者なのは前提として、現場では若者に指揮権を与えようとし、大司教は恐縮して遠慮しているようだ。
この男の場合、恐らく阿諛追従や責任転嫁の駆け引きではなくそのままの意味なのだろう。
幼い司教はどちらにもつかずに静観している。
ワーレン家としては、どちらかについては後々揉めかねないのでそうするしかないだろう。
「いえいえ、儂なぞはお飾りの置物とでも思ってくだされば宜しい。
お若い方々の邪魔をする気はありませんぞ」
枢機卿は、今回の出陣であまりあれこれ口出しする気はないらしい。
カドラスとセヴレイルは使徒家の中でも付き合いが長く、役割の区分が明確なのでそれほど険悪な関係でもない。
武勇を誇るカドラス家を立てるつもりなのだろうし、彼の存在はいざという時の御意見番という意味合いが強いのだろう。
シノレから見ても、この言い合いの行き着く結果は見えていた。
どちらかと言えば単純な大司教が、海千山千の老練な枢機卿に口で敵うはずがない。
あの手この手で言い包められる。
一頻り押し問答した後、大司教は総指揮の役目を受け入れたのだった。
「敵いませんなあ、ルダク様には」
一度腹を決めれば、途端に意欲に火がついたようだった。
そのままエレラフについての話題に移り、指揮者たちが、主に大司教が盛んな意見を出し、いよいよ作戦会議の色を帯びていく。
「勇者殿はもう下がりなされ。
明日からは事態が一気に動きます。よく体を休め、心を整えておくが宜しい」
そんな中でシノレは、ついでのように退出の許可を得て、引き下がるのだった。
シノレは指揮者ではないのだから、挨拶を終えた以上留まる意味もない。
当然の成り行きであった。
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