第3話 指令
何はともあれ、朝食はいつも通りの味だった。
無事腹を満たして教練に向かったのだが、待ち受けていたのは意外な通達だった。
いつも仏頂面の教育係だが、今日は特に眉間の皺が深い。
「……本日の教練は中止とする」
「は、何で…………何故でありましょうか。師範」
いきなりの予定変更に思わず素の口調で問いただそうとして、睨みつけられ言い直す。
来たばかりの頃、言葉遣いについて相当煩く言われたものだ。
言葉を直したシノレに、教育係はため息をつく。
教育係は、艷やかな黒髪に象牙色の肌をした長身の男だった。
如何にも毛並みの良い姿ではあるものの、神経質そうな目つきのためかやや陰険な印象がある。
使徒家を表す純白の法衣はシノレのそれとは比較にならない豪奢なものであり、天秤と家紋を模した意匠があしらわれている。
まるでそれを着るために生まれてきたかのように馴染んでいた。
同じ白装束でもシノレが来ているそっけないものとはまるで違う、隈なく豪奢で凝った使徒家御用達の代物だ。
やはり生まれながらの教徒は色々な意味で違うと、その姿を見る度思わされる。
この男は教団の頂点に君臨する使徒八家出身の教徒、つまり代々の教徒の中でも筋金入りである。
初対面は教団に入らされた当日なので、もう半年の付き合いになる。
そんなシノレの教育係は――ジレス=ザーリアーは、不機嫌そうに上の指示を代弁した。
「お前を今回のエレラフの鎮圧へ向かわせるようにと、猊下の御下命が下った。出立は明日早朝だそうだから、今から準備を始めておけ」
その説明を受け、シノレは突発的に感じた疑問や反発の全てを即座に呑み込んだ。
「猊下の御命令」、その言葉を出されれば最後、一切の口答えをしてはならないと既に学んでいた。
この教団領のど真ん中において、それを言われれば答えは従うか死ぬかの二択であり、抗っても状況が悪化するだけで良くなることは決して無い。
「返事は」
「承知致しました。微力を尽くします」
ほぼ条件反射でそう答えた。
そうしたというのに、また憂鬱そうに息を吐かれる。
「私としても叙階を目前に、しかもお前のような末輩の未熟者を戦場に出したくはないのだが……
そろそろ実戦を経験させてもよかろうとの仰せだ。
くれぐれも猊下の御判断を貶めることのなきように。
……お前の命は聖者様のものだ。こんなことで無様を晒すなど許されぬ」
「はい、肝に銘じます」
「今回お前が所属する隊の指揮者は、カドラス家の大司教殿だ。
指揮者の顔合わせが東神殿の離れで行われている。
今から赴いてよくよく挨拶しておけ。
本来お前如きが気安く声をかけられる方々ではないが、事情が事情だからお分かりくださるだろう。
よく御指示に従い励むよう」
その言い草に、すっとシノレの目の奥が冷めた。
物言いの陰険さはともかく、この教育係が性根の悪い人間でないということは分かっている。
新参者であり、一種の異分子であるシノレの教育係など請け負わされて相当不服そうだが、教育自体は真面目に仕込んでもらっていた。
しかしそれはそれとして、使徒家以外の者を当然のように見下ろす傲慢さが自然に備わっている。
何も彼に限ったことではなく、使徒家の教徒の常態だ。
部外者でありながら認められる例外は、それこそ聖者くらいだろう。
この点において、この男とは一生分かり合えないだろうと思う。
だがそれでも、教団の中では相当ましな方なのだ。
(こいつとも、これが最後なのかもしれないな)
実戦という言葉が反芻される。
これから始まるものは命がけの戦闘だ。
敵が向かってくれば殺すしかない。
当然殺されることもあるだろう。
もしかすれば、二度とここに戻ることはないかもしれない。
「……まあ、それならそれで」
俯いた唇だけで、聞こえないように呟く。不思議なほど心は平静だった。
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