第10話 旅立

 通常の娼館では夜が最も営業が盛んな時間帯だったが、少女達の夜は寝る時間だった。部屋の掃除をして、水浴びで汗と汚れを流し、支給された食事を持って、またあの部屋に戻る。

 朝起きて、午前中は監視下で数人ずつ外に出され自由時間。広場で遊んだり、ぼ~っとしたり、渡される少ない小遣いでお菓子を買ったり。商品である少女達が健康を害するのは、店にとっても損害になるため、案外雑に扱われることは少なかった。

 そして午後から仕事が始まる――。


 タクスが帰ったあとも、青髪の少女は次の客の相手をした。その次も……。きっと明日も客が来る。

 欲望丸出しだったり、格好つけていたり、知人に勧められやって来た純情そうな人だったり、色んな客が来る。でも、遊ばずに帰っていったのは、タクスが初めてだった。

 シズカナル――、決して誰にも教えてはならない場所。両親に教えられた秘密の故郷。少女もその場所へは行ったことがない。

 生まれたときからサカエールの屋敷に住んでいた。綺麗な服を着て、美味しい料理を食べ、広い庭で愛犬と遊び、両親が留守の間はたくさんのメイド達が面倒を見てくれていた。

 幸せに満ちた生活だったから、シズカナルなどという見ず知らずの故郷には全く興味がなかった。

 だが、この世の中の暗部を知ってしまった。暗くて、怖くて、痛くて、臭くて、汚くて、ベトベトして、ジメジメして、自由も安心もない世界。

 もう帰る場所などない。サカエールには屋敷もメイドもママもパパも――、逃げ帰っても迎えてくれるものは何もない。

 でも、あの若い客には行きたい場所があった。故郷シズカナルに行きたいと言っていた。もし、一緒に行こうと言われたら、言ってくれたのなら、差し伸べられた手にすがり付いてしまうかもしれない。

『一緒に行こう』

 そんな幻聴が聞こえてくる。愛想をつかして去ってしまった彼が、もしかしたらまた来てくれるんじゃないかという淡い幻想――。

「さぁ、早く」

 布をめくってタクスが呼び掛けていた。

「ぁ……」

「し~っ……。さ、行こう」

 少女は手を取った。


 レイヒと合流した商店通りは、夜になると人が全くいなくなる。

 夜空の下でようやく少女の姿が確認できた。月光を反射して艶めく青髪、星天を含んだように瞬く青眼、肥沃な大地のような褐色肌。

 タクスは改めて問う。 

「君はシズカナルを知っているかい?」

 少女は静かに頷いた。両親に与えられたロケットを取り出し、眼前に垂れ下げる。

「ルォード……トゥーユ……シズ……カナル。シズカナルへの道を示せ」

 はめ込まれた青石が発した青い光線が、少女の右瞳の表面を小刻みに撫でる。やがて消えると、別の光が青石から浮き出て、方位磁針のように一方を指し示した。その方向は海とは反対、砂漠地帯に向いている。

「ラクダが要るわね」

「その先にシズカナルがあるんだな」

 少女は頷いた。前に父が見せてくれたやり方を初めて真似てやったが、上手くいった。

「あなた、お名前は?」

 レイヒが尋ねる。

「ミセ……」

「行こう、ミセ」

 三人はシズカナルへ旅立つ。

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