第7話 密航(1)
商都行きの港があるのは海に面した城郭都市だけだ。前回の出るのとは逆に、不法に入り込むのは難しい。だが、海に面した部分だけ壁が無い。陸の壁が海まで多少延長されてはいるものの、途中で途切れている。
風の無い夜、馬とはここで別れ、海を泳いで侵入、商都行きの船に忍び込んだ。
真っ暗な貨物室の奥に隠れ、時折見回りが来るたびに、二人は息を止めた。
密航には最適だった凪も、出港においては妨げでしかない。
「剣闘士の前は何を?」
ふいにレイヒが尋ねる。
「……ただの綿花農家だよ。それが突然村を焼かれ、捕まって剣闘士だ」
チサキ国の外縁集落で綿花の栽培をしていた。祖父母に両親、それと年の離れた幼い弟。刺激的ではないが穏やかな生活だった。
それが突然終わりを告げる。夜の暗い時間に村民の三倍の兵士が襲ってきた。あまりにも突然だったため、逃げる発想も怯える余裕もなく、村民全員が反射的に農具を掴んで立ち向かった。
だが、兵士一人一人が訓練を積み、武器と防具を備え、集団戦術まで兼ね備えた軍隊とあっては、一方的な虐殺が始まるのは必然だった。
老齢の者は殺され、働き盛りの者は縄で縛られた。幼い弟が剣で串刺しになって掲げられている光景を、タクスは一生忘れない。
家族がどうなったのか分からず、全員死んだものと考え割り切った。割り切らざるを得なかった。馬車で幾日も運ばれ、タクスが放り込まれたのは闘技場だった。初めて握る剣、この鉄の塊が弟の身体にめり込んだ――。そして今度は、自分がこれを振るう側になる。
最初に対戦した相手は、同じ村の近所のおじさんだった。偶然ではない。通過儀礼である。タクスは同じ被害者同士、おじさんとはこの理不尽を分かち合えると思った。
だが、おじさんは怯えながらも躊躇なく斬りかかってきた。まともに戦えば若いタクスに勝てないと悟り、覚悟を決めていたのだ。
防戦一方のタクスは諭そうとするも、おじさんが手を緩めることはなかった。その猛攻は村を襲った兵士より鬼気迫っていた。
タクスはおじさんの剣を握る右手をははね飛ばした。
――斬ってしまった。おじさんは手首を押さえうずくまっている。心配して駆け寄ると、視界が潰れた。おじさんは溢れる血をタクスの目に浴びせたのだ。
おじさんはまだ生きる気力を失っていない。タクスを突き飛ばし、馬乗りになって剣でとどめを刺そうとする――が、慣れない左手一本では致命傷を与えられない。
タクスは左手も斬り落とそうと剣を振った。振りきれずに、剣が何かに引っ掛かって止まった。――剣先がおじさんの首に埋まっていた。流れ出る血が剣を伝い、腕を伝って、やがて滴り落ちる。
タクスの耳に歓声は届いていない。おじさんの生から死へグラデーションに変化する顔しか見えない。
それからは、数日休んでは試合の繰り返し。戦うたびに相手も強くなり、身体中に生傷が増えていく。殺すつもりは一度もない、ただ生きるために剣を振るい、気付けば九連勝。
そして、九十九戦無敗の男、スパルとの試合が始まる――。
「あの時、俺はスパルの当て馬でしかないんだって思ったけど、もしかしたら、スパルなりに反乱の機会を狙って、長い間耐え続けてたのかも知れないな」
「スパルだけではないわ。あの規模の反乱、一人では行えないはず。多くの奴隷が水面下で協力していたのでしょう」
「上手くいったかなぁ」
「いかないわ」
「え?」
「奴隷剣闘士が外に出てパレードをするのよ。最悪、剣闘士が暴れだしても抑えられるだけの戦力や対策があるはず。軍隊ってそういうものよ」
「……そういうもんかね」
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