一話 月 2
パイロットルームはそこそこ広かった。二十近いリクライニングチェアやシャワー室、トイレ、冷蔵庫などがある。暇つぶしに冷蔵庫を開けてみれば、飲み物とブロック栄養食が詰まっていた。キャンディーは噛み砕いてしまったので、少し何か腹に入れたかったが、これ食っていいのかな。
「おお、飛鳥。それはパイロットなら自由に飲んだり食ったりしていいんだぞ。ブロック栄養食はすげえ味だから非常時以外オススメしねえ」
「うへえ、手ぇ出さないでよかった」
「でも腹減ってたら頭働かねーからな」
言いながら、ケイが一つ栄養食を取り、開封。一本食べて少し顔をしかめた。
「お前も味見するか?」
「ありがと」
一口にちぎったものをくれるので、口の中に放り込んでみた。
「ぶえええっ! まっず!」
まず保存料だろうか。酸味が強い。加えて独特の薬品臭さと、噛むと苦さがあふれ出す。
噛んでいると甘くなるが、これまた口の中で前述した味とがまじりあって、気持ち悪い。パサパサしてそうなのに、不思議と水気は感じる。
「これ、水を追加で飲まない工夫されてあるんだけどさ。味の方をまともにしてほしかったよなあ」
「同感」
「なんだよー、男同士仲いいじゃん」
羽鳥さんがそう言って絡んでくる。
パイロットルームには十五人程度いたが、大体三、四人のグループで固まっていた。
俺はケイと一緒に。だって他が女子しかいねえし。
「魔術師って、女性が多いのか?」
「みたいだな。だからオレ肩身狭かったんだよ。いやー、飛鳥が来てくれてよかったぜ!」
そう思ってない人間が一人いるけど。羽鳥さんがこちらを見る目が険しい。
……ふむ。
「……羽鳥さん、ケイのこと好きなの?」
「は?」「なっ!?」
急な話の振りに驚く羽鳥さんが真っ赤になる。ケイは首を傾げていたが。
「ちょ、な、なんで!?」
「いや、二人の時間を邪魔――」
「わー! ああああ! わぁああああ――――っ!?」
腕を引かれて、壁際まで追い込まれ、強引にラリアットからのヘッドロックを喰らう。普通に痛い。そのまま顔が近づけられ、ぽしょぽしょと話し始める。なんかいい匂いするけど……何故だかそう言う邪な感情は湧かなかった。
「ど、ど、どうしてわかったの!?」
「いや、だって。誰だってそう思うよ、俺とケイが仲良くして嫉妬するなんてそれしか……」
「な、内緒! ね? ね? おねがい!」
「いーよ、別に」
「ほ、ホント!? ばらされたくなかったら、的なこととかない?」
「ねえよ……。仲間だし、家族なんだろ、俺らは。そう思える身内がいなかったから良く分からんけど、そういうことを触れ回ったりしない。大事だもんな、恋って。段階踏んでなんぼだから」
「わ、わかる! やっぱり、手をつないだりとか、一緒に星を見たりとか、そう言う積み重ねとか大事だよね! ちなみに、告白ってされたい方?」
「されたいだろ」
「分かるー! あ、あたしもね、その、ケイから告白されたくて……! あ、でも、余計なアシストとか要らないから!」
「分かってる。君、下手に第三者に絡まれたくないんだろ」
「う、うん……! あんたいい奴ね、かなり。ま、ケイには及ばないけど!」
にしても何だこの惚気。爆発しろ。末永く幸せに暮らした後ででいいから。
真っ赤な顔をする彼女と俺の間に、不審そうにケイが割り込んできた。
「おい、さくら。あんまり飛鳥につっかかんなって」
「大丈夫、ケイ。解決したから。ね、羽鳥さん」
「う、うん! 意外と話分かるじゃない、あんた!」
バシバシと照れ隠しになのだろう、背中を叩きまくる彼女から退避。そっか、そういうことなら何も言わないでおこう。
……ん?
「メッセージ?」
……俺の番号から? しかも三十二通も?
送った覚えも操作した覚えもない。ケイとさくらが覗き込んでくるが、普通しないんだぞそれ。
「誰から?」
「俺から?」
「何で疑問形なんだよ」
「俺が送った覚えが毛頭ないんだよこれが」
「怖っ、ホラーじゃん竜胆君」
「開けてみれば?」
「メルボムだったらどうするんだよ」
「「メルボム?」」
「開いたらケータイがパァ」
と言いつつ、開いてみる。
――『そうだ、深く深く考えろ。無理なことは一つもない。諦めるな。現実を知り、乗り越えろ。お前のやるべきことはなんだ?』
同じ内容のメールが届いている。
「なんだこれ。なんて……あ……ああ……あれ?」
文字を追っていくごとに、胸が早鐘を打つ。焦燥感が俺を燃やしていく。全身から汗が噴き出していく。目の焦点が、合わなくなっていく。
何だ、そんな俺の網膜に焼き付いてる、この映像は。
「愛しています、アスカ君」
博士から向けられる微笑み。
「逃げてください、あなただけでも……」
泣きじゃくる君は、みいちゃん……? 随分と成長している。
「テメェ飛鳥! 何をボケッとしてやがる! 万一にもそんな力があるなら、根底からひっくり返せ!」
オジサンになったケイだろうか。画面越しに、俺を急かす。
「私達のお墓が月だなんて、嫌だよ」
艦長……泣かないでくれ。
「弟は、死なせ、ないぃぃぃぃっ!」
全てを燃やす赤い羽鳥さんの機体。お前は、ケイと一緒になるはずだったのに。
「信じて、いますから……! ワタシを――この家族達を、助けてくれるって――」
幼いままの博士――爆裂するヘカトンケイル。
何もかもが断片的で――そして、一つに繋がったと思った刹那。
鈍痛と情報量に耐えきれず、俺の視界がブラックアウトした。
夢で、繋がった光景を整理することになる。
これは夢だ。何となくわかってしまう。それだけに、目の前の光景を見ていても冷静でいられた。
俺と博士がキスをしている。それだけで、胸に懐かしさが去来する。
そうだ。これは十年後の世界だ。
俺は竜胆飛鳥という名前ではない。羽鳥飛鳥という人間だった。二十歳の時に軍属になって、それで二十七歳になって、それで……シャルルと恋人の関係にあった。同時に、みいちゃんとも恋人になっていて、堂々の二股。しかし、俺達はそれを認め合い、喜び合った。
そう、その日。奇しくも、ケイと俺の従姉の羽鳥さくらの結婚の日に事件は起こる。月で結婚式を挙げた二人に襲い掛かったのは、宇宙怪獣だった。
ヘカトンケイルが初めて月への遠征に出向き、全滅させたはずだった時の戦い。そこで月は平穏を取り戻した――はずだった。だが、その際、一体だけ地下深くに逃れ、根差していた宇宙怪獣が目を覚まし、暴走。月は致命的な被害を被ることになる。
ヘカトンケイルが鎮圧にあたったが、こちらも壊滅。エネルギーを蓄え、進化を続けた個体は強力無比。
このままでは、全滅してしまう。
俺は目覚めた時空跳躍の力を使って、限りなく遠くの過去へ跳んだ。制御できなかったため、子供の頃にまで戻ってしまった。
最初に力に気づいた時は、三秒程度時間をゆっくりにする程度だった。しかし、魔力は強まり続け、一度、十二歳にまで戻れていた。そして刹那に戻ると、十二歳より前の記憶が引き出せなくなっていた。
大幅な時間を超えると、記憶が消えてしまう。それをシャルルに指摘され、以来過去には飛ばないと決めていた。
けれども、俺は使ってしまった。戻ってしまった。奇しくもそれは、記憶がある十二歳の頃だった。
戻る瞬間、十七歳の俺にメッセージを飛ばした。これに気づくように。
記憶をなくすのはこれが初めてではない。
戻るのは――これが三十二度目だった。
三十三回目の俺は、記憶を失くし、竜胆家に保護される形で拾われ、育ってきた。朧げだった記憶が全て鮮明に戻ってくるので、今の状況がどれだけ異常かも良く分かった。
ありえない。通常十八歳での軍属が当然。だが、今は十七歳で軍属で、挙句にヘカトンケイルのファミリーになれてしまっている。
羽鳥という家名はなくなってしまったけど、竜胆という新しい名前が俺にはできて、何不自由なかったからこそ、ここに来れた。
戻るうちに、俺の中にとある感情が芽生える。
――そうだよ、深く考えない方がいい。無理だって無理。諦めろ。現実を知ろうぜ。
一人で勝手に摩耗して、ボロボロになっても、運命は変わらなかった。
ヘカトンケイルは破壊され、シャルルもみいちゃんも死んでしまう。従姉も、義兄になるはずのケイも……誰も彼も死んでしまい、俺だけが生き残り、俺だけが同じ記憶を追体験する。
行動を変えたこともあった。ヘカトンケイルに関わらないパターンもあった。敵対存在として対峙することもあった。別の艦隊に所属したこともある。
もう諦めていい。涙ながらにそう訴えたシャルルの記憶もある。
未だに俺は、未来を変えられず。それでも、一つだけ掴んだ事実。
――俺がまだ軍属ではない、十七歳の頃に行われた、月での掃討戦。
この戦いがトリガーになっている。だから、なんとかして十七歳で俺も軍属になる必要があった。
だが、跳ぶごとに記憶の断片化が酷くなっていく。十二歳まで戻れるのはもうこの一回で最後だろうとシャルルも言っていた。
今はどうだ。軍属で、十七歳で……月での討伐戦に、俺も行ける! 記憶がなかったのに、もうこれ以上のめぐりあわせは存在しないだろう。そしてもう過去へは跳べない。断片化し過ぎた記憶が消えてしまい、意味がなくなるから。思い出せないのならば、恐らく軍属とも無縁だろう。今回みたいなイレギュラーでもない限り。
だから――こんなことをしている場合か?
目を開けろ。
運命を、宿命を――捻じ曲げる時間だ。
正真正銘、ラストチャンス。
絶対に――助け出して見せる。この家族達を……!
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