第5話 これからの方針

 衝撃的な事実に、しばらくの間、意気消沈していた。その間、黒猫は何も言わなかった。私がしっかりと受け入れるのを待ってくれているのだと思う。

 何とか事態を全て飲み込んで、黒猫を見る。


「……分かった。私に魔法と魔術を教えて。そうしたら、ここから抜け出せるんでしょ?」

「そうよ。それじゃあ、ようやく裏世界について詳しく説明する……前に、自己紹介をしましょうか」

「あっ……そういえばしてなかったね」


 起こっている事が事なので、頭からすっぽ抜けていたけど、黒猫の名前を私は知らない。同じく、黒猫も私の名前を知らない。そんな状態で森を歩いていたのだから、おかしな話だ。まぁ、あの時は夢だと思っていたから、そんな事を気にもしなかったと言えなくもない。


「じゃあ、私から。私は、栗花落水琴。水琴で良いよ」

「水琴ね。私の名前は……そうね。師匠って呼んで」

「教えてくれないの?」

「というよりも、今の名前がないのよ。これでも野良猫だから」


 確かに、飼い猫ならともかく、野良猫なら名前がないのも分かる。


「それに、名前自体転生毎に変わるから、どれで名乗れば良いのか分からないのよね。一番初めの身体の名前なら、アリスよ」

「可愛い名前」

「弟子にも言われた事があるわ。だから、師匠って呼びなさい。これまでの弟子達にも、それでしか呼ばせていないわ」


 せっかく可愛い名前なのに呼んではいけないらしい。あまり可愛い名前で呼ばれるのが好きじゃないのかな。最初の身体が格好いい美人系の人だったとか。


「自己紹介も終えたところで、今度こそ裏世界について説明するわね」

「うん」


 あの時から止まっていた話題にようやく入れる。


「この世界は、表世界である現実の反対側にある世界よ。ただ、勘違いしてはいけないのが、一部の地形は似ているけど、元の世界と同じような世界ではないという事。分かりやすく言うのなら、異世界というところかしらね」


(異世界……そういえば、昔、漫画を読んでいて、誤植で『異世界』が『伊勢か』になってて、異世界転移したはずなのに、伊勢に誘拐されたみたいになっていたものがあったっけ……)


 異世界という言葉から、昔読んだ漫画のことをふと思い出した。こういう事を思い出せるくらいには、心に余裕が生まれているのかな。その要因には、ひとまず安心出来る家の中にいるっていうのもあると思う。


「水琴。ちゃんと聞きなさい」

「あ、うん」


 師匠には、すぐに見抜かれてしまった。洞察力が高いみたい。それとも長年の勘みたいなものなのかな。


「でも、表と裏なら大体同じになってるものじゃないの? 何かそういうイメージになっちゃうんだけど」

「そうね………例えば、ここに紙があるでしょ?」


 そう言って、師匠が棚から紙とペンとインクを取り出してテーブルに置いた。当然だけど、これも魔法を使っている。


(何か年季を感じるけど、使えるのかな?)


 ちょっと心配になるけど、何も問題はないみたい。インクも普通のインクっぽい。まぁ、あまりインクについて詳しくないから、普通なのかどうかよく分からないけど。


「ここに適当に何かを描く」


 師匠が紙にインクを付けたペンを走らせ、適当な模様が出来上がっていた。幾何学模様みたいな規則性のあるものじゃないし、本当に適当に書いたのだと思う。


「この状態で、表と裏は同じかしら?」

「ううん。模様があるかないかで違う」

「模様じゃなくて、私なのだけど」

「えっ……?」


 どうやら、師匠には絵の才能はないみたいだ。言われも、師匠には見えないし。


「……取り敢えず、それは良いわ。同じ下地ではあるけど、猫が描かれた表と何も描いていない裏で全く違うでしょう? これが表世界と裏世界。だから、表の東京にビル群が作られていても、裏の東京に当たる座標には、そんなものはないって感じになるわ。こっちでも開発していれば、似たような感じになっているかもしれないけれどね。因みに、表世界と同じような別世界の事は鏡世界と呼ばれているわ。鏡に映したように似ている世界だから、名付けられたものよ。そして、ここからが重要な話。表世界と裏世界の入口の作り方になるわ」

「作り方……」


 本当に重要な話だ。私がそれを出来るようにならないと表世界に帰る時期が大きくずれる事になるから。


「方法は簡単でいて難しいわ」


 師匠は、魔法で動かしたペンで紙に穴を開けた。


「この通り穴を開けるの。紙に空いた穴と違って、世界間に開けられた穴は自然に塞がっていくから、何度も自分で開けないといけないのが、面倒くさいところね」

「じゃあ、私達がこっちに来た時も同じような穴が出来て落ちたって事?」

「大体合っているわ。ちょっと違うのは、今回裏世界に落ちたのは、事故みたいなものという事ね」

「事故?」

「ええ、あの時、水琴の魔力、私の魔力、呪いの魔力が掛け合わされて、大きな魔力の暴走が起きたのだと思うわ。それが起きるだけの要因はあったから」

「私が言霊を使ったから?」


 師匠の話から考えると、私の言霊が原因になったと考えるのが自然だ。


「そうね。言霊によって、短命の呪いが分離した際に私達の魔力が混ざり合ったのだと思うわ。私も意識がはっきりとしてはいなかったから、推測でしかないのだけどね」

「それをもう一度やれば、また開く?」

「可能性はあるけど、止めなさい。そもそも短命の呪い自体は解いているし、同じ事が起こるとは限らないわ。もっと危ない事だってあり得るのよ。そもそも言霊自体危ないものなんだから」

「そうなんだ」

「そうよ。ともかく、この穴を作り出す事が水琴の目標よ。あっ……」


 師匠が口を開けて固まった。猫だから、ただただ可愛いだけなのだけど、さっきのカワードボアとの事もあり、何だか嫌な予感がする。


「失念してたわ」

「何を?」

「ここが、表世界の日本の座標じゃない事よ。そこが、魔力が暴走したという推測を立てた理由でもあるの。本当に稀な事だけど、魔力の暴走で裏世界へと飛ばされる人は、昔もいたのよ。その時、表世界での座標と裏世界での座標が大きくずれていたの。ここは、表世界で言うヨーロッパの座標よ。大体だけどね」


 それを聞いて、再び頭が真っ白になる。ここがヨーロッパという事は、日本とはどのくらい離れているのだろう。時差が九時間くらいあるみたいなことしか分からない。もっと地理を学んでおくべきだったかも。まぁ、こんな事態想定していなかったから無理だけど。


「えっと……つまり?」

「私達は裏世界を移動して、日本の座標まで戻らないといけないのよ。そうじゃないと、この場から表世界に戻ったら、ヨーロッパのどこかに出る事になるわ」


 そんな事になれば、不法入国になって色々と困る事になる。裏世界にいましたとか、魔法について言っても、理解してくれるとは思えないし、私はヨーロッパ圏の言語を一つも喋れないし、何なら英語も怪しい。

 ただでさえ、表世界に戻るのに時間が掛かるという話だったけど、裏世界での移動時間も含めないといけなくなった。


「移動時間だけで三ヶ月以上は掛かるわね。途中で危険地帯とかもあるから、迂回ルートを考えると、さらに掛かるかもしれない……ただ、急ぎたいところではあるけど、一ヶ月は、この場での授業よ。生き残る術を覚える必要があるから」

「……うん」


 これには頷く事しか出来ない。どうしてとか何でとか我が儘や文句を言う事も出来るけど、それをしたところで何も変わらない。師匠だって、意地悪でこんな事を言っている訳じゃない。今の話で、私の事を考えてくれている事もよく分かるし。


「はぁ……思っていたよりも、かなり不味いわね……ごめんなさい。すぐに帰してあげられたら良かったのだけど……」

「ううん。正直、裏世界だとか魔法だとか化物だとかで色々と混乱したけど、師匠が私の事を考えてくれていたっていうのは分かったから」

「そう言ってくれると、こっちも助かるわ」

「……ねぇ、この裏世界に住んでいる人はいないの? ここは師匠の家なんでしょ? 師匠みたいに家を建てている人がるんじゃ……」


 師匠が家を持っている事から、他の人も同じような事をしている可能性があると思い訊いてみた。私のこの質問に、師匠は難しい顔をする。


「可能性はあるわね。でも、協力的かどうかで言えば、ノーと答えざるを得ないわね。裏世界に常駐する魔法使いは、異常者が多いから。ほぼ必ず対価を要求してくるわ。そして、十中八九、私達には応えられないものよ。下手したら、水琴の身体を要求してくる輩もいるかもしれない。同じ魔法使いでも、本当に信用出来るのは一握りと思っていなさい。何かしらの改革が起こっていたら分からないけど、用心するに越した事はないわ」


 元々魔法使いがいた時代に生きていた師匠が言うのだから、そうなのだろう。マッドサイエンティストみたいな人達が多いって事なのかな。


「裏世界では、他人を信じすぎてはいけないって事だよね?」

「そういう事よ。まぁ、表世界でもある程度は同じではあるけれどね。」


 師匠は、私の安全を第一に計画を建ててくれている。もしかしたら、私の事を巻き込んだと罪悪感を抱いているのかもしれない。実際には、私が勝手に首を突っ込んだだけなので、そこは気にしないでも良いのに。


「それじゃあ、私は、食料を取ってくるわ。ここには調味料くらいしかないから。奥に寝室があるから、水琴は、少しでも休んでいなさい。かなり消耗しているでしょう。埃は積もっていないし、布も清潔なものだから、そこは心配しなくて良いわ」

「う、うん。でも、私も手伝った方が……」

「駄目よ。護身用の魔法も使えないんだから。さっきのカワードボアがいる場所で探すのよ。危険過ぎる。この家の周囲は絶対に安全だから、私が許可を出すまで、ここから出ない事。ああ、トイレはあっちの扉よ。じゃあ、ちゃんと休むのよ。分かったわね?」

「うん……」


 私が頷いたのを見て、師匠はドアノブにぶら下がる事で扉を開けてから出て行った。外開きだから、外から扉を蹴って閉めている。ドアノブにぶら下がっている姿は可愛い猫そのものだった。師匠的には、頑張って開けたのだろうけど。


(今は、足手纏いか……あのカワードボアみたいな化物がいるから、当たり前か……)


 私は師匠に言われた通り、奥にある寝室に入った。中には、大きめの本棚と少し大きめのベッドが置かれているだけだった。そのベッドも、本当に劣化も何もしてなくて、柔らかい清潔な布のままだった。

 枕に頭を預けると、仄かに花の香りがする。もしかしたら、ここを使っていた時の師匠の匂いなのかな。その匂いを嗅いでいると、少しずつリラックスしてくる。同時に、急に瞼が重くなっていった。そして、ブレザーなどを脱ぐのも忘れて、あっさりと眠ってしまった。

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