第2話 これは夢……

 見渡す限り暗く黒い空間。そんな場所で、女性が鎖に繋がれていた。その鎖は雁字搦めで女性に絡みついていた。そのせいで、鎖が女性の身体に食い込んでいた。女性は苦しそうにしている。

 だけど、次の瞬間、鎖が段々と解けていき、最終的に全ての鎖が砕けた。解放された女性は、その場に降り立つと、視線をある方向に向ける。それは、私がいる場所だった。


『ありがとう』


 女性の綺麗な声が響いた。女性の容姿と声に覚えはなかった。だけど、その女性が、私に感謝を伝えているという事だけは、覆しようのない事実だった。ただ感謝を言われる理由は何も思い付かない。


────────────────────


『……い! ……なさい! ……起きなさい!』


 頭の中に響く女性の声で、私は目を覚ました。まだ意識はぼんやりとしているけど、その中で目を開く。


「痛っ……」


 目を覚ましてすぐに気付いた事は、身体中が鈍く痛む事だった。その痛みで、崖から転がり落ちて、崖下の地面で意識を失った事を思い出した。骨が折れている感覚はなく、打ち身による痛みだと思う。


『今の魔力じゃ、これくらいが限界ね。でも、生きていて良かったわ』


 再び頭の中に声が響いてくる。さっき私を起こした女性の声と同じものだ。でも、その声の主を知らない。どこかで聞いた事があるような気がするのだけど、すぐには出てこなかった。


(頭を打ちすぎて、幻聴が聞こえてるのかな? 身体はともかく、頭はかなり不味い状態かも……)


 痛みに耐えながら、ゆっくりと身体を起こす。そして、周囲を見回したところで、何か違和感を覚える。


(あれ? ここって……いや、その前に声の主だ)


 違和感の前に、頭に響く声の主から捜し始める。だけど、周りのどこを見ても、人の影すらなかった。


「やっぱり、幻聴……?」

『違うわよ。しっかりと聞こえているものだから、安心しなさい』

「!?」


 もう誤魔化しは出来ない。確実に私の頭の中に声が響いていた。それも私と会話をするような形だから、私の声を聞いているという事になる。


「どこ……か……ら……」


 さすがに、頭に人を飼った覚えはないので、絶対に周囲にいるはずという風に考えて、周囲を更に見回していた際、ふと下の方に視線が向いた。そこには、先程まで私が抱えていた黒猫の姿があった。

 崖から落ちた際にどうなってしまったのか確認出来ていなかったけど、怪我もなく無事なようだった。


(ん? 怪我がない?)


 気になる事があったけど、黒猫が私の方をジッと見ているので、すぐに思考が途切れる。ジッと見られたから、私もジッと見ることでしか応えられなかった。


「ここよ。私が、頭の声の主。もう念話を使わなくても、大丈夫そうね。生きていて良かったわ」


 黒猫が口を開けて、そんな風に鳴いた。いや、鳴いたのではない。はっきりとそう喋っていた。猫が喋っていた。


「ね……ね、猫が……喋ったあああああああああ!!? 痛っ!?」


 あり得ない事態に直面し、黒猫から距離を取ろうとしたけど、身体が上手く動かず後ろに倒れてしまった。痛めている背中を打ち、鈍い痛みが走る。


「気を付けなさい。骨折はしていなかったけど、あちこち打っているんだから。回復したと言っても、自己治癒能力を高めただけだし、本調子で動くには早いわよ」

「???」


 自分の眼を疑っていたけど、何度見ても、はっきりと黒猫が喋っている。私の耳には、黒猫の口から発せられる声が、しっかりと届いている。


(私の気のせいでも幻聴でもない。だって、猫の鳴き声の方は全く聞こえないし……)


 この点から、鳴き声が喋り声として聞こえているわけではないという事も確認出来てしまった。


「な、なるほど……まだ夢って事だね。ふふ……痛みを感じる夢か……質が悪いなぁ」


 信じられない事が起こる場所は、大抵は夢の中だ。少なくとも私の中では、そういう認識だ。夢を夢と認識出来る明晰夢の可能性もある。私自身、何度か明晰夢を見ているのだけど、それでも説明出来ない部分も存在した。それが、痛みだ。

 何度も見ている明晰夢の中でも、こうして現実のような痛みが走るものは、私も見た事がなかった。


「夢だと思いたいのは分かるけど、夢じゃないわよ。現実を受け入れなさい。正直、ここでゆっくりとしている暇もないのよ」

「……どういう事?」


 現実として受け入れるかはさておき、今は黒猫の話を聞いた方が良さそうだ。夢の内容を理解出来る可能性があるのに加えて、ここで馬鹿みたいに喚いていても仕方ないと思ったからだった。


「崖から落ちたのは、覚えてるかしら?」

「うん……身体は痛いし、それは現実であった事だと思う」


 私は、夢の中で痛みを感じている理由に、現実でも痛みを感じているからという仮説を立てていた。過去に目を覚ましたのは、それだけ強い痛みだったからで、痣が出来ているくらいの痛みでは、夢でも感じる可能性はあるという考えだ。かなり苦しい考えではあったけど、それでもしないと私自身が受け入れられなかった。


「その時に、私達は裏世界に入ってしまったのよ」

「裏世界?」


 黒猫の口から都市伝説にありそうな名前が出て来た。でも、裏世界という話に納得出来てしまう点があった。それは、私達が今いる場所だった。

 私は崖を転がり落ちた。だが、どこを見回しても、私が落ちていたはずの崖の存在がない。あるのは、ただの急な坂道だけで、頂上も私から見える場所にある。

 そして、恐らく一緒に落ちてきているはずの鞄とかもどこにもなかった。誰かが、私を背負って移動したという事も考えられるけど、それにしては周囲に人の気配がなさ過ぎた。目の前の黒猫では、私を運ぶなんて事は無理なはずだ。例え喋るような黒猫でも。

 それらを考えると、今いる場所が裏世界というのも嘘ではないと考えられてしまう。まぁ、夢の中だから、そこまで突っ込んでも仕方ないのだけど。


「知らないの? 私達が普段住んでいる世界は表の世界。その裏には、別の世界があるのよ。あっ、鏡の世界とは違うわよ?」

「いや、鏡の世界とか言われても分からないし……」

「そうなの……? 言霊を使っていたみたいから、てっきりこっちの住人かと思ったけど違うみたいね。確かに、それなら猫が喋ったくらいで驚いているのも納得だわ」


(猫が喋るのは、どんな環境でも異常事態だと思うけど……夢の中でも、私は見たことないし)


 私は、心の底からそう思ったけど、口には出さなかった。黒猫が話すであろう大事な話から逸れると考えたからだった。


「表世界の常識の一部は、裏世界では通じないわ。何が起きてもおかしくないと思っていた方が良いわね。その中でも一番に気を付ける事は、こっちの世界の動物よ」

「動物……?」

「詳しく説明したいところだけど、今は移動を始めましょう。話は動きながらでも出来るわ。歩ける?」

「ちょっと待って……」


 私は、ゆっくりと身体を起こしていく。背中や腕、足が少しだけ痛んだけど、歩けない程ではなかった。それに全身に痛みを感じているのに、やはり目が覚める予感はなかった。


(もっと鋭い痛みじゃないといけないとかかな? なるべく早く目を覚ましたいんだけど……一緒に歩いたら、途中で覚めるかな?)


 そんな事を考えながら、身体が問題なく動く事を確認する。


「大丈夫そう」

「じゃあ、行くわよ。ちょっと遠いから、なるべく急がないとね」

「待って。行くって、どこに行くの?」


 まるで、目的地があるというような口振りに、少しだけ困惑していた。


「ここが私の知っている場所で間違いないのなら、私が昔使っていた家があるはずよ。そこまで向かうわ」

「昔使っていた……猫の住処?」


 猫が住む場所と言われても、具体的な場所を思いつけずにいた。縁側の下や自動車の下などが真っ先に思い付くけど、住処というには何かが違う気がする。


「ちゃんと人が住む場所よ。私が、人の時に使っていた家って事」

「???」


 黒猫が口にする事に謎が多く、私は混乱していた。裏世界に関しても話として受け入れたとはいえ、まだしっかりとは理解は出来ていない。そこに加えて、目の前の黒猫が人だった時代があると聞いても、そう簡単に飲み込めるような事ではない。


(かなり壮大な夢なのかもしれないけど、それなら私もある程度知識を持った状態にして欲しかったなぁ……本当に夢なのかな……?)


 ここまでの話を聞いて、私も少し疑問に思い始めていた。


「さっ、行くわよ。ちゃんと説明するから、安心しなさい」

「う、うん」


 黒猫の先導に従って、裏世界を歩き始める。夢か現か。私の中で、答えは出るのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る