猫魔女と弟子と魔法の世界
月輪林檎
知らなかった世界
第1話 襲われている猫を助ける
受験に合格して残るは卒業のみとなった三月の初め頃。中学三年生の私、
「はぁ……はぁ……しつこいなぁ……」
走りながら背後を確認してみると、私達を追ってきている二羽の鴉の姿があった。あの鴉達の狙いは、私じゃない。私が今抱えている傷だらけの黒猫だ。
学校の帰り道で、鴉達が黒猫を虐めている現場に遭遇して、考えるよりも早く身体が動いていた。全力で黒猫の元に向かい、すれ違いざまに黒猫を確保し逃げた結果が現状だ。黒猫の回収の際の私の動きは、この上ないくらいスムーズだった。それでも、鴉達は、一切迷う事なく即座に追ってきた。止まらずに黒猫をかっ攫えば、鴉達の動きも一瞬止まると思っていたのだけど、その考えは本当に甘かった。
鴉の執念深さを甘く見ていた。
(てか、どうしてしつこく追ってくるんだろう? この子が何かした……って考えるべきだろうけど……ここまでされるがままになる? 多少は抵抗するでしょ)
黒猫の方は傷だらけなのに対して、鴉の方は無傷だった。空と地という有利不利はあれど、相手に多少の傷を負わせる事は出来るだろう。加えて、襲われていた場所でも、鴉の羽根は落ちていなかった。この事から、鴉達が一方的に黒猫を襲っていたのだと考えられる。
私の頭に、一瞬化け鴉という考えが浮かんだけど、追ってきている鴉は、どこからどう見ても普通の鴉だったので、多分違うと思う。
(体力と運動神経には自信あるけど、もう五分近く走ってる。さすがに、これ以上全力疾走は続かないし……かと言って、建物の中に入るのは、この子がいるから無理。動物病院は調べないと場所が分からないし……今は、様子を見ているみたいで襲ってこないけど、このままだと私ごと襲ってくるかも……こうなったら、山の中に入るのが一番かな)
そう考えた私は、住宅街から逸れていき、近くにある山に入った。街を一望出来るという理由から、観光地として扱われるその山は、安全に登るために整備された道がある。
その道を進んで中腹くらいまで登ったところで、私は道から逸れて、山の中に広がる森に入った。観光地とは言われているけど、森の中は危険だから道を逸れないようにと、両親からは言われていた。その約束を破った理由は、乱立している木々が鴉達を邪魔してくれるからと考えたからだ。だが……
「げっ……!?」
走りながら背後を確認すると、変わらずに鴉達が追ってきていた。木々を避けているその動きに、ぎこちなさなど一切ない。まるで針の穴に糸を通すように潜りぬけていた。
(こんだけ障害物があったら、普通、空に上がるでしょ!? ここで一旦休憩しようと思ってたのに!!)
目論見が外れてしまった事を嘆きながら、道なき道という悪路を走り続ける。舗装された道ではなく、木の根っことかが地表に出て来ているから、それに躓かないように走らないといけない。体力を少しでも回復させようと考えての行動が、さらに体力を削る結果へと繋がってしまった。
さすがに、私も焦りが出て来る。これ以上の全力疾走は、体力的にも厳しいからだ。
「もう……こっち【来ないで】!!」
さすがに、私もこれで鴉達が止まるとは思っていない。だけど、それでも口にせざるを得なかった。心の中で湧き上がっていた願望を吐き出したかったからだ。
でも、ここで私も予想だにしない出来事が起こった。本当に追ってきている鴉達の動きが止まったのだ。木の枝に留まったわけではなく、空中で完璧に静止している。まるで天井から吊された剥製のようだった。
「は?」
あり得ない光景に、私も足を止めそうになった。だけど、すぐに緩めていた足を前に送り出す。今の内に距離を稼いでおいた方が絶対に良いと判断したからだ。そのまま走り続けると、森が終わり崖に出た。
「うわっ!? あっ……そういえば、登れるのは一方向からだけで、崖が多いんだっけ。あまり来ないから忘れて……っ!」
私が状況を整理し始めた瞬間、崖の下から三羽の鴉が飛んで来た。さっきまでの鴉達よりも一羽多い。そして、その目は、どう見ても私ではなく黒猫に向いていた。この事から、この鴉達は、黒猫を追ってきた別働隊だと判断した。
「くそっ……」
結局一切休憩を挟むことも出来ず、崖沿いを走る事になる。元いた森に戻る選択肢はない。理由は、森の方を振り返った際に、空中で固まっていたはずの二羽の鴉達が、再び私を追ってきているのが見えたからだ。あの時空中で静止していたのは、一時的なものだったらしい。結果、現状は崖際を走るしか選択肢がなくなってしまった。
崖沿いを走って逃げている間に、追跡してくる鴉達の数が増えていった。鴉達の数は軽く数えただけでも、十羽以上になっていた。
(さっきの三羽が情報を広げていた? 余計な事をしてくれたよ。本当に! 最悪!)
この状況でも十分に最悪だったけど、何よりも最悪だったのは、目の前にも崖が迫っている事だった。視線を森の方に向けると、そこには木々の間を縫って飛び続ける鴉の姿もある。これでは、再び森の中に逃げる事も出来なかった。
(連携……完璧過ぎない……?)
その結果、私と黒猫は崖際に追い込まれる事になった。崖を背に立ち、鴉達を睨んでから、私は崖の状態を見る。崖と言っても、反り返っている訳ではなく、切り立ったような形をしている。このまま飛び降りても、無事でいられる確率は低い。何とか崖に身体を押し付けて、速度を殺す事が出来れば何とかなるといったところだ。
ここまで走りっぱなしだった私の待ちに待った休憩時間だったけど、事態は好転していない。寧ろ悪化していると言っても良い。周囲は完全に鴉に囲まれている。さらに悪い事に、私を囲む鴉の数は、次々に増えていっていた。
「はぁ……はぁ……何でこんなに……この子が何をしたの!? こんなに痛めつけたんだから、それで十分でしょ!! もう執着しないで!」
私の懇願を鴉達が理解してくれるはずもない。その懇願で私も敵とみなしたのか、鴉達がこちらに向かって突っ込んできた。自分よりも黒猫の安全を考えて、黒猫をしっかりと抱え直す。
「っ……」
服越しに食い込んできた鉤爪が痛い。
このままやられっぱなしでは駄目だと判断し、何とか追い払うため、背負っていたバッグを下ろして振り回した。適当に振り回すだけだったけど、鴉達にも何度か命中している。それでも鴉達は諦めない。次々に私達に向かって突っ込んできた。
「もういい加減に……【この子を解放して】!!」
そう叫んだのと同時に、一瞬目眩がして蹌踉めいてしまう。ここまでずっと全力で走っていた疲れか。あるいは、急に叫んだ事で貧血を起こしたのかは不明だ。ただ、崖際で蹌踉めくという事がどれだけ危険なのかは、私も分かっている。
足を踏み外した私は、黒猫を抱えたまま崖を落ちる。
(やばっ!?)
私は、黒猫をしっかりと抱えて庇う。そして、身体を崖に押し付けて減速を図ったけど、ちょっとした膨らみに身体が引っかかってしまった。体勢を崩して、崖に沿って身体を擦りながら落ちていく事になる。
「っ……!」
落ちている中で、急に坂のような場所に身体を打った。そこから坂を転げ落ちる事になる。途中にある岩などで身体を打ちながら転げ落ちていき、ようやく身体が止まった。
「…………っ……!」
すぐに立ち上がって逃げなくてはと思ったけど、身体中の痛みと意識が朦朧としていた事もあり立つ事すら出来なかった。なるべく頭を打たないように気を付けていたつもりだったけど、完全に全てを防ぐという事は出来ていなかったみたい。
(うっ……どうしよう……逃げないと……)
それでも尚、身体を動かそうとする。でも、身動ぎするだけでも、身体中に痛みが走る。その痛みは、自分が生きているという証拠だった。その事を喜びたいところだったけど、そんな暇はない。ただ、その中で気付いた事もある。それは、鴉の無き声がしない事だ。こんな状態なら、追撃してきてもおかしくないのに。
(あっ……も……もう……意識……も……)
抱き抱えたままの黒猫の無事も確認出来ないまま、私は意識を失った。
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