言葉数の少ない小嶺さん

摩擦

第1話

 夕焼けが辺りを照らす放課後の校舎内。先生からの頼みを断りきれず、授業後に実験室の片付けを手伝っていれば、いつの間にか日も落ちかけていた。

 

「いやー、今日は助かったよ。こんなに時間取らせちゃってごめんねぇ」


「大丈夫ですよ、どうせやることもなかったんで」


 お礼と言ってはなんだけど、と帰り際にお茶を渡され昇降口へ向かう。


 外からは部活動に励む生徒の掛け声が聞こえてくるが、校舎の中は別棟ということもあって人気が無い。

 

 普段とは違う雰囲気に少し心を躍らせながら階段を降りる。


 その時だった。


 人の足音がして、ふと後ろを見返せばそこにいたのは一人の少女。目元がが髪で隠れてよく顔がよく見えないが、リボンの色は赤なので同じ学年らしい。


 俺と同じで誰かから頼まれて手伝いでもしていたんだろう。お互い大変だね、と心の中では声を掛けるが、現実では何とも言えない時間が続く。

 

 後ろを振り向いた俺とその場で立ちすくむ彼女。声の一つでも掛ければいいんだが、急に見知らぬ人に声を掛けるなんて事が人見知りにできるはずもない。


 今まで見たことも無かったんだし、どうせもう会うこともないだろうと、この微妙な空気感から抜け出すために振り向くのをやめて階段を降りる。


 俺が振り向いてしまったばかりに変な空気にしてしまってごめん、と心の中で名も知らぬ彼女へ謝り、踊り場からチラッと彼女を見れば、目線は分からないが顔の動きからこっちを見ている事がわかる。


 やっぱり、さっきので何か怒らせてしまったんだろうか。だとしても、無言でそんなことされるとシチュエーション的に幽霊みたいで怖い。


 夕焼けに照らされた人気の無い校内。一人だけ帰るのが遅れてしまった少年と階段に無言で佇む前髪で顔を隠した少女。確実に最初に幽霊にヤられるモブAじゃないか。


 くだらない事を考えて視線を彼女から戻したその時だった。視界の隅でようやく動き出した彼女。その彼女が階段の途中で足を踏み外すのが見えてしまった。


 咄嗟に体が動いた。体が宙に浮く彼女。その場では受け止めきれないと判断して、階段を一段だけ上がって両手を広げる。


 落ちてきた彼女をキャッチして大怪我になる事は防いだが、部活もしてないヒョロガリが落ちてきた女の子を何の代償も無くキャッチするのは無理らしい。

 彼女の代わりに背中を踊り場に打ち付けたが、頭がぶつかるのは背負ったリュックが防いでくれた。


「……大丈夫?怪我はない?」


「……うん、大丈夫。」


 ジンジンと腰と背中が痛むが、彼女が怪我をしなくてよかった。体の上に乗った彼女の姿を見てそう思う。

 

 安堵すると徐々に感じるのは、彼女から香る甘い香りや、腹に押し付けられた女子特有の柔らかさ。背中と腰が痛みを訴えているというのに、頭の中が彼女の香りや柔らかい感触で染まっていく。


「…そろそろ、起き上がれたりする?」


 俺の脳内がピンク色に染まってしまう前に、早くこの状況から離脱しなければならない。しかし、彼女は首を振って、体の上に乗っかったまま。


 先程から胸に顔を埋めた状態になっている彼女からは激しい息遣いも聞こえてくる。もしかしたら、本当は体のどこかを痛めてしまったのかもしれない。彼女の為にも早く保健室に連れて行ってあげたほうがいいだろう。


「動けなさそうなら保健室まで肩貸すけど、どうする?」


「ん、大丈夫。ちょっとだけ安心して動けなくなってただけ。」


 そう返事をして彼女が顔を上げると、ついさっきは見る事のできなかった彼女の表情、前髪に隠されていた彼女の瞳に目を奪われる。後ろから刺す夕陽が彼女の端麗な顔を照らし、感情を煽る。


 ほんの一瞬の出来事。それだというのに何十秒も経っているように感じてしまう。


 ずっと彼女の顔を見ていたい。そう思ってしまうのは、これが一目惚れというやつだからなんだろう。今まで恋をした経験が無く、他人を好きになる感覚が分からなくても、今この瞬間の自分の感情の名前だけは分かった。


 胸の内で渦巻く今まで感じたことのない感情、これが恋なんだと。


 理解した途端、沸々と湧き上がる感情を抑えて冷静になれるように努める。好きになってしまったからこそ、この状況はさっきよりもまずい。


 体のあちこちから感じる彼女が情欲を煽っており、理性が働いているうちに早くこの状況から抜け出さなければならない。このままいけば理性がはち切れて犯罪者まっしぐらだ。


 「もう大丈夫そうなら、そろそろ……」


 彼女には申し訳ないが、体を動かして立とうとすると、ガッチリとホールドされてしまう上半身。突然の出来事に頭が固まってしまい、動きが止まる。


 なんで、と彼女の方を見れば目の前にあるのは近づいてきた彼女の顔。驚いて目を瞑れば唇に感じる感触。


 現在の状況が理解できずにパニックになる頭に、更なる追撃が来る。


 閉じていた唇をこじ開けてきた生暖かいモノ。ソレが無抵抗な口内を蹂躙していく。数十秒続いたその行為の間、呆然とした俺は彼女のされるがままだった。


 荒い息遣いの彼女がようやく顔から離れていく。彼女の口と繋がる唾液の橋が夕陽を反射している。


「私、小嶺怜こみねれい。今日はありがとう。」


 息遣いを整えた彼女はそう言って、俺の上から離れるとバッグを持って階段を降りていく。

 

 その様子を俺はただただ眺めていた。

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