第15話 口約束

「ああ、久しぶり満桜。会いに来たよ」

 聞きたかったけど、聞きたくなかった声。

「お兄ちゃん……どうして……」

 なんでいるの?体は?病院に居なくて大丈夫なの?

 色んな言葉が出そうになるがどれも違う気がして出てこない。

 そんな私を見てお兄ちゃんは笑った。

「妹が落ち込んでるって聞いてさ。俺はお兄ちゃんだから、励ましに来た」

「私なんかほっといてよ……」

 違うの、こんなこと言いたいんじゃない。

「それは出来ない相談だな」

 そう言って頭を撫でてくる。私の大好きな、私よりも大きな温かい手。

「あ……」

「居場所がなくて怖いのは俺も一緒だった」

 少し寂しそうにお兄ちゃんは話し始めた。

「母親が死んじゃって、感情が分からなくなって……こんな俺は誰にとっても要らない子で。俺の居場所なんてどこにもないんだって思ってた。」

「そんなこと、ない。お兄ちゃんの居場所はちゃんとあるよ……私の中にだって、お母さんの中にだって、透ちゃんも、陽女ちゃん先輩も……」

「ありがとう、満桜。だけど、俺の認識はそうだったんだよ。家族になったばかりの頃満桜が俺に懐いてくれて、一生懸命一緒にいてくれて嬉しかったよ。満桜に宿題を教えるのも、面倒見るのも俺の大事な役割だって思えたから」

「違うの……違うんだよ……」

「分かってる。あの頃どうして俺と仲良くしようとしてたのか……中学の卒業式の日にちゃんと分かった」

「……うん」

「それでもいいんだ、あの頃の俺はそれで救われてたんだから。そんな俺を救ってくれた満桜の居場所が無いなんてことありえないよ」

「だったらどうして、家を出たの……?私たちと暮らしたままで良かったじゃん!」

 こんなこと言いたくない。お兄ちゃんは私のために今ここにいて、私を慰めてくれてるのに。

 なのに私の口からは嫌な言葉しか出てこない。

 助けて……お兄ちゃん……。

「理由は色々ある。透との約束とか、母さんとの約束も……。その中の一つに……あー……えっと……」

 急にお兄ちゃんが言いづらそうにしながら透ちゃんの方を見る。

 透ちゃんは呆れたようにため息をつきながら私を見据えた。

「満桜、あなたのお兄ちゃんはね。私のモノになるために家を出たのよ」

「ちょっ!違うから!ややこしくしようとしないで!?」

 お兄ちゃんが慌てて否定する。

「じゃあ、なんで家を出たのかしら。私には分からないわね」

「……ごほん。まあ、その……満桜が、さ。ベッドに忍び込んできたり、一緒にいると距離が近くなったりしてて……このままだと年頃の男女として良くないかなって思ってさ……?それで母さんに相談してた」

「え?そう、だったの?お兄ちゃん、私のこと意識してくれてたの……?」

「たからこそ私はあなたから遠ざけるために一人暮らしを提案したのよ」

 透ちゃんが少し不機嫌そうな顔をしている。

「確かにその提案に乗ったけど……だからといって満桜の事を俺から追い出そうとは思わなかったよ。何も無い俺の中で大切な思い出だからな」

「………………ごめん、なさい」

 さっきまで胸にあったモヤモヤとか真っ黒な何かはいつの間にか消えてた。

「それと、事故の時には言えなかったけど満桜が無事でよかった。満桜の綺麗な顔に傷痕でもついたら一生後悔することになってたから」

「……女たらし」

「え?」

「お兄ちゃんの女たらし!透ちゃんだけじゃ足りなくて私も一緒に囲うつもりだな!」

 ごめんなさいお兄ちゃん。今だけでいいから、悪い子でいさせて?

 そうじゃないと耐えらんないや……。

 今度お兄ちゃんと会う時は、いつもの私に戻るから、ね?

「ばーか!お兄ちゃんの事なんて、き、き、きら……」

「私1人で独占してもいいのだけど?」

「っ……!大好きなんだからー!!!!!」

 こうして私の後悔は消え……ては無いけど、お兄ちゃんのおかげで軽くなった。

 明日からはいつもの私に戻るね、お兄ちゃん。


 ありがとう。愛してるよ。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 2週間後、無事退院した俺は学校にも行けるようになったが……事故による左での骨折、左目の失明、肋骨のヒビのせいで生活は困難を極めていた。

 料理も満足にできないし、お風呂に入るのも一苦労。

 コルセットをつけたりは透に手伝ってもらって何とかして過ごした。

 瀬戸や寿にも学校では頼りっぱなしだったし、白井さんも色々気遣ってくれて、授業のノートを休んでいた分写させてもらったり。

 そんなこんなでひと月ほどが経ち、ようやくギプスとコルセットが外せるようになった。

「ふぅ……」

「やっと治ったのね。おめでとう」

「ありがとう、透にも色々迷惑かけたな」

「今までのお礼よ。大したことじゃないわ」

「そう言われるとお礼をしづらいな……久しぶりに何か作るよ。食べたいものあるか?」

「炒飯」

「おっけー……うん、食材もあるし出来るの待っててくれ」

 久しぶりに透にご飯を作って二人で食べた。

 その後ソファーでくつろいでいると透が隣に座り、持たれてくる。

「……どうした?」

「私は何をやっているのかしら」

「急だな」

「ゴールデンウィークにみんなで出かける前日、私が早く帰ったのは覚えてる?」

「ああ、うん」

「何か言いたそうだったな」

「あなたが言いたくなったら言えばいいって言ったのよ」

「それが、今?」

「そう……あの日、お墓の前で泣いていたあなたを見た時。少し、怖かったの」

「怖かった?」

「あなたが、どこかへ行っちゃう気がして……もし、あなたの感情が豊かになったら。他の誰かのことを好きになったらと思うと……途端に怖くなった。私はまだ、あの日から進めていないから」

「あの日って?」

「あなたが、私に人生をくれた日。私といるのが心地いいって言ってくれて、責任を取るって言ってくれたあの日。私はずっとあの日に囚われて、縋っているわ」

「だから、置いていかれると思った?」

「そういうこと……我ながら重いわね」

「まだ中学生の女子に残りの人生上げたやつも大概重いだろ。お互い様だ」

「それはそうかも……だから、置いていかないで。一緒に居て」

「口でならなんとでも言える」

「今は、それでもいいから……」

 透と触れ合っている場所が震えている。

 透は怖いんだ、俺が居なくなってしまうと考えてしまうから。

「ずっと一緒に居よう。約束だ」

 本当に、口でならなんとでも言える。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「ええ!?水穏くん、目が見えなくなっちゃったの!?」

 休みの日に母さんの店を手伝っていたら常連の女子大生に話しかけられ、しばらく店に出ていなかった理由を説明するとかなり驚かれた。

「まあ……と言っても左目だけで右は見えるので視界が狭くて不便だなーってくらいですよ」

 まあそれ以外にも色々困ることはあるのだが、敢えて大事にすることもないので黙っておく。

「そっかー……事故ならどうしようも無いもんねー……あ、お姉さんがご飯とか作りに行ってあげようか?なーんちゃっ────ひっ!」

「お客様ー?お兄……当店のスタッフをナンパするのはお控えくださいね?」

「み、満桜ちゃん冗談よ!?冗談!!透ちゃんと満桜ちゃんがいるのにナンパなんてしないから落ち着いて、ね?」

 女子大生がビビっている。

 年上ビビらせるってどんな顔してたんだ妹よ……

 左側に立たれたで満桜の顔は見られなかった。決して怖くて見なかったわけじゃない。左側見れないからなー仕方ないよなー。

「まあまあ、満桜ちゃん落ち着いて。みーくんはちょっとやそっとのナンパについてなんて行かないから」

 ひー姉もカウンターでコーヒーを飲みながらのんびりしていた。

 最近梅雨入りしたせいか雨続きで外で遊べないのでよく店に来てくつろいでいる。

「陽女ちゃんは水穏君への信頼があるねー、お姉さんよりお姉さんっぽいよ。それじゃあ、私はそろそろ大学に戻るからさよならー」

「ありがとうございます。またお待ちしております」

 常連さんを見送り、そのまま店の手伝いを続けること1時間ほど、新しいお客さんがやってきた。

「いらっしゃいま……あれ、先生?」

「ほえ?椎名兄妹?」

 やってきたのは我がクラスの担任、幸乃七だった。

 席に案内して水を持っていく。

「今日はどうされたんですか?」

「今朝は雨が降ってなかったから散歩をしてたんだけどね?そしたら雨に降られちゃって……コンビニで傘を買ったんだけど散歩って気分でもなくなっちゃってね。そのまま歩いて帰ろうとしたらここが目に入って休憩がてらよったって感じかな」

「そうだったんですね、ここは母が経営している喫茶店兼俺たちの家です。」

「そっかそっか……やっぱり私は運がいいね!」

 確かに運良さそうな名前だけども。

「せんせー!こんにちは!」

 他のお客さんを接客していた満桜もやってきた。

「人がお花摘みに行ってる間に楽しそうなことになってるねぃ?」

 ひー姉も御手洗から戻ってきたところのようでグラス片手に席にやってきた。

「みーくん、席移動いいかな?」

「大丈夫ですよ、今は常連さんしかいませんし、雨のおかげか混んではないですからね」

「あら、照空さんも?あなたたち仲良かったのねー!」

「ひー姉とは幼なじみですから、よくこの店きますよ」

「常連でーす」

 先生に向かってサムズアップをするひー姉。

「ふふ……いいなぁ、仲が良さそうで」

「お兄ちゃんと陽女ちゃん先輩と私は仲良しです!あと、今日は居ないけど透ちゃんも!」

「良かった……ゴールデンウィーク明けのあなたたちを見て心配だったから」

「その節はご心配をおかけしました。無事……とは言えませんが体はほとんど回復してますよ」

「怪我もそうだけど……ほら、満桜ちゃんがかなり落ち込んでたから」

「あはは……その節はほんっとーに心配かけました……今はもう元気です!」

「先生、みーくんと満桜ちゃんはそのくらいじゃ壊れたりしませんよ。ずっと見てきた私が保証します!」

「照空さん……ありがとうございます。私はあの時、何も出来なかったから。」

「そんな事ないですよ、先生がいなかったら手遅れだった。」

 あの時の功労者は間違いなく先生だ。

「お兄ちゃんどういうこと?」

「み、水穏くんそれは……」

「もう時効でしょう。満桜、あの時本当はとっくにHRの時間は過ぎてたのに先生が居なかったのはおかしいと思わないか?」

「た、確かに……私自分のことでいっぱいいっぱいだったから全然気づかなかったけど、先生あの時何してたの?」

「そ、それは……あの……満桜さん、怒りませんか?」

「満桜ちゃんが怒るようなことしてたんですか?」

「そうじゃないよひー姉、あの時俺を教室まで送り届けてくれたのは他でもない先生なんだから」

「「ええ!?」」

「ど、どういうことですか先生?」

「そ、それは……あの……えっと……水穏くんから説明してもらっても……よろしいでしょうか?」

「分かりました。あの日の前日、先生がお見舞いに来てくれたんだ。その時、俺と透に満桜の話をしてくれてさ?俺は先生に明日の朝教室に連れていってもらうようにお願いしたんだ。」

「そんなことがあったの……」

「先生が居なかったのは俺を病院に迎えに来てくれて、学校に送ってくれてたから。しかも、教室の前まで来て一緒に入らなかったんだ」

「なんでみーくんと入らなかったんですか?」

「それは、だって……出会ってひと月程度の先生の言葉なんて届かないと思ったからです。満桜ちゃんは水穏くんの事を一番に信頼していることは見ていたらわかりました。だからこそ、本当なら安静にしていなきゃダメな水穏くんをお医者さんにお願いしてまで、教室に連れていったんです……」

 自身の力不足を嘆くように先生は下を向いてしまう。

「せんせー、ありがとね?せんせーがお兄ちゃんを連れてきてくれたから私は復活できたし、こうしてまたお兄ちゃんといつも通り話せるようになったんだよ?確かに、お兄ちゃんの方が信用してるけどそれは私がお兄ちゃんの事を大好きで、ずっと見てきたから。先生が落ち込むような事じゃないですよ」

 教師の前で兄のことが好き発言はよさないか?

「……ごほん。あー、先生俺たちは感謝することはあれども先生を責めたり、ましてや役に立ってないとも思ってません。だから、顔をあげてくださいまだ半年以上あるじゃないですか、来年も先生のクラスになれたらもっと長い。その間に先生の事を教えてください。生徒はそうやって先生のことを信頼していくんですから」

「水穏くん、満桜ちゃん……ありがとう!私は本当に、運がいいわね」

「……うんうん。それでは先生?みーくんが言った通りここは喫茶店なわけですが、何をお飲みになりますか?」

「あ!そ、そうよね!えーっと、それじゃあ、アイスココアをお願いするわ」

 ありがとうひー姉、俺も今ここが喫茶店だということを忘れてたよ……。

「それじゃあ満桜、アイスココアひとつお願い」

「はーい!せんせーまっててね!世界一美味しいアイスココア持ってくるよ!」

「ありがとうございます。楽しみに待ちますね」

「ねえ、みーくん」

 少し楽しそうなひー姉に呼ばれる

「どうしたの?」

「見て」

 ひー姉が指を刺したのは窓の方。

 窓から外を見上げると雨は上がっていて、空には虹がかかっていた。

 つられて先生も外を見る。

「今日は、いい日になりそうですね」

 それは今年一番綺麗に見えた虹だった。

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