転生令嬢の願い事

 王都警備隊と別れ、車両へ戻ろうとすると、豪華なドレスを纏った女性が、姿を現した。クレアス伯爵夫人だ。

 最初に出会った時とは違い、使用人は殆ど引き連れてはいない。


(今まで信頼していた使用人達には、裏切られてしまったものね……)


 こちらがなんと声をかけるべきか決めかねていると、クレアス伯爵夫人が小さな声で話し始めた。


「その……この度は本当にありがとうございました。許してくれとは言いませんが……昼間、私が行った無礼を深くお詫び申し上げます」


「気にしなくていいよ。だって、私の両親が、許されざる行いをした事に代わりはないから。私も両親が行ってきた悪事は裁かれるべきだと思っている」


 クレアス伯爵夫人は確かに私を『魔女』と読んだ。これは許されざる禁忌であるが、同時に両親が行ってきた悪事も事実である。

 それに今回の事件では、クレアス伯爵夫人は完全に被害者――故に私は彼女を咎めない。


「それでも、ひとつ言わせて頂くことがあるとすれば……何事も限度が大切ってことかな」


「それに関しては、今回の件で、本当に痛感したわ。肝に銘じておくわね……」


 手洗いの前で遭遇した際に放っていた覇気はどこへやら。今のクレアス伯爵夫人の声は、子猫の如く弱々しい。


「セシル侯爵夫人……」

「何?」

「貴方……馬鹿がつく程のお人好しね」



𑁍 𑁍 𑁍



 すっかり日が暮れ、夜の帳は、とうに落ちていた。駅周辺のガス灯は暗い夜道を照らし、人々を見守っている。


「予想以上の長旅になってしまいましたね」

「えぇ、本当に」


 やっと辿り着いた終点で、馬車に乗り換え、目的地へと向かう。

 『うたた寝中に膝枕事件』の反省を踏まえ、今度はルイスと向かい側の席に座った。


「シータは疲れましたか?」


「えぇ、疲れたよ。それでも、それなりに楽しい旅路になったからいいかな。ルイスは?」


「僕も満足ですよ。シータとクレアス伯爵夫人の因縁も解決できた上に、クレアス家へ借りを作ることもできましたし」


「ちょっと、ルイス自身は全然楽しんでないじゃん!」


 ルイスから笑みが消え、代わりにキョトンとした表情へと変わる。どことなく子供のようで可愛い。


「まさか……僕は楽しかったですよ」


「その割には、途中から私に推理ショーの主役を譲ったよね?」


「それは……僕は昔から、自分が動くより、台本とステージを用意して誰かを動かす方が好きなんですよ」


 台本とステージを用意して犯罪を裏から操る……それこそ、まさしく『夜烏』のやり方だった。


(全く、これだから天才は……)


「おや、呆れた目で僕を見ないで下さいよ」


「もう……。人を貴方の駒にしたいのなら、どうぞご勝手に、それでも……」


「それでも?」


「どうか、駒を使って悪いことはしないでね……」


「シータ……」


 海辺を走る馬車にて、沈黙が訪れる。そして、気まずい空気が流れ始めた。


 やってしまった。本音を言ったまでは、いいものの何とも言えない空気になってしまった。


(ここは何か話題を振らないと……)


「そうだ。もう一つ言いたいことがあります。両親がセシル家に来た際、貴方はこう言いましたね。『僕は建前より効率を重んじる』と」


「えぇ、言いましたね」


「それって私との恋愛にも言える話ですよね。だって私達は、恋や、婚約の儀式だとか、必要な過程プロセスをすっ飛ばして結婚したもの」


 私達は形式上の夫婦だ。

 つまり結婚までの過程プロセスは必要ないし、愛し合う必要はない。


 なのに……。それなのに、今は形だけでしかないルイスとの関係が、少し虚しかった。


 もう少し何かが欲しい心を満たしてくれる『何か』が欲しい。多分、それは『愛』と呼ぶべき物だ。


「でしたら、手を繋ぐ所からやり直しますか?」


「それは戻りすぎな気がするけど……」


 婚約してから今まで、髪を触られたり、膝枕をされるなど、お互いの肌が接触する機会などいくらでもあった。今更、手を繋ぐところからやり直すのは、少し違う気がする。


「ならば仕方ありませんね」


 ルイスは不敵な笑みを浮かべた。

 そして、私の顎を掴み、そのまま顔を近づける。彼が何をしようとしているのか、気づいた時には、もう既に時遅く、彼の唇がこちらの頬に触れた。

 暖かい感触と共に、ラベンダーのような香りが鼻腔をくすぐる。


「恋愛の過程プロセスを求めるが、手を繋ぐのは戻りすぎ……ならば、これが最適解ですよね?」



 あぁ、そういえば専属メイドであるマダム・アドラーが言っていた。

 大抵の恋人は、舞踏会で仲良くなった後、散歩デートで手を繋いだり、キスをするのだと……。



「ルイス。私の負けよ……」


「おや、今なんとおっしゃいました?」


「何でもないよ。なんでもないからね!」


 


『もし僕を愛して下さらないというのなら惚れさせるまでですよ』


 

 そんな言葉が脳裏によぎる。

 これは結婚初日に彼が言った言葉。

 かつての私にとって『呪い』でしかなかった言葉。


(だって私……もう恋の落とし穴に落ちちゃったもの)




 

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