転生令嬢は子供扱いされたくない

「何が言いたいの?」

「いいえ、何も」

「そう。でしたら私はこれで」


 扇子をしまったクレアス伯爵夫人は、明らかに不機嫌そうな声で呟き、姿を消した。


(やっと全てが終わった)


 肩の力が一気に抜け、そのまま膝から床へ崩れ落ちそうになる。しかし、私の体が崩れるより先に、ルイスが受け止めてくれた。


「ありがとう、ルイス」

「いえ、お気になさらず。それにしてもシータは小柄で可愛いですね」

「ちょっと、子供扱いしないで下さい!」


 立ち上がり抗議しようとしたが、両足に力を入れるより先に、ルイスの両腕が私の背中と膝を捉えた。

 本来ならば、お姫様抱っこと呼ぶべき状況であるが、ルイスとの身長差により、今の私は傍から見れば、父親に抱かれた娘にしか見えない。


「下ろしてください!」

「嫌です。もし、またシータの身に何かあれば、大変ですからね」

「でも……私は、これから御手洗に……」

「でしたら、御手洗まで……」

「運んで頂かなくて結構です!」


 頬を膨らませルイスを睨むと、こちらを抱える腕の力が、更に強まる。


(なんでこうなるのよ……)


 ルイスを救うべく、まずは彼について理解しようとした所までは良かったものの――今の所、彼という存在について分かった事は、本当にわずかであった。


 彼の財力、過去、そして、あの悲しげな目――情報は、これだけ。それ以外は『謎』というベールに包まれている。

 常に浮かべている笑みの下には何が隠されているのか……その答えは誰にも計り知れない。


 それでも私には、一つだけ分かることがある。それは夜烏の正体が、ただの残忍な悪党ではない――ということだ。



𑁍 𑁍 𑁍



 用を足し廊下へ出ると、ルイスが欠伸をしながら外を眺めていた。何気ない仕草だが、子供のように可愛らしい。


「ねぇ、ルイス……」


 喉の奥から何とか声を、振り絞ろうとする。しかし、同時に見知らぬ女性が姿を現した。


「失礼いたします。セシル侯爵様と、その奥方でいらっしゃいますか?」


 現れたのは鷹の刺繍が縫われたエプロンを纏った女性。そばかす一つない白い肌に、お団子に結われた髪。眼光は鋭く、正に鷹のようであった。


「はい。そうですけど……」

わたくしはクレアス家に仕えるメイドであるシルヴィです」


 シルヴィと名乗った女性は、スカートの端を掴んで一礼する。すると、背後から数人のメイドが現れた。

 彼女達が纏っている服は、皆等しく上質であり――血色が良いことからも、十分な量の食事が与えられていることが分かる。


 どうやら使用人を等しく大切に扱っているというクレアス伯爵夫人の主張は、本当らしい。


「先ほどは奥様が失礼いたしました」


(わざわざ、主人の代わりに謝りに来たのね……)


「シルヴィさん。貴方が謝る必要は無いよ」

「ですが……」

「私の両親が、本当にクレアス伯爵夫人の使用人に濡れ衣を着せたならば、謝罪するべきなのはこちらよ」


 シルヴィは目を伏せ、再びお辞儀をする。


「感謝いたします」 


 後方に並んでいたメイド達も一斉に、頭を垂れると、今度はルイスが口を開く。


「ところでシルヴィさん」


「何でございましょう?」


「お見受けしたところ、クレアス家は使用人に対して待遇が良いように見えますね」


「確かに……他の家と比べますと、クレアス伯爵と奥様は私達に対し様々な配慮をして下さっています」


「例えば、どのような御配慮を?」


「そうですね。就寝時間は私達の健康を考えて夜の九時半と決めていらっしゃいますし、それに、毎朝、お祈りの前に、使用人全員に話しかけていらっしゃいます」


「そちらの上質な生地で作られた制服も支給された物ですか?」


「えぇ、もちろん支給された物にございます。クレアス家では、全員に同じ制服を支給しています」


「なるほど。わざわざ使用人全員に、同じ上質な服を支給なさるとは……」


 ルイスが何に対し、疑問を抱いているのか……。それは私にも、なんとなく理解することができた。


 通常メイドの階級は、ハウスキーパーを頂点として、レディースメイドやランドリーメイドなど多岐に渡っている。そして、メイドの階級に応じて、制服の質も変わってくる。

 接客を行う上位のメイドは豪華な制服を、肉体労働を行う下位のメイドは質素な制服――という具合に。


 すなわち、全てのメイドが同じ服を纏っていることはおかしいのである。


「おや、素敵な主ですね。僕が伺いたかった事は、これだけです。さぁ、貴方達は自身の持ち場に戻りなさい。クレアス伯爵夫人の機嫌が悪くなる前に」


「はい。ご配慮、感謝いたします」


 シルヴィが一礼し姿を消すと、他のメイドも後に続いた。するとルイスが、ぽつりと呟いた。


「どうやら伯爵夫人の言葉に嘘はないようですね。彼女は本当に使用人をかけがえのない存在として愛している。とはいえ、人間に対する愛し方というより、ペットに近いですが……」

 




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