転生令嬢は断罪ルートなど受け入れない

 『魔女』


 彼女は私を、そう呼んだ。

 蔑むような目を向けた。


 貴族の階級は概ね五つ。

 上から、公爵、侯爵、伯爵、子爵、そして男爵。厳密に言うと、準男爵なるものも存在しているが、これは世襲貴族ではなく、一代きりの称号である。


 どの階級も中流階級や労働者階級と比べると、一線を画す存在であることに変わりないが、同時に貴族内での身分差も絶対的な物である。


 例を挙げるとするならば、社交界の花形である舞踏会が一番分かりやすいだろう。身分が低い者は、わざと控えめな衣装を選ばなくてはならないし、踊る順番や開場へ入る順番も全て身分を元に決められている。


 つまりクレアス伯爵夫人が、侯爵夫人である私を『魔女』と罵る行為は、もはや『禁忌』と呼ぶべきものである。


「クレアス伯爵夫人――今何とおっしゃいました?」


「あら、聞こえなかったのね。私は『悪魔と婚約なさった魔女様』とお呼びいたしましただけですのよ」


「そう……要は貴方様は、身分制度すら理解できないような教育を受けて来たのね。哀れなこと」


 クレアス伯爵夫人は扇子を閉じ、高笑いをする。


「まさか、可哀想なのは貴方よ。だって貴方のご両親が今まで何をしてきたか…それを証明する手段を私は手に入れたわ。そうすれば、貴方もろとも極刑に処されてお終いよ!」


 「急に何を言い出すの?」と言い返すべく口を開こうとしたが、その前にルイスが両親に向かって放った言葉を思い出す。



――貴方は最近、自身が起こした不祥事を、使用人に濡れ衣を着せることによって解決しようとしましたね?



 ルイスの発言と、両親の性格からしてノックス夫妻は確実に何か罪を犯している――。


(死亡ルート回避の為、セシル家へ嫁いだのに今度は、シンプルに罪を問われて一族もろとも断罪――?)


 嫌だ。こんな結末断じて認めない。

 また回避しなくてはならない結末が増えてしまった……。


「まぁ、確かに、あの二人ならば今まで数えきれないほど罪を重ねていても不思議ではありませんが――少なくとも私には関係の無い話です」


「なんですって?」


「申し訳ありませんが、これは事実です。だって私は今まで悪事の類には関わった事はありませんし、なにより、現在、私はセシル家に所属しています。つまり、ノックス家が断罪されたとしても私には無関係です」


(とはいえ、ノックス家が断罪された場合、兄のアーサーまでも罰を与えられかねないので、極力回避したい結末である事に変わりはない)


 こちらとしては冷静に返答したつもりであったが、眉を吊り上げ、頬を紅蓮に染めたクレアス伯爵夫人は、声を張り上げた。


「まぁ、生意気な小娘――いや、魔女め。あの両親によく似ているわ。本当に意地汚いわね!」


 クレアス伯爵夫人が扇子を振り上げる。


(あぁ……この感覚。どこかで……)


 そうだ。思い出した。

 転生初日の夜。母に呼び出された時。

 母に叩かれそうになった時だ。


 このままだと殴られる――!


 突然訪れた危機的状況に、思考が停止し、頭が真っ白になる。そして、反射的に身を埋め、目を閉じた、その刹那――。


「マダム。僭越ながら申し上げますが――淑女であろう方が暴力など、少々はしたないですよ」


 パシッと乾いた音が響いた。

 恐る恐る目を開き視界に写ったのは、扇子を振り下ろしたクレアス伯爵夫人と――それを受け止めるアーシャ。


「邪魔をするな。下賎の小娘め!」


 クレアス伯爵夫人が、アーシャを睨みつける。まるで蛆虫でも眺めるような目つきで。


「申し訳ございません。マダム。私の責務は奥様をお守りする事ですので……」


「黙れ。黙れ!」


 激高したクレアス伯爵夫人が、再び扇子を振り降ろそうとする。すると、背後から凛とした男性の声。


「これはこれは、クレアス卿の奥方ではありませんか。どうかされましたか?」


 振り返ると、そこに居たのは、使用人を数人引き連れたルイスであった。


「まぁ、これはセシル卿。失礼いたしました。私としたことが――少々、取り乱してしまいました」


 ルイスがいつも通り怪しげな笑みを浮かべる。しかし、笑っているのは顔ばかりであり、目は一切笑っていない。


「では何故取り乱したのでしょうか?」

「えーと、それは……」

「先ほどから僕は、こう言っていますよ。『どうかされましたか?』と」

「それは……」


 クレアス伯爵夫人は口を閉ざし、暫く沈黙する。そして、十秒程経った後、声を絞り出すように語り始めた。


「一年前……私の元使用人が……ノックス伯爵に殺人の罪を着せられ処刑されました」


「それで僕の妻に、この様な真似を?」


「本当に申し訳ございません。どうかお許しください。私は使用人全員を、かけがえのない存在だと思っておりまして……」


「かけがえのない存在……そうですか」


 気のせいであろうか。

 ルイスの声が少し低くなる。

 対しクレアス伯爵夫人は、下唇を噛みルイスを睨みつけた。

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