三章 これってハネムーンですよね?〜烏の羽が舞う

転生令嬢は意地悪な罠にかかりたくない

 午前九時。

 自室の窓を開く。

 すると、暖かい陽光と、夏の始まりを告げるジメジメとした空気が部屋へと入ってきた。

 

 そのままベッドの縁に座り、外の風景を眺める。屋敷の前を見れば、農作物が乗った荷車を、運ぶ農民が集まっていた。

 恐らく、彼等はセシル領の農民であろう。


(春から夏の間――すなわち、現在、農民達は繁忙期であるはずだよな……)


 まもなく八月が来る。

 つまり、狩猟シーズンの到来だ。


 通常貴族は、冬は議会へ集まり、春は舞踏会、狩猟シーズンである夏になれば、狩猟会という形で社交が行われる。


 これだけを聞けば、大体の貴族は、一年の大半を遊びに費やしているように見える。しかし、舞踏会や狩猟会といった社交会は貴族同士で人脈を広げることを目的としており、遊びとは程遠い存在である。


 更に社交会の管理は女主人の仕事。

 私がルイスと出会うキッカケとなった舞踏会は母が開催していた物だ。今度は私がルイスの為に舞踏会や狩猟会、そして晩餐会を開かなくてはならない。


(これから先のことを考えていると、頭痛がしてきた……とはいえ、自由を手にする代わりに、妻として必要最低限の義務は果たすと約束してしまったからな)


 今更あれこれ悩んだところで、後の祭りだ。ため息をつきながら、ドレッサーを覗き込む。相変わらずシータの体――己の背丈は、小さなままであったが、服装だけは既婚女性に相応しい清楚な物となっている。


 現在まとっている厚手のドレスは外出用に作られた物だ。

 普段、この時間は薄手の室内用ドレスを着用しているが、今日ばかりは特別である。

 なにせ、これからルイスと遠出をする――つまり外出用の重いドレスを着なければ、ならない。


 ため息をつきながら窓を閉じると、背後から聞きなれた声が響いてきた。


「これから旅行だというのに、随分と不機嫌だね」


 振り返ってみれば、案の定、開け放たれたドアに寄りかかりながら腕を組むルイスが、困ったような表情で、こちらを見ていた。


「いえ、これから夏の暑さが来ることを考えていたら、憂鬱になってきただけです。旦那様は、相変わらず、ご機嫌そうで」


「当然だろう。なにせ、昨夜、君は一生僕の傍に居てくれると――そうやって、愛を誓ってくれたからね」


「あのー、色々と誇張された状態で記憶していません?」


 ルイスは隣に座ると、口元へ右手を寄せ、そのまま、人差し指を立てる。


「さぁー、それに人の機嫌を表情で伺うべきでは無いですよ……見るべきなのは、瞳孔と動きと呼吸のペース……」


 そして、立てていた人差し指を戻し、右手を私の首筋に当てる。


「それから、心拍数――ですよ?」


 彼から放たれた一言と、迫り来る美しい青の瞳により、呼吸と脈のスパンが早くなってゆく。己の心臓が強く脈打ち、胸を締め付けてゆく。


(この人、やっぱり卑怯だ……)


「もしかして……怖気づきましたか?」


 なんとか言葉を紡ごうと、口を開く。すると、部屋の扉から再び聞きなれた声が響いた。



「もっ、申し訳ありません」


 ドア付近で震えていたのは、おやつだと思われるクッキーが乗った皿を持ったアーシャ。


「まさか、こんな昼間から、なさるとは思っていなくて……大変失礼いたしました」


 顔面が真っ青になってしまったアーシャは、扉を閉め、そのまま立ち去ろうとする。


「待って。何か誤解してない?」



𑁍 𑁍 𑁍



 一通り準備を終え、馬車へ乗り込み、目的地へと向かう。これが他家が主催するパーティへ向かうだけならば、必要な馬車は一台だけで良いが、今回は荷物用に二台馬車が追加される。


 日傘をさしながら、馬車へ向かうと先に乗ったルイスが、手をさしのべてくれる。

 そして、いざ馬車が出発すると、暖かい陽射しと、ルイスから放たれる香水の匂いにより、私の意識はあっという間に夢の中へと沈んでいった。




「起きて下さい。シータ」


 耳元に響くルイスの声により、意識が現実世界に戻る。

 うっすらと目を開け、まず目に写ったのは、紫色の平べったい『何か』。材質からして向かい側の座席だろう――いや、待て、どうして向かい側の座席が至近距離にある?


 違和感により、意識が一気に現実世界へと戻る。そこで初めて、己の体が横たわっていることに気づく。


(いや、ちょっと待って。どうして、座ったままお昼寝をしたはずなのに、体が九十度横になっているの?)


 慌てて体を起こそうとすると、右頬をルイスの物だと思わしき手に撫でられる。


「ほら、早く起きて下さい。お寝坊さん」


 そこでやっと私は、今置かれている状況を把握することができた。

 座ったまま眠りについていたはずであった己の体は、いつのまにか、ルイスの膝を枕にして座席に横たわっていた。


「これは一体どういうことでしょうか?」


 ルイスがクスクス笑う声が響く。


「どうして取り乱しているのかな? 僕はただ、シータが膝の上に倒れ込んできたから、こうやって頭を、撫でていただけですよ」


「私が眠っている間……ずっと?」


「当然でしょう?」


 飛び跳ねるように体を起こす。

 心臓の鼓動が早くなり、上半身に熱がこもる。


「シータの寝顔は可愛いですから……ね?」





 

 

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