【二章完】転生令嬢は月夜に誓う

 しびれを切らした両親が立ち去ると、エントランスホールに静寂が訪れる。傍で控えていた使用人は、屋敷の正面玄関を閉め、踏み荒らされたカーペットを掃除し始めた。


「ありがとう……ルイス」


 小さな声で本音を漏らすと、ルイスは私の腰に手を回し、そのままの方階段へと向かった。そろそろ部屋に戻れという事だろう。


「礼など要りませんよ。夫として当然の義務を果たしただけですから」


 階段までたどり着くと、今度は私の斜め後ろ側へルイスが移動する。これは専属使用人レディーズメイドであるマダム・アドラーから聞いた話であるが、淑女が階段を登る際に、紳士が背後に回る理由は、淑女が万が一足を滑らせても受け止められるようにする為である。


「シータ。これで君は晴れて自由の身ですよ。もう両親の道具ではありません」


「えぇ、本当にありがとうござい……」


 再び礼を述べようとした、その時。

 ルイスの右腕が素早く私の肩を掴む。




「要は僕がシータに何をしようが、止める人は居ない――そうですよね?」



 耳元で囁かれた甘い声に、思わず身をふるわせる。


「趣味が悪いにも程がありますよ!」


 反射的にルイスの腕を振り払い、階段を駆け上がった。背後から「急に走り出すと危ないですよ」という声が聞こえたが無視する。


(私は白百合が何色にも染まらぬよう守ると誓ったわ……でも、あの人は、もしかすると百合ではなく薔薇かもしれない。だって、触れようとする度に棘が刺さるもの)



𑁍 𑁍 𑁍



 すっかり日が暮れ夜が訪れる。

 晩餐を食べ終わった私は、アーシャの為にパンやローストビーフを少しくすねてから、寝室へと続く階段へ向かった。


 なんとか、くすねることに成功した料理を、アーシャに渡すと、黒髪の少女は優しい笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。奥様」

「気にしなくていいのよ。無事に執事や他使用人に気づかれずに、くすねる事に成功したし問題ないわ」


(多分、ルイスには気づかれているけどね……)


 本当に気づかれていたとしても、彼の性格上咎められることは無いだろう。


 階段を三階まで登ると、廊下の窓から、外の景色を眺めているルイスが目に映る。


(月でも見ているのかな?)


 階段を登る足を止め、ルイスの方へ向かう。

 


 月光に照らされた彼の姿は、恐ろしいと感じてしまうほど美しかった。白磁色の肌に月光が反射し、まるでその姿は月下美人のようであった。ブルーの瞳が白磁色の肌に重なり、神秘的なオーラを放っている。


「あの……ルイス?」

「こんな夜分に、どうかしましたか?」


 ルイスは視線を動かさず、そのまま言葉を紡ぐ。彼の態度に変化はない。まるで、昼間、私が彼にした行いなど覚えていないようであった。


「もしかして、一人だと眠れませんか?」

「そんな訳ないでしょう。ルイスと眠った方が余計に眠れませ……」


 そこまで呟きかけたが、口を噤む。


(昼もルイスに対して酷いことをしてしまったのに、また彼を傷つけるようなことを言ってしまいそうになった……)



 本人の言動がどうであれ……助けてくれた人に対して、私は――。


 己の愚行に気づき、顔を伏せる。



(私はルイスを闇落ちから救うために、この場所に居るのだ。それなのに……逃げてばかりでは意味が無いではないか)


 逃げるのではなく、寄り添わなくては。

 離れるのではなく、理解しなくては。


「いいえ。なんでもありません。ごめんなさい、ルイス」


「どうしてシータが謝るのかな?」


 再び顔を上げると、そこにはいつも通り、優しい笑みを浮かべたルイスがいた。

 こちらの身長より、彼の背丈の方がはるかに高いので、月明かりに照らされたルイスの笑みが、より神々しく見える。


「謝るべきなのは僕の方だろう?」


 そして、こちらを見つめる瞳は、少し悲しげだった。


「ねぇ、ルイス。私はルイスと寝床を共にすることはできないけど――それでも、何度、月が落ち、日が昇ったとしても、私は必ず貴方のそばに居るから」


 喉の奥で溢れんばかりの言葉が溢れてくる。しかし、それらの大半は喉元でつっかえてしまう。


「だから、どうか、どうか、そんな悲しそうな顔をしないで。何か思い悩むことがあっても、一人で悩まないで……」


 ルイスの目元が、僅かに緩む。


「あぁ、分かった。だから、どうか君も泣かないでくれ」

「私が泣くわけないでしょ……」


 恐る恐る、己の頬へ手を伸ばす。

 すると、一筋の涙が手の甲を濡らした。







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