腹黒侯爵の囁き

「ただいま。僕のシータ」

「おかえりなさい。ルイス」


 二週間後、屋敷に帰ってきたルイスは、未だかつてないほど、ウキウキした様子であった。

 ゲーム本編に登場したルイスの立ち絵は、どれもすまし顔か、怪しげな笑みを浮かべた物しかないので、信じ難い光景である。


「あーあ、そうだ。留守番をしている間、何も困ったことは無かったかい?」


「えぇ、それにルイスの方こそ、いつもより焦っているように見えますよ」


「僕が焦っているなど……まさか」


「だって、ルイスったら、いつもはスラスラと思っている事を話すのに、今日は随分と言葉を選びながら話しているように見えるもの」


 ルイスが脱いだコートとシルクハットを抱えながら、リビングへ戻る。


(さては、手紙に『次手紙を送る際は、ありふれた文章ではなく、どうか貴方の本音を書いてください』と書いたおかげだなぁ……)


 しょちゅう、ルイスに遊ばれている身としては、一泡吹かせてやったような気分である。

 

「シータの方こそ。僕が居ない間、さぞかし寂しかっただろうに――もう少し、何か言うことはありませんか?」


「私達は形式上の夫婦でしょ? 寂しいわけないじゃない」


「ならば、どうして手紙にあのような可愛らしいことを書いたのでしょうか?」


「あれは……ただ貴方が何時帰ってくるのか……気になったから……」


 恥ずかしさのあまり、手に持つコートで口元を隠しながら振り返ると、ルイスがキョトンとした表情でこちらを見つめていた。


「おや、何の話ですか?」


(気づいていなかったのかよ!)


「あー、いえ。私の記憶違いです」

「そうですか。それは残念です」


 ルイスは少し、苦笑いをしてから愉快そうに目尻を緩める。


「でも、せっかくですし――その話について詳しく知りたいですね」



「私がわざわざ説明しなくとも、貴方の頭脳なら簡単に推理ができるでしょう?」


「いえ、私としてはシータの口から直接聞きたいですね」


(これ、絶対、手紙の最後に書いたメッセージに気づいた上でとぼけてるじゃん!)



𑁍 𑁍 𑁍




 耳をすませば暖炉からバチバチという火花が飛び散る音がする。窓の外を見れば、満点の星空が広がっていた。


 この辺りはガス灯が少ないので、星がよく見える。


 適当に本棚から難しそうな書物を取り出すと、内容は数学書であった。

 数学書全体のうち、半分以上は解読することができなかったが、図形と数式が大量に書かれている。


(もし仮に、この本を解読することができたとしても、内容を理解することは不可能だと思われる)


 しばらく数学書と睨めっこしていると、膝の上に丸い『何か』が、乗った。

 本を閉じ、見下ろせば、ルイスが勝手に私の膝を枕代わりにしていた。


「そんな物を読んでいて面白いですか?」


 気のせいであろうか。言葉のトーンが、いつもと比べて、あどけないというか――子供っぽい。


「いえ、何を書いているのかさっぱり分からないので、楽しみようがありません」


 ルイスが苦笑する。


「それは残念だ」


「ルイスは、これを読んでいて面白いの?」


「まさか。理解は出来ますが、面白くはありませんよ」


 理解はできるらしい。

 さすが、夜烏様。

 ルイスは目を閉じ、右手で顔を覆う。


「僕の叔父は数学者でした。かつて――何も知らない無知であった頃の僕は、彼から様々なことを教わりました。代数学、幾何学、心理学、それから、化学まで」


「あら、賢い叔父様ですね。では、ルイスが今まで学んできたことの大半は叔父様から学んだことですか?」


「そう、あくまではね。彼は本当に大切なことは、何一つ教えてくれませんでしたよ――私の人生において、一番大切なことを教えてくれたのは、スラム街で出会った一人の少女でした」


「ルイスはスラム街に行ったことがあるの?」


「えぇ、昔、労働者階級の服をまとってスラム街へ遊びに行ったことがあります。その時、僕は道端で小さな女の子に会いました。外国人らしき外見をした彼女は、ボロボロになった黒いワンピースを着ていて、ひもじそうに身を埋めていました。そして、彼女を不憫に思った僕は、手元にあった金貨を彼女に与えようとしましたが拒否されました」


「どうして?」


「彼女はこう言ったのです。『私は物乞いではない。だから要らない』と。ですから、僕は金貨をパンに変えて、彼女に与えました。その結果、彼女はパンを受け取ってくれましたが、代わりに貰ったパンの大半を他のスラムに暮らす子供達へと与えてしまいました」


「きっとその子は……彼女なりに『誇り』と呼ぶべきものを持っていたのでしょうね。今頃は何をしているのでしょうか?」


 ルイスが顔から手を離し、ニッコリと笑う。


「それなら、とっくに答えを知っているでしょう?」


 とっくに答えは知っている――つまり、私はその女の子と知り合い……。


「まさか、その子って……アーシャ?」


 そして、ルイスはゆっくりと起き上がり、私の隣に座ると、こちらの頭を撫で始めた。


「正解。よくできました」

「子供扱いしないで下さいよ!」


 反論するべく立ち上がろうとしたが、その前に部屋の扉がノックされた。

 ルイスが「入っても構わないよ」と答えると、執事が一通の手紙を持ってきた。


「奥様宛でございます」

「私に?」

「えぇ、開封してもよろしいでしょうか?」

「構いません」


 執事が封筒を開き、中に入っていた便箋をこちらに渡す。

 手紙の差出人は両親であった。


『拝啓、シータへ

近いうちに、セシル侯爵の元へご挨拶に向かいます』


 実の娘に送る手紙としては、どう考えても短すぎるが、両親の性格を思えば当然かもしれない。むしろ、母に至っては二度と私の顔など見たくは、ないであろう。


「ご両親からですか?」


 傍で、椅子に座りながら、こちらの様子を眺めていたルイスが口を開く。


「はい。近いうちに、こちらへ来るそうです」


「ほう。ですが、シータはご両親と関わりたくはないでしょう?」


「本音を言うと……その通りです」


 こちらがボソリと本音を呟くと、ルイスが椅子から立ち上がる音が聞こえた。そして、再び頭を撫でられる。次は背後から。


「それなら僕に良い考えがありますよ。シータは何も心配する必要はありません。全て僕に任せてしまえばいい」


 そして、背後から正面へ移り、彼の両手が私の頬へ優しく触れる。


「何一つ、憂う必要も、嘆く必要も、君にはありません。ただ、僕の言葉に従っていれば良いのです」


 彼が私に投げかけた言葉は、どこまでも魅力的で、とこまでも蠱惑的であった。

 ただ目を閉じて、言葉に従っていれば全て上手くいくような気がする。


(でも、思考を放棄してはならない。きっと夜烏の代わりに殺人を実行してきた人々――否、これから罪を犯すであろう人々も、同じ過ちを犯してしまうに違いないから)



「分かりました。ですが、何かをなさるつもりなら、法律の範囲内でお願いしますね?」


「相変わらず君は、僕を何だと思っているのですか?」



――だから『黒幕』ですが。何か?





 

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