転生令嬢は決心する

 自室に戻り、窓を開けようとする。

 しかし、部屋の窓は思っていたより、ずっと重くアーシャに手伝って貰わなくては開けることが、できなかった。


 そして、窓の前に、ミニテーブルと百合が入った花瓶を置き、キャンバス代わりの小さな紙や膠を混ぜた岩絵具も用意する。


 全ての用意を終え、百合の前に置いた椅子に座り込むと、どこか懐かしいような――そんな、ノスタルジックな感覚に襲われる。

 墨色の絵の具を、いちばん細い筆にとり、キャンバスに筆を走らせる。


 まずは一本の線を描いて、線のはしから花弁が円形に広がるように描いてゆく。すると、みるみるうちに、小さな髪の上に一輪の百合が咲き誇った。

 他の花も同様だ。


 花瓶を先が切り取られたアーモンドだとイメージして、その中から、バランスよく百合が広がるように描いてゆく。


 六本程の百合が花瓶の中で開花した頃には、いつのまにか一時間ほど過ぎていた。


「お上手ですね。何かコツのような物があるのでしょうか?」


 コップに貯めた水を使って、筆を洗っていると、アーシャが尋ねてきた。


「そうね……これは、私に絵の描き方を教えてくれた方が仰っていたことだけど、複雑な物体を書く時は、頭の中でより簡潔な形に置き換えてイメージするの。例えば……リンゴを描く場合、私は最初に球体をイメージしてするよ。そして、その球体に茎や窪み、それから模様やツヤをつけてリンゴへ変えるの」


「ふむふむ。なるほど……」


 正直、この説明でどこまで伝わったのか分からないが、アーシャは興味深そうに何度も頷いた。


「次は彩色ね。この百合に色をあげないと……」


「何色になさるので?」


「色は――真っ白にするつもりよ。大理石の岩絵具を使うから完全な白にはならないけどね」


「そうですか。私は、てっきり他の色に染めるのかと思いましたが……」


「百合の花言葉を知ってる? 真っ白な時は『純潔』『無垢』『威厳』『栄華』などだけど――オレンジに染まれば『軽率』、黄色に染まれば『偽り』、赤に染まれば『虚栄心』、黒に至っては『復讐』『呪い』へと変化してしまう。私はルイスに――旦那様にそうなって欲しくないと思っている」


「お嬢様……」


 この百合を描く過程で多くの感情が、私の中で発現した。それは『戸惑い』、『憐憫』、『恐怖』、そして『愛しさ』と呼ぶべき感情である。


 私は、ついこの間までルイスを恐怖の対象としか見なしていなかった。

 当然であろう。


 なにせ彼は、いつか私の命をついばむであろう夜烏なのだから。


 そして婚約を受け入れ理由も『死にたくない』という自分本位な物だった。


 彼へ『私は悪徳貴族ではない』ということをアピールできれば死亡ルートを辿るリスクは下がるであろう――これが私の狙いだ。

 更に、あくまで『夫が犯罪者だとは知らない夜烏の妻』を演じれば主人公であるフィンリーに正体を明かされて、王都警備隊に逮捕されるリスクも無い。


 あぁ、それでも――私はもう少し良い方法があるのではないか?


 例えば、彼の闇堕ち自体を防げれば――。


(ゲームのシナリオ? そんな物、知ったこっちゃないわ。こうなったら『夜烏』の誕生自体防いで、ノーリスクで侯爵夫人生活をエンジョイしてやるわよ!)


 覚悟は、とうにこの手に握られていた。



𑁍 𑁍 𑁍



 白百合の絵が完成すると、アーシャが紅茶とお菓子を運んできた。本日のアフタヌーンティーは、杏のケーキとダージリンらしい。


 ケーキを一口食べると、口の中に杏のアプリコットとサッパリとしたクリームが、溶け込んだ。


「我が屋敷のシェフは元々ケーキ店を営んでおられていましたが、旦那様が甘味嫌いですので、今まで本領を発揮できず、がっかりしていました。しかし、奥様がケーキ好きだと聞いておお喜びしていましたよ」


 アーシャがクスクスと笑う。

 やはり、元々器量が良いアーシャであったが、笑っている方が、より可愛らしく見えた。


「そう……それは良かった。さぁて、次は旦那様に手紙を書かないとね」


 あらかじめ用意した紙に、羽根ペンで文字をつづってゆく。



『拝啓、親愛なる旦那様へ

 本日もお勤めご苦労様です。

 私は今日もシータと共に首を長くしながら、貴方の帰りを待っていますよ。

 どうか、病気や怪我もなく、遠征が終わりますように。それと、次手紙を送る際は、ありふれた文章ではなく、どうか貴方の本音を書いてください。


 追記、地下室で見つけたお宝を送ります。

 貴方は、真っ白のままでよろしいかと』


 

 そして、最後に手紙と百合の絵を封筒に入れようとしたが、ここで思い留まる。


(普段、私ばかり遊ばれているもの。たまには仕返しをしてもいいよね?)


 羽根ペンの先についたインクを落とし、筆圧を使い、手紙の端にメッセージを書く。


『いつお帰りに、なられますか?』


 大抵の人なら、このような方法でメッセージを残したところで誰も気づかないだろうが、相手はあの『夜烏』様だ。

 木炭でも使って文字をあぶり出してくれるだろう。


 便箋を入れ、最後に封蝋をする。

 

「アーシャ。これを旦那様に」

「かしこまりました」


 アーシャを呼び出し、完成した手紙を渡す。

 


――遊び心で手紙に施した仕掛けが、どのような結果を呼び起こすのか……この時、私は知る由もなかった。

 





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