転生令嬢は絵の具が欲しい

「はい、チェックメイト」


 昼下がりの図書室。

 その一角で私とルイスはチェスを指していた。


 結果は、五戦五敗。しかも、毎回こちらが優勢になったところで、逆転されてしまう。彼の人柄と、ずば抜けた頭脳を考慮すれば、これは偶然では、ないだろう。


「さぁ、もう一回リベンジしますか?」

「ルイス。まさか貴方、私で遊んでいませんよね?」

「まさか。僕は真剣に勝負をしているよ」


 クスクス笑うルイスの表情は、まるで必死にネズミを追いかける猫を眺めているようであった。


「そういえば君に伝え忘れていたことがあったな……。僕は明日から仕事で、二週間ほど、屋敷を離れなくてはなりません」


「遠征でしょうか?」


 ルイスは侯爵であると共に、軍人でもあった。ヴィクトリアの貴族は、金銭の為に労働はしないが、国民――国益の為になら労働する。国防に貢献することも、その一貫だ。


「はい。ですが、今回は国境辺りにある港へ向かうだけですから、すぐに帰ってきますよ。また僕が帰ってきたら、二人で温泉地にでも行きましょう。それまで良い子にして待っていられますか?」


「子供扱いしないで下さい。それに、寂しくなんてありませんから」


「おや、僕は寂しいか否かまでは言及した覚えはありませんが、もしかして寂しいのですか?」


「違います!」



𑁍 𑁍 𑁍



 翌日の朝。

 メイドに手入れさせたコートと、シルクハットをルイスに渡す。

 すると、あっという間に見目麗しい紳士が完成した。

 相変わらず容姿に関してはパーフェクトな男だ。


「ありがとう。僕の可愛い奥様は、留守番をしている間、何をするつもりですか?」


「絵でも描こうかと思っています」


 転生前――高校に通っていた頃、私は美術部に所属していた。

 同じ趣味を持つ子達と比べると、自身の画力が優れているとは、とても言えないが、風景画なら申し訳程度に自信がある。


「それは完成品が楽しみだ……。ならば、僕の為に一枚描いて下さい」


「ルイスの絵を?」


「いや、題材は好きに選んでくれて構わないですよ」


「絵心に関してはあまり自身がありませんが、それでも良ければ喜んで」


「いいや、技術面は気にしないよ。僕が知りたいのは、君が選ぶ『題材』と『色』だから。じゃあ、君の『解答』が楽しみにしているよ」


 まさかのお題は自由か。

 自由研究の時もそうであったが「何でも良いよ」が、一番難題すぎる。

 そして、彼は『解答』という単語だけ、やけに強調して話していた……なにか意味はあるのだろうか?


「じゃあ、僕はそろそろ行かないとね。遠征中に手紙も送るから、いい子で待っていなさい」


 ルイスはそう言うと、シルクハットのつばをつまんで微笑んだ。


(いい子にって……子供扱いかよ!)



𑁍 𑁍 𑁍



 自室に戻ると、清掃用具を持ったアーシャが待っていた。


「申し訳ありません。お嬢様が戻るまでに、全ての清掃を済ませるつもりでしたが」


「大丈夫。気にしないよ」


「お気遣い感謝します。それと、お嬢様、何か欲しい物がありましたら、何なりとお申し付け下さい。可能な限り早急に手配します」


「そう……なら、絵の具とか筆が欲しいかな」


「絵の具ですか……最近の流行だと鉛入りの物が人気ですね」


「鉛――?」


 そういえば日本画の絵の具にも鉛が使用されていたな――。

 だとしても、鉛中毒の危険性があることに変わりはないし。どうせなら安全な物を使いたい。


「そうか……だったら、自分で作るしかないか……」

「さようですか。でしたら、材料として欲しい物はありますか?」

「あるけど……無駄使いをする訳にはいかないし」


 形式上の結婚相手とはいえ、衣食住を確保してくれているのはルイスである。無駄使いなど到底できない。


「ひとます、欲しい物をおっしゃって下さい」

「分かった。ひとます欲しい物は、乳鉢、にかわ液、あと、クジャク石、藍銅鉱、シンシャ、大理石かな」


 転生前に読んだ歴史の教科書で古代の絵の具は、石からできていたと描いてあった。特にラピスラズリから作られたブルーの顔料は、大変貴重で聖母マリアなど重要人物の服を彩色する際に使用された。


「その程度でしたら、すぐに手配できますよ」

 

 いやいや、その程度って――。


 

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