転生令嬢は髪を洗いたい

「おはようこざいます。お嬢様」


 誰が私の耳元で囁いている。

 うっすら目を開けると、黒いワンピースに白エプロンを纏った――いわゆるメイド服の女性がニコニコと微笑んでいた。


「おはよぉ……」


 反射的に返答する。


「今から身を清める為のお湯を、お持ちいたしますね」


 そう言いながら、軽くお辞儀をしたメイドは、部屋から立ち去ってしまう。


 我が家にメイドなんか居たかなぁ……。それに、お嬢様って呼ばれるような身分じゃないし。

 

 手始めに周囲を見渡してみる。

 花柄の黄色い壁紙に、小さな暖炉、猫足の椅子から、丸い木製のテーブルまで。

 端から端まで、見知らぬ物ばかりだ。

 少なくとも私の部屋ではない。



 目を擦りながら窓際へ向かう。

 暖かい光を注ぐ太陽は、もう既に高い位置にあり、今が昼頃であることを告げている。

 そして、窓の外に広がる景色を見て、思わず絶句する。


 まず、目に映ったのはおしゃれなタウンハウス都市部の屋敷が連なる住宅街。下を見ればガス灯が並ぶ道を何台も馬車が通っている。


 なにせ、その景色は最近プレイした推理ゲームの背景に酷似していたからだ。


 恐る恐る、近くにあったドレッサーを覗き込む。そこに映っていたのは茶髪の美少女。瞳はグリーンで、背丈は小さい。



𑁍 𑁍 𑁍



 私こと小鳥遊一華たかなしいちかは、割と何処にでも居る、ごく普通の女子高生だ。


 たった一つ、他人と違う点があるとすれば、自他共に認める推理ゲームオタクだということぐらいであろうか……。


 一か月前、私は友人に勧められ、私は一本の家庭用ゲーム機専用のソフトを買った。

 それはヴィシュトリア王国という架空の世界が舞台となった推理アドベンチャーゲームであり、ゲームの主人公フィンリーは街で起こる事件を解決しながら悪の黒幕、通称『夜烏よがらす』の真相に迫る――という物である。


 そして、鏡の前にいる少女――すなわち、私の正体は『夜烏』に殺害される伯爵令嬢シータ・ノックスであった。



𑁍 𑁍 𑁍


 つまり私は、このままだと『夜烏』に殺害されてしまう運命だ。

 しかし、慌てることは無い。

 この運命なら回避できる可能性がある。



 


 大抵の場合、夜烏は庶民を苦しめる悪徳貴族に目をつけ、誰かに殺害されるように誘導する。そして、貴族が庶民から絞り上げた富を再分配するのだ。


 そんな彼をある人は、ダークヒーローとして崇め、ある人は、自身は手を下さず、起こした事件を解決する様子を眺めることが好きな悪党だと言う。

 


「お待たせしました」


 先ほどのメイトが、ワゴンを推しながら部屋へ戻ってくる。銀色の可愛らしいワゴンの上には、水さしとボウル――そして、石鹸が乗っていた。


 要はコレで顔を洗えということか?


 こちらが、あたふたとしていると、メイドが「お手伝い致しますね」と言いながら私の腕をゴシゴシし始める。

 寝ぼけ半分で、しばらく、されるがままに体を洗われていると、ある事に気づく。


 そういえば、頭がかゆい。

 まるで、何日も洗髪をしていないかのように。

 洗われていない方の腕で、少し触れてみれば、お世辞にも良いとは言えない髪質だった。なんというか――しっとりしていないというか、バサバサしていると言うか。


「ついでに髪も洗っていいかな?」


「まぁ、お嬢様。髪なら先日洗ったばかりでしょう。頻繁に洗ってしまうと、髪が荒れますよ」


 何を言っているの?。

 髪なら、もう既に荒れているじゃない。

 こちらが返答に困っていると、メイドが再び口を開く。


「石鹸を使って髪を洗うと荒れてしまいますから、洗髪は週に一回で、普段はブラッシングだけで十分ですよ」


 今なんと言った……?

 石鹸で洗髪、それから普段はブラッシングだけ――?

 そういえば、昔ひいおばあちゃんが「私の時代にはね、シャンプーなんか無かったから石鹸で髪を洗っていたのよ」などと言っていた。

 だから、この場所が、昔の世界か、あるいは技術のレベルが進化していない異世界ならば、シャンプーが無いのも納得だ。

 この世界の化学技術がどこまで進化しているのか、よく分からないが、週一の石鹸洗髪など、まっぴらごめんだ。



――シャンプーが無いなら作れば良いのよ!



 例えこの体が、悪徳令嬢でも中身は『私』なのだ。


 清く正しく、そして、慎ましく生きていれば問題ないはず。


(こうなったら、転生するついでに持ち越せた知識を使って自由気ままに生きてやります!)





 



 



 

 


 

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