最高にちんまい非常勤講師

『ざわ・・ざわ・・』

 白い壁。ズラッと並ぶ木製の長机。

 収容人数200人超。

 学生一人ひとりの前には、ホログラム画面が立ち上がり、講義のレジュメなどを写している。

 多くの机上には、ノート記述用の液タブが出されている。

 ここは名栗なぐり大学の大講義室。


「(ミズ先輩、パワポ準備おけですか?)」


 明るい黒ボブにフチなしメガネ、白衣と茶色のセーターを着た、長身の女学生に囁く。

 関谷瑞穂せきやみずほ

 大学2年の薬学科で、ここではアタシの助手をしてくれている。


「いつでもいいわ。」


 クールに応答した瞬間、眼鏡がキラリと光る。

 既にインテリ研究員のような風格だ。

 アタシは講義机の下にある、階段付きの踏み台にぴょこんと登り、マイクテスをした。


『あ、今日は瑠奈ちゃん先生の担当だったね』

『はあはあ、踏み台に登ってる姿、萌へ・・』

『お巡りさんコイツですwww』

 ・・・まあ、学生さんは平常運転で何よりだ。


「はーい。オムニバス講義『論文戦線異常あり』、本日担当の雨宮瑠奈あまみやるなでーす。

 今回はアフリカの大学で発表された、新時代の鎮痛成分についての論文と。

 鎮痛剤開発の歴史と現在について、包括的に論じたいと思いまーす。」


 パワーポイントの画面が、大きく壁にプロジェクションされる。

 アタシはカーソルを、該当論文についての説明を始めたーーー


 ☆

 名栗大学・戸鳴となりキャンパス。

 医学部と薬学部の講義棟・研究棟を主体とするエリアだ。


 アタシが(左遷によって)名栗高校に転入することを知った、ここの重役が。

「研究施設の使用許可を出すので、ウチで非常勤講師のバイトをしてほしい」と、頼み込んできたので、こうして講義に出向いているというワケ。


 まあ15歳で教壇に立っていると、よくも悪くも目立つわな。

 でもアタシの飛び級時代とは違い、そこまで奇異な目では見られないし。

 学生たちもアタシの腕を見込んで質問したり、議論を楽しんだりしている。


 ・・・自分より背の高い人たちに囲まれ続ける重圧は、今でもちょっと感じてはいるけど。

 飛び級時代のアタシは、幼くて引っ込み思案の陰キャだったし、一人で大人ばっかりの世界に放り込まれたという、不安もかなりあった。

 でも留学先の先輩たちが気にかけてくれたり、と交流したりで、少しずつ勇気を出せるようになった。

 やっぱりコミュニケーションから逃げたら、研究だって進まなくなるからね。


 ーー午前中の講義を終えたら、学食へ移動。


「うわ、特盛ミックス丼とツナサラダ、グリーンスムージーまで完食なんて・・・

 これだけ食べて太らないって、超人ってやっぱり凄いのね。」

「いえ、アタシはたまたまそういう〈能力〉だったというだけで。

 それに脳みそに栄養を全部取られちゃいますし、発育不良のぺたんこ体型のままです。

 ミズ先輩のスラッとしたスタイル、女として憧れちゃいます!」

「そんなに褒められても。それで何か出せたのなんて、もう昔のことだわ。」


 そんなこんなで食事を終えて。

 日々様々な実験が行われている、研究棟の前に来た。

 このデカさや施設の充実ぶりは、B級大学としては申し分ないもの。

 内部のロビーでは、学生グループが談笑しているが・・


「おはようございます雨宮准教。今日は准教の得意分野である、傷薬の実験でしたよね。

 本日も、微力ながらお力添えさせていただきます。」

「サム先輩おはようです。こちらこそ色々学ばせて頂いてますし、そこはお互い様なのです。」


 うち一人、赤髪で適度な筋肉質体型の陽キャ、長谷部修はせべ おさむ先輩が話しかけてきた。

 この人も実験棟内では何度か協力してくれているし、国内の論文事情にも詳しく、話題も合うんだよね。

 チャラそうなキャラだけど、明るく礼儀正しい喋り方。

 この人なら、もしかしたら・・


「二人共、時間も押していますし、急がないと。」


 ミズ先輩の一声で、会話を打ち切り、実験室への道を急ぐ。

 薬品の匂いが次第に濃くなり、リノリウムの床に足音が反響する。

 そうして男女別の更衣室に入り、準備をする。


 まずはメイク落としから。成分が混入したら、実験結果も変わっちゃうからね。


「そういえば瑠奈さん、長谷部先輩が気になってるの?」

「う。そういうの、まだよく分かんないけど、気にはなってます・・」

「そう。でもあの人はモテるし、彼女が途切れたことは無いみたいよ。

 仮に付き合えたとしても、色々大変かもしれないわ。」

「あはは。そうかもしれませんね。でもこんな子ども体型じゃ、男の人は興味ないと思いますよ。ロリコンさんならワンチャンあるかもですが・・」

「もう、そうやって卑下しないの。人の好みはそれぞれだし、今は焦らずに構えたほうがいいかも。瑠奈さんの中身を好きになってくれる人だって、きっといるわ。」


 相手の中身を好きになるーー論拠は無いけど、信じたくはなるよなあ。

 ミズ先輩は中学〜高校にかけて、相当にヤンチャしてたって噂もあるけど。

 今は真面目な、委員長キャラで通っている。


 でも、自分の気持ちが「恋愛的な好き」かも分からないし、一度好きだと自覚したら・・アタシの性格からして、あまり我慢はできないかもしれない。

 軽く数言を交わして対話を終えると、それぞれの準備に没頭する。


 着替えたり、髪をまとめたり、(日常用白衣から)実験用の白衣に変えたり。

 その途中で、履いてきたショーツを脱ぎ去り、「吸収の鬼・阿天洞あてんどうオムツ」に履き替える。


 ・・いくらの為とはいえ、最初は恥ずかしかったけど。

 今やオムツのテープをキッチリ留めると「我、戦場の鬼とならん」的に、身が引き締まるんだよなあ。

 慣れって怖い。


 マスクと衛生帽を着用し、ブロワーでホコリを飛ばし、消毒も済ませて。

 先輩と互いに、真剣な瞳でアイコンタクトを交わし、頷きあう。


 さあ3日間に及ぶカンヅメ・・・実験の始まりだ!

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