第10話 海図も羅針盤もない船の上で

 4人はしばらく資料を見つめ、この状況を打破する方法を考えた。しかし、どれだけ目を凝らしても青々とした海原が見渡す限りどこまでも続いているだけで、行き先どころが自分たちが今どこにいるのかすらわからない。


「どうなんだ、世良?」


 海図も羅針盤もない船の上で、小木田は世良に船のかじ取りを押し付けることにした。押し付けられた世良は困ったが、誰かが船を進めない限り、どこにもたどり着かないのも確かである。世良はおずおずと舵を握った。


「大まかな計画を見る限りは僕ら療法士をそのままAIに置き換えるようなことに思えます。運動プログラムは、例えば転倒予防パンフレットのようなものがいくつかあればどうでしょう?」

「パンフレットがあると、どうなんだ?」


 小木田が問う。


「フローチャートのようなものがあればいいのかなと」

「パンフレットはテーマ別に分かれているけど、この場合はどうするんだ?」

「最初に利用者登録のようなことをする……でしょうかね。アプリのユーザー登録をして、それからフローチャートで最適な運動を絞っていくような感じです。項目とか情報はうちの評価表を使えばどうでしょう?あれならある程度疾患別に分かれていますし」

「でもさ、評価表の情報だけだと、必ずしも、最適なプログラム、にはできないんじゃないか?そもそもパンフレットっていうのは大衆向けで、個別性を考えられてはいないだろう」


 世良が取りあえず船を進めようと舵を切ると、小木田が突っかかってくる。


「そしたら……利用者からのフィードバックでだんだんと修正されていく……というのはどうでしょうか?AIでそういったものはできるものでしょうか?」


 世良は木村を見ながら聞いた。


「……技術的には可能、と思います」


 木村が額の汗をぬぐいながら答える。


「その、評価表というのを見せていただいてもいいですか?」


 世良は一度席を立ち、理学療法室から評価表を持ってきた。これは疾患別に作成されており、その数は数十種に及ぶ。深田も言語聴覚室に置いてある評価表を取り出して木村に渡した。世良は作業療法の分もあると説明を加えた。木村はその量に一瞬顔を歪めた。


「ええと、皆さんはこの評価表というものをどのようにご使用されているので?」

「最初にこの表をもとに患者さんの情報を把握するんです。全ての人に全ての項目の評価ができるわけではないのですが、うちだと結構網羅的な項目になっているはずです」

「ああ、なるほど。量は結構ありますが……技術的には可能かと思います。さきほどおっしゃっていたフィードバック、というのはどういうイメージでしょうか?」


「僕たちはいきなりその人にぴったりの運動を提供できるわけではなくて、やりながら修正をしていきます。きついとか軽すぎるとか、そういったフィードバックです」

「ああ、なるほど。フィットネスのゲームとかでもそういうのがありますよね」

「そうです。リハビリの場合はもう少し複雑になりますが、どうでしょう?」

「うーん、正直やってみないとわからないですね。ただ,AIというのはどこか人に代わる仕事をするものだと思われるかもしれませんが、そうでもないんです.道具の一つ、と言いますか、結局は人がどう使うか、です.AIは全く新しいものを生み出すというよりは既存の情報を高速で処理したりまとめたりする道具だと思ってください。皆さんの、評価、というのは何か測定されたり情報を収集するわけですよね。データがあってそれに基づいてプログラムが作成されるなら、その情報を入力として、最終的なリハのアプローチ、ですか?それを出力とするんです。それで、その情報を蓄積して学習させていく、ざっくりですがそんなイメージです」


 木村は早口で説明をした。ここまでのやり取りをみて、深田は木村がかなりの切れ者だと思った。実際、木村は優秀な人間である。

 クルーたちは遠くの水平線の彼方に、小さな島の影を見つけたような気がした。ようやっとみつけたその島らしきものに向けて世良は舵を取ろうとする。


「いや、でもそれは内部障害とか、対象が限られるんじゃないか?脳卒中とかはどうするんだよ。それに作業とか言語もあるんだぜ。今回の企画の趣旨を考えると、それは難しいんじゃないか」 


 ここで小木田が水を差した。


「木村さんはわからないかもしれないけれど、我々のアセスメントっていうのはいわゆる数値になるとは限らないんだよ。触ってみた感じとか、そういうのが大事で、数値でわかることなんて限られてるんだよ。それに経験と勘というか、第6感みたいなものもあるんだ。だからせっかくご提案いただいたんだけど、それだと“入力”のところでうまくいかないよ。簡単にAIには代われないんだ」


 小木田は自分の理解が追い付かない新しいものを嫌う。この船の船長は俺なのだ。自分を差し置いてクルーたちが話を進めようとしていることが気に食わない。


「そうですか……素人考えだとやっぱりダメですね.医療は特殊というか、やはり扱いが難しいです。失礼しました」


 木村が落胆して言った。世良はめげずに提案する。


「それでも、できることからやってみてトライ&エラーを繰り返すことで何か見えてくるのではないでしょうか?内部障害であれば比較的取り掛かりやすいような気もします.」


 小木田は表情を一切変えずに否定した。


「いや、ダメだよ。結果は見えてる。それじゃ、うまくいかない。対象によって違うんだから、結果は無限にあるよ。理学療法だけじゃないんだ.作業療法とか言語療法もあるんだから」


 議論を見守ってた深田が口を開いた。


「そもそもアプリを使える人じゃないと対象にならないんじゃないですかね。その時点で対象はだいぶ絞られるのではないでしょうか。僕らの対象となる失語とか、高次脳機能障害が強い人は最初から使えないんじゃないですか」


 木村が呼応する。


「確かに、少なくともアプリの操作は必要ですね。対象を自分でアプリの操作ができる人に絞れば、だいぶ内容も絞られるものでしょうか?」


「そうですね。対象を絞る、という方向性で考えればかなり現実的な気がします」


 世良が表情を明るくして言った。


 遠くに見える島の陰影にわずかな希望が見えてきた。このままただ海のど真ん中に浮かんでいるだけだでは、そのうち力尽きてしまうだろう。まずはとっかかりとなる目的地に向かったほうがいい。皆がそういう気持ちを共有している中、小木田だけがその内面に妬みや僻みの感情が渦巻いていた。彼は資料の図を指さしながら言った。

 

「いや、ここに“運動機能、高次脳機能、摂食・嚥下機能”って書いてるぞ。それも含めないとダメだ。それと、今閃いたんだけど、本人が使えなくても家族が使うかもしれないし、リハスタッフだってこういうのがあれば便利なんじゃないか?地域に出れば介護士さんとか、リハに詳しくない人間がリハする場合もあるだろ。そういうことを考えると、やっぱりいろんな対象、対象っていうのは患者さんっていう意味じゃなくて、家族とか介護者とかいろんな人を想定して考えたほうがいいものになるんじゃないか」


 木村はきょとんとした。これまでの話の流れを全く無視した小木田の提案は、木村の頭の回転を以てしても理解が追い付かなかったのだ。深田は悟りを開いてここから沈黙した。そして、真面目な世良が言った。


「確かにそれは理想的だと思います。ただ、開発段階でいきなり完璧なものを目指すのではなくて、まずはできるところから少しずつ着手していくのはどうでしょうか。その意味で、対象を絞れたらいいのではないかなと」


 小木田が答える。


「部長が言っているのはどんな人にも最適な個別の運動プログラムを提供するAIなんだから、それじゃあだめだよ」


 小木田は部下に対してはいい加減だが、目上の人間の指示を忠実に守ることは絶対に譲らず、その一言一句に固執する。良い仕事をすることではなく、指示に従うこと、そしてそれを徹底的に管理することに固執する。


 こうして議論は暗礁に乗り上げ、何度も同じ話を繰り返した。世良が右に進もうと言えば小木田は左のほういいと言い、世良が左に行こうとすれば、小木田はやっぱり右がいいのではないか意見を変える。そんな調子で、小舟はその場でくるくると旋回しているだけだった。話し合いが1時間経過したあたりから、全員見るからに疲弊して集中力を欠いていた。


 ――――そして2時間が経過した。


 深田はパイプ椅子に腰かけて、世良の後ろから小木田とのやり取りを見守っている。


「いきなり完璧なものを目指すのではなくて、中長期的な視点で段階的に開発していく、というのはダメなのでしょうか?例えば、はじめは健常な人の健康支援、そのあとに転倒予防とか変形性関節症の運動指導とか……」

「いやだからさ、部長が言っているのはどんな人にも最適な個別の運動プログラムを提供するAIなんだから、それじゃあ、だめだよ」

「今日はいろんだいぶ遅くなりましたので、この辺にしませんか?私の方でも勉強不足なことがたくさんありまして、いろんな課題が浮き彫りになりました。次回までに何かいい方法を調べてみますよ」


 虚ろな目をしながら木村が声を上げ、会議は終了となった。そうですね、と全員が席を立とうとしたとき、最後に小木田が驚愕の事実を告げる。


「ああ、それと、次のリハビリテーション学会地方会は部長が大会長をやるんだけど、その基調講演で今回の成果を報告したいって言ってるんだ。次の、っていうのは12月だから、何とかそれまでに間に合わせないとな。あと9カ月だ.まあ、半年以上もあるからなんとかなるだろ」


 太陽が水平線に沈み、夜の闇が小舟を包み込みこんだ。もはや行き先を探すことすらできない。


 そしてこの時,世良はスマートフォンをサイレントモードにしていたことを忘れていた。

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