第3話
「私たち、みんなここの仕事をして暮らしているんです……あなたもその一人になるんですよね」
一体この子は何を言っているんだ?
「仕事を覚えるには、お世話係が必要だねって、沢木さんがいっていました」
そう言うイミナちゃんはどこか自慢げだった。
僕はようやく彼女の言いたいことを理解できた。つまり、沢木がイミナちゃんに『お世話係』なんていい役割を与え、僕に異常災害対策部の仕事を覚えてもらおう、というわけだ。
「……そうなんだね……」
「そうなんです!準備はもうできました?」
「え?」
「今からお仕事ですよ。『けんしゅう』です」
僕は再び目を白黒させる羽目になった。
仕事を覚えてもらうための研修というのはもちろん僕も取り組みたい気持ちはあるのだが、今からなんていきなりすぎやしないだろうか。流石に今仕事に行く気持ちもないし、心の準備もできていない。「ごめん、また次の機会じゃだめかな?」
「また次の機会!?」イミナちゃんは大袈裟に驚いてみせた。「今グッドタイミングなんですよ!逃したら次はないと思うんです!」
彼女の必死さに僕は困惑した。
そういえば、さっきこの部屋に来ていた沢木も慌てたように部屋を出ていってしまった。彼女の携帯電話が鳴っていたので、電話に出るために急いで外に出たのかと思ったのだがそれが関係あるのだろうか? 沢木とすれ違いにイミナちゃんが部屋に入ってきたことも気になる。
今だけの仕事とはどんなものなのだろう。気になっている自分もいた。
「わかった。行こう」
イミナちゃんはにっこりと笑った。
「じゃあ、私についてきてください」
そう言うと彼女は部屋のドアを開けて出て行った。僕もその後に続く。
廊下に出ると、人の話す声、忙しく歩く音などが響いていた。昨日とは全く違う雰囲気だ。まるで救助要請が出た後の消防局のような。イミナちゃんの歩くスピードも速い。少しでも目を離したら見失ってしまうだろう。
「白数さんは運動に自信ありますか?」
イミナちゃんは早足で歩き続ける。僕の50メートル走のタイムは7秒代だ。
「ま、まあまあかな」
「じゃあ、戦闘部員に配属されるかもしれないですね。そっちの人たちはいつも足りないので」
「今日はわたしと行動しましょう。かんたんな仕事ですよ」
嫌な予感がする。
戦闘部員。
人が多くなってきたと思えば、会議室の前だった。イミナちゃんが立ち止まって誰かと話し始めたため、僕はその会議室の中に目をやる。
会議室だと思っていたが、どうやら会議室ではないようだ。その並べられた長机や椅子はまさに会議室そのものだが、重々しいパソコン、壁全面に設置されているいくつものスクリーン、床に這うコードの量は普通ではなかった。暗いスクリーンがやけに輝く部屋の中で何人もの大人がパソコンを見ている。
政府直属の組織。確かにそう言える設備。
まるでドラマの世界だ。
「すみません。用はすみました、行きましょう」
イミナちゃんは僕の方を振り返った。その瞳の中にもブルーライトが宿っている。僕は頷いた。それを確認したイミナちゃんは再び早足で歩き出した。
「わたしたちは現地へ向かいます」
「今、業孤が発生したという情報が入りました」
異常災害対策部は政府公認の組織でありながら、一般人にはその詳細な情報が明かされていない秘密組織である。僕も、業孤から逃げ切った人たちが異常災害対策部に所属されるなんて知らなかった。もちろん、業孤をどうやって処理しているのかも。
対策部の『作業着』を渡されて着替えた時に僕はもうこの仕事から逃げられないことを悟った。
イミナちゃんと白いワンボックスカーに乗り込み、走ること数十分で現場に到着した。かなり速い到着である。
「本当に簡単ですよ。ただ規制線を貼ったり、現場の調査をするだけなので!」
日光がジリジリと黒い制服を焼く。そう言うイミナちゃんの腰には2本の斧が下げられていた。
「それ……なんなの?斧?」
僕の訝しげな視線に彼女はハッとしてその斧を隠した。
「こ、これは……あはは……」
やっぱり危険のある仕事らしかった。
「まあ、大丈夫ですよ。出たのはレベル2の小さいやつなので、全然かわいいです」
そう言うとイミナちゃんは歩き出した。
周囲には既に警察が集まっていて物々しい雰囲気だ。機動隊、と言うやつか。草木が生い茂り、古い瓦屋根の建物が集まるこの町には相当な場違いだ。
もう夏らしい。蝉がミンミンと鳴いている。
「……本当に業孤が」
……あまりにものどかだ。
「いますよ」
イミナちゃんは警察の群れの間を抜けながら言った。もちろん彼女も僕と同じような作業服を着ている。機動隊と同じようなデザインのせいで、職業体験で機動隊のコスプレをさせてもらっている少女のように見えた。「処分されてたら連絡が来るんですけど、まだきていないから……まだいますね」
そういえばさっき通信機を渡された。そのもらった通信機は今までに一度も鳴っていない。
「とりあえず、発生したという民家の方に行きましょう」
イミナちゃんは僕の方を見て言った。その頬には汗が伝っている。
彼女は通信機を見ながら早足で歩き続ける。通信で発生場所の地図を受け取ったらしい。
「他にも誰か来てるの?」
「ええ、もちろんです。あれ、他のメンバー知らないですか?」
イミナちゃんは仕事中の割にはひどく落ち着いていた。他のメンバーとは、沢木とイミナちゃんとカシマ以外に誰かいるというのだろうか?
「あんまりわからないかも」
「そうなんですか。じゃあ後でみんなに会いに行きましょう。すごい頼りになる人ばっかりですよ!」
イミナちゃんは自慢げに胸を張った。その様子はとても可愛くて思わずふっと笑ってしまう。
やっぱり、イミナちゃんが言う通りにこの仕事は簡単なのだろうか?
その時、イミナちゃんが持つ通信機が音を立てた。
『こちらB班、南東方向に対象が移動』男の声。かなり息が切れている。『逃した』
「……」
「了解」
すっとイミナちゃんの声が低くなる。
逃した。南東方向……
あたりを見回すと、周りは民家が立ち並んでおり、今僕たちが歩いている大通りがとても広く思えた。人は僕たち以外に誰もいない。生ぬるい空気が満ちていた。
イミナちゃんは言った。「来ます」
獣道は近年減りつつある。というのも、野生動物の数が減っている上に人が山に入ることも減っている、という原因がある。元々動物の通り道だったところに人間が道路を作ったことにより、動物が車に轢かれるという事例も増えているという。
獣は人間と同じように、歩きやすそうで安全そうな道を往くものだ。
イミナちゃんは日の下に斧を取り出した。例のニ双の斧。真っ黒い刃は光すらも反射していない。
ふとイミナちゃんは僕の方を見て笑った。さっきと同じような自慢げな笑み。
「前から来てます。……よく見ていてください、白数さんもやるようにならないといけないんですから」
僕は唖然とした。
前方には黒い獣の影がある。大きい。僕たちの方がよっぽど獣のように見えるぐらい。動物園にいる虎なんて比じゃない。
あれを、この少女が。
全く想像できなかった。
斧がくるくると回って、少女の手の中に収まった。
業孤はこちらに向かって走ってくる。逃げているのだろう、後ろから追う僕たちの仲間から。イミナちゃんは業孤とすれ違う瞬間、その斧で切り裂くつもりなのだろう。
彼女は余裕の表情だった。いくら業孤がこちらに近づこうとも。
業孤の足は早かった。イミナちゃんの反射能力も。
イミナちゃんを無視して逃げる選択をした業孤は相当な馬鹿だった。
断末魔もなかった。ただイミナちゃんが斧を片方振る。それだけだった。
「……あんまりかっこよく戦えませんでしたね」
糸が切れたように業孤は倒れ込む。重いものが落ちた音がした。
あっけなかった。イミナちゃんの言葉を借りれば、『戦えなかった』。
「まあ、チュートリアルってこんなものですよね」
片方だけになった斧を持っていない方の手でイミナちゃんは頭を掻いた。「後は任せて帰りましょう。わたしたちの仕事は終わってしまったので」
僕は動かなくなった業孤を見る。
黒くて短い毛が生えた体に2本の尾。4本ある足。確かに狐みたいだ。しかし、狐じゃない。顔はまるでフクロウの顔のように凹凸がないし、目は8つもある。
顔の中心には斧の柄が生えている。斧は的確に化け物の脳天を打ち砕いていた。
イミナちゃんは強烈な匂いを発するそれに近づいていき、斧の柄を掴んだ。足でその頭を踏みつけたと思うと、一気に斧を業孤から引き抜く。
嫌な音がした。
「どうしたんですか?」
「いや……」
僕は目を逸らした。
早くもこの仕事を辞めたいと、逃げたいと思ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます