第2話


 ヘビに噛まれたことがある。中学生のとき、ふざけて友達と山に入ったからだ。


 ヘビは森林に限らず、砂漠、草原、海にさえ生息している身近な生物である。種類もその分多く、毒を持つものも多いということは有名な話である。日本ではマムシが毒ヘビとしてよく知られていて、僕を噛んだヘビもそれだった。


 そのヘビと目が合った瞬間。その感覚によく似ていた。


 ヘビは人間を怖がっている。だから人を噛む。しかし、彼は僕のことを全く恐れていなかった。小さな藪蚊を扱うような無関心。


 あの時僕は彼の顔を直接みることは出来なかったが、すぐに目の前にいる人物が僕を助けてくれた人だとわかった。

 黒のカーゴパンツに黒の半袖Tシャツ。短髪で切長の目。暗闇でもわかる、かなりの美形だ。170センチの僕よりももっと背丈がある。その身長には見覚えがあった。


「あ、あの」


 彼がカシマなのか確証もないまま、僕は咄嗟に彼に話しかけた。


 数秒の間。「……何か」


 一言だけだったが、その声ですぐにこの男がカシマで、僕を助けてくれた人だということがわかった。

 彼の声はよく覚えている。低くてよく通る声。確かにあの時聞いた声だ。一気に体が緊張する。

「えっと……カシマさん、ですよね」

 20代ぐらいか。僕よりもずっと年上だ。

「……」カシマは僕からすっと目線を外す。

 蜘蛛の巣が街頭の白い光をキラキラと反射している。たくさんの虫が街頭に集まっていた。


 沈黙。


 色々聞きたいことがあったが、彼の前に立ってみるととたんに口が重くなってしまった。蛇睨みというのはこういうことなのだろうか。

「……あの時は、ありがとうございました」

 疑問はたくさんある。なぜあの時カシマはヘルメットを二つ持っていたのか、他にも生徒はいたはずなのになぜ僕を選んだのだろうか、なぜ……ここで聞きたいことを全て質問するには多すぎる。


「そう」


 カシマは僕に再び視線を戻した。


「帰れ」


「えっ……?」

「夜は危ない」

 そう言うと彼は僕に背を向けた。

「待っ……!!」

 僕は喉から出かかった言葉を飲み込む。『帰れ』冷たい言葉だが、この言葉は僕を心配しての言葉に違いない。

 やっぱりカシマは悪い人間だとは思えなかった。僕は黙って来た道を辿ることにした。


 遠くに駅の明かりが見える、閑静な住宅街の中だった。なぜ自分は全く知らない街の公園を探し当てることができたのか全く不思議である。



 15時、僕は業孤からの襲撃を受け救出される。そこから意識を失って、翌日の20時に目が覚める。

 そして現在。僕は眠れない夜を一晩過ごし、この新しい家で初めての朝食を食べている。


「……」


『食欲もないだろうから』と言って僕の治療をしてくれ

た女性がくれたサンドウィッチを片手に、僕はぼーっとスマートフォンの画面を見ていた。ちなみにあのメガネをかけた女性の名前は沢木さんと言って、異常災害対策部に配属された医者だという。

 ネットニュースには、僕の通っていた高校の名前が出ており、ご丁寧に校舎の画像まで付けられていた。


「君と同じように死んだ扱いになってしまって困っている人は何人かいる」


 沢木はまっさらな僕の部屋の天井の角を見ながら言った。

「そういう人たちはみんな異常災害対策部の一員として働いているんだ」

 白衣の下から伸びる脚は揺れている。椅子に座っている僕に対し、彼女は僕のベッドに腰掛けていた。

「なぜそういう被害にあった方は社会に戻ることが難しいんですか……?」

「それはね、理由は何個かある。まずは業孤の正体がまだ掴めてないっていうことだ。しかし、業孤からヒトのDNAが検出されたことがある。これはつまり、業孤はだという仮説がある」

 あの化け物が人間? にわかに信じがたい。表情に出ていたのだろう、沢木は得意げな表情を見せて話を続ける。

「信じられないかもしれないが、本当なんだ。そこからもしかすると何か新種の感染症を発症した人間が業孤になったんじゃないかっていう仮説が生まれてね。だから、業孤に関わる人間は限られた少数にしてしやすくしているんだ」

 とは言っても。僕はため息をついた。

 家族に会いたいし、友達と話したい。僕はもうしばらくは外の世界を見れないなんて嫌だ。どうしてこうなってしまったのだろう……悪い考えばかりが脳裏によぎる。


 とりあえず、何か胃に入れよう。僕は残りのサンドウィッチを無理やり胃に流し込んだ。

 その時、部屋のドアの向こうから女の子の声がした。

 

「失礼します」


 僕は慌ててコップの中の水を飲んで立ち上がった。

 全く聞いたことがない声。

 部屋のドアが控えめに開いた。「今、大丈夫でしょうか」鈴の鳴るような可愛らしい声がするりと部屋に入ってくる。

「いいですよ」

 大丈夫だろうか? 逆に僕の方から問いたかった。僕の動揺が伝わっていないだろうか?

 

 僕の心配をよそにドアはゆっくりと開いた。


 可愛らしい少女が顔を覗かせた。


 中学生ぐらいだろうか。……とても華奢な少女だ。長い黒髪が細い身体に纏わりついている。じっと下から見上げるのをやめてほしい。どうにかなってしまいそうだから。僕は思わず彼女から目を逸らしてしまった。

「あの……白数しらかずさん、ですよね?」

「……ああ、そうだけど」

 少女はもじもじしながら手を後ろで組んだ。「あ、あの……私、イミナっていうんです」


「今日から白数さんのお世話係します」


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