第36話 確執
魔術核強化訓練は脳筋すぎた。フィオナがその事実から立ち直る前に、新たな試練はやってくる。フィオナの父・ローランの帰還の日を迎えた。
いつも通りのつもりの固い表情で、落ち着かなくうろうろ歩き回るフィオナ。その緊張感は屋敷中に伝播して、アレイスターの屋敷はピリピリした空気を纏っている。唯一、ヒースだけがいつもと全く変わりない様子だった。釣られてソワソワしているレオンが、空気の重さを八つ当たりするようにヒースをチラリと盗み見る。
帰宅の時間までは記されていなかった手紙から、今か今かと緊張を漲らせて過ごすことに疲れ始めた昼過ぎ。玄関前が俄かに騒がしくなる。フィオナは二時間も逆さのまま覗き込んでいた書類から顔を上げた。
「あ、帰られたのかな……」
独り言のように呟いたヒースが、すっと立ち上がりレオンも固い顔をして立ち上がる。
「じゃ、フィオナ。迎えに行こうか。大丈夫。まずは教授の話を聞く。それだけでちゃんと話ができるからね?」
ごくりと唾を飲み込み無言のまま頷くフィオナに、ヒースが優しく笑みを浮かべた。
「僕がちゃんといるから」
少しだけ表情を緩めるフィオナに、レオンは唇を噛んだ。何か言って励ましたくても、言える言葉を持っていない。結局レオンは無言のまま呼びにきたエディの後をついて、歩くフィオナの背を見守るだけだった。そんな視線に気づく余裕もないフィオナは、緊張に拳を握り締めながら自分に言い聞かせていた。
(大丈夫……責めない。まずはお父様の話を聞いて、それからちゃんと話をして……)
過去何度も同じ失敗を繰り返してきた。些細なことに反応してつい出た言葉に、ローランが萎縮する。慌ててなんとかしようと話すほど、空気は気まずくなってローランは「ごめん」としか言わなくなってしまう。その言葉がひどく気に障って、最後はフィオナが怒鳴って私室に籠る。ちゃんと話せた記憶はなかった。
(信じられないな……私はお父様にベッタリだったって……)
今は顔を合わせるだけでも緊張するのに。幼い頃のフィオナをエレインもルディオもそんな風に記憶していると言うのだ。それならどうしてこれほどローランと距離ができてしまったのだろう。
玄関に近づくほど、ざわざわと喧騒が大きくなる。フィオナはスッと息を吸い込み、ドキドキと騒がしい自分の心臓の音に顔を顰めた。そんなフィオナの方にヒースが手をかけ、レオンも遠慮がちに背中に手を添えてくる。二人の体温に顔を上げると、ヒースがいつもの表情で目を細め、レオンが心配そうに瞳を揺らしている。
二人の正反対の表情が妙におかしくて、少し口元が緩んだフィオナはちょっとだけ元気が出た。
(大丈夫、簡単だから。余計なことを言わないように、まずはお父様の出方を待ってそれから話す)
全くいつも通りのヒースと、フィオナと同じくらい緊張して見えるレオンに励まされて、フィオナは気合を入れて玄関ホールと向きあう。一年半分の荷物を仕分けながら運び入れる波が落ち着き始めて、半開きだった玄関がゆっくりと押し開かれるのを見守る。使用人の靴よりボロボロの爪先が、カツンとホールに音を響かせる。
「おかえりなさいませ」
「……ああ、エディ。ただいま」
丁寧に主人を迎えるエディに上の空で応えるローランは、靴ばかりではなく埃まみれでヨレヨレだった。刈り取り間近の小麦のように、色味が抜けたような癖のある髪も伸び放題。玄関ホールをキョロキョロと見回す顔は、フィオナの記憶にある姿より日に焼けて肌の色が濃い気がした。一年半前の姿との違いに、旅の過酷さを伺い知れた。ローランとフィオナの視線が合う。
「あ……」
思わずと言ったように一歩踏み出したローランが、申し訳なさそうに足を止めた。その瞬間右隣に立つヒースに肘で小突かれる。
「笑顔」
ヒースの顰めた囁きにハッとしてフィオナは、急いで顔面の筋肉を総動員して笑顔らしきものを浮かべてみた。口角を上げることには成功したらしく、ローランは少しだけ表情を緩め緊張した面持ちでフィオナに近づいてくる。
「フィオナ……ただいま。こ、これ、お土産だよ」
何やら布で厳重にぐるぐる巻きにされた物体を取り出し、ローランがぎこちなく笑みを浮かべながら布を解く。
「に、西大陸の辺境地方に伝わる病避けのお面なんだ。その……フィオナが元気に過ごせるようにと思って……」
はらりと布が解けた瞬間、玄関ホールにいた全員の目を、毒々しい赤色と緑色がつんざいた。病を追い払うためなのか、面は必要以上に厳しい顔つきをしている。分厚い唇で型取られた大きな口からは、黄ばんだ牙が突き出していた。なんの毛なのかやけにサラサラの髪が麺を縁取り、それが丁寧に三つ編みに結われているのが妙に腹立たしい面。玄関ホールに緊張が走った。
ヒースは浮かべていた笑顔を深め、レオンは表情を消し真顔になった。見守っていたエディが悲しそうに俯き、メイは直視に耐えきれず目を瞑ることを選んだ。
「一番綺麗なお面を譲ったんだ」
少しだけ得意げに話すローランに、誰も口を開かなかった。どこから綺麗さを感じ取ればいいのかわからなかった。塗りだろうか。病よけどころか、呪いのお面にしか見えない物体をレオンは見つめ、静まり返る玄関ホールで世界の広さを感じた。西大陸、すごい。
「あ、気に入らなかった……かな? そ、そうだよね……持ち歩くのはちょっと大変だよね……」
てっきり飾り用かと思っていたレオンが、まさかの持ち歩き推奨に思わず瞳を見開く横で、ヒースが素早くフィオナを小突いた。フィオナはハッとして、緊張しながら差し出していた面を引っ込めようとしているローランに手を伸ばす。
「も、貰うから……!」
咄嗟に呪いの面を引き寄せたフィオナに、ローランが驚いて顔を上げた。
「え、あ……喜んでもらえて、よかったよ……」
決して喜んではいないが、フィオナは黙って頷いた。ローランはお面を受け取ったことにホッとしたのか、小さく笑みを浮かべる。
「西大陸でちょっと危ない伝染病で半年ほど寝込んでしまったんだけど、その時にお面を渡してもらってね……毎日朝晩お祈りを……」
「伝染病で寝込んだ……?」
照れたように話すローランに、ピクリと肩を揺らしたフィオナがつぶやいた。その声が地を這うように低く、ヒースが慌ててフィオナを小突いたが、ゆらりと顔を上げたフィオナは止まらなかった。
「半年も寝込んでたのに、どうして連絡の一本もなかったの……?」
変なお面はかろうじて堪えられたフィオナだったが、その話は聞き流せなかった。
「なんで……? なんで半年も寝込むほどの病気になったのに、連絡が一切ないの……? 心配するとは思わなかったの……? どうしていつも連絡一つしてこないの……?」
「フィオナ」
「あ……ごめ……」
ヒースが咎めるように呼び止める声も、ローランが戸惑ったようにいつもの「ごめん」を言いかけた瞬間、フィオナは完全にブチギレた。お面を床に叩きつけると、オロオロしているローランを睨みあげた。
「こんな気持ち悪いお面を厳選するより、まずは手紙の一つでも書くべきだったでしょ!!」
目の縁が熱くなっているのを感じながら、止められなかった感情を吐き出しフィオナは踵を返して階段を駆け上がった。
「「フィオナ!」」
駆け出したフィオナにヒースとレオンが声を上げ、目を見開いているローランに一礼して後を追って行く。思わず伸ばしかけた手を力無く下ろしながら、ローランが悲しそうに肩を落とした。
「ローラン様……」
項垂れたローランに、エディが気遣わしげに歩み寄る。そんなエディにローランが力無く笑みを浮かべた。
「エディ……僕はまた……間違えてしまったみたいだ……」
「…………」
その言葉にエディは何も言えずに黙り込む。『こんな気持ち悪いお面を厳選するより、まずは手紙の一つでも書くべきだったでしょ!!』それはその通りだったから。
幼馴染のヒースがいることで、今回こそフィオナとローランは歩み寄れるかもしれない。ちょっとだけ期待していたエディは、足元に虚しく転がる呪いのお面を見つめてこっそりとため息を吐き出した。
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