第35話 泣きっ面に蜂
レオンとヒースが訓練場を片付け始めても、フィオナは青い顔をして茫然としていた。
「フィオナ……」
かける言葉を探して気まずそうにレオンが俯き、ヒースは聞こえていないかのようなフィオナにため息をつく。
「ねぇ、フィオナ。まさかとは思うんだけど、魔術核強化を宣伝して来てさえもらえれば、全員が無事訓練を乗り越えてくれるとでも思ってた?」
「だって……強くなれるんだし……ちょっとくらいキツくても……」
「ちょっと、かぁ。血反吐吐きながら白目を剥いて倒れるのって、ちょっときつい程度じゃないと思うけどなぁ」
レオンはヒースの言葉に、モップを持つ手を止めて悲しそうに頷いた。
「……そうだよな……俺も失念してた……よく考えたらこの訓練やばいよな……」
「よく考えなくてもやばいよ。レオン、大丈夫? ちょっと脳筋がうつってきてる。気をつけて。騎士団でも後先考えず、死にかけるまでの訓練なんてしないからね?」
笑顔でバッサリと一刀両断するヒースに、フィオナとレオンはしょんぼりと肩を落とした。
「脳筋でいいじゃない……もう、うつればいいじゃない……本当に強くなれるのよ……? 強化できるのよ? 確かに多少は死にかけたりはするかもしれない。でも本当に死んじゃったりはしないのに……」
「あのね、フィオナ。ちょっと魔術核を強化できたらラッキー程度じゃ、人は死にかけられないんだよ。血反吐を吐いてでも、目指す先がないとね」
「強くなれるのに……?」
「どうして強くなりたいか、なんだよ」
「……ヘタレ貴族でも一年はやるのよ?」
「貴族として生き残る最低限の義務だからね。貴族でいたいならやり切るよ」
「そう……」
でも強くなろうとすることに理由なんか必要なのだろうか。思っていることが表情に出ていたようで、ヒースが肩をすくめた。
「みんながみんな、アレイスターみたいに魔獣ばりに強くあれ! って本能に刻み込まれてるわけじゃないっていい加減に気づこうね」
ヒースの完全に呆れている口調に、フィオナはムッとして睨みつけた。
「ヒース! 慰める気がないなら黙ってもらえる!?」
「あ、ごめんね。きっと大丈夫って根拠のない慰めを求めてるとは思わなかったんだ。フィオナ、大丈夫だよ。僕が黙っても現実は変わらないからね」
「ヒース!! あんたねぇ!」
怒りに顔を赤くしてモップを振り上げたフィオナに、ヒースは煽るようにニコニコと笑みを輝かせた。非常に楽しそうで、フィオナはますます腹を立てる。
「……もう、来ないかもな」
レオンがポツリとこぼした独り言に、フィオナは振り上げていたモップを力無く下ろした。どんよりとした沈黙に、ヒースはモップの先端に両手を組み顎を乗せて頷いた。
「……確実に魔術核強化プログラムについては下方修正はすべきだね。魔術核の強化の価値が褪せたわけじゃないけど、希望に満ちすぎた想定は早々に修正しておかないと。フィオナとレオンが思うより、死にかけたいドMは少ないだろうから」
「…………」
俯くフィオナの隣で、レオンが悔しそうに頷いた。
「今後は事前に実際の強化訓練を見学させるべきだね」
「ああ……その上で受講意思を再確認して、実際の参加見込み人数を再設定しないとな……」
「うん……」
「まあ、見学したらますます誰もやりたがらないと思うけどね」
「ヒース! いちいち水を差さないで! 黒字化の最大のピンチなのよ!」
「仕方ないでしょ? 僕は赤字でも構わないんだから」
にっこりと微笑んだヒースに、フィオナは怒りに顔を真っ赤にして睨みつける。ますます楽しそうな顔をしたヒースに、フィオナがイライラと地団駄を踏んでいると、レオンがトントンとモップの絵を指で叩きながら顔を上げた。
「……訓練強度も選択できるようにした方がいいな……」
「訓練強度?」
もういつもの冷静さを取り戻したレオンが、切り替えて提示した修正案にヒースもフィオナを揶揄うのをやめて向き直る。
「ああ、中位魔術一つ分を最高成果に設定して、もう少し緩い下位魔術コースも作るってことかな? いいね……フィオナ、出来そう?」
「それは、多分大丈夫だと思う。でもトライアルに協力してくれる人は必要かな……今日だって魔力と基礎体力の限界に差が出るってわかったし。教授はスクロールで解決するつもりみたいだけど……スクロールが必須になるなら別途予算を組み直さないとだわ……」
「協力者はまた募ってみる。でもそうか、肉体強化のスクロールか……」
「体力と魔力の限界を同時に迎えるためには肉体強化は必須だから……でもそうよね……平民街で暮らすなら肉体強化は必須ではないわよね……刻印してる前提で考えちゃってた……」
「肉体強化ね。それならちょっとは負荷が軽減されるだろうね。まあ、実際はより長く地獄が続くだけなんだけど。時間をかけてじっくり死にかけられる」
「ヒース! 本当のことばっかり言わないでよ! 絶望が深まるでしょ!」
瞳を怒らせたフィオナにヒースが肩をすくめたが、思いついたようにあごに指を当てた。
「あ、ねえ。肉体強化のスクロール、自分たちに作らせるのはどう?」
「は? ヒース……何言ってるの? さっき自分でも時間をかけてじっくり死にかけるため肉体強化だって言ってたじゃない。それを自分で作らせるって? 悪趣味すぎる! 性悪拗らせすぎてどうかしたんじゃないの?」
「ひどいな。確かに自ら地獄への切符を作成する光景を眺めるのは面白そうだけど、そうじゃなくてね。覚えさせたいんだ」
「覚えさせる?」
「肉体強化は戦闘魔術の基礎の基礎。万が一が起きた時、逃げるにも立ち向かうにも役にしか立たない魔術だ。刻印するように強要はできなくても、スクロール作成は国民レベルで浸透してくれれば安心かなって」
「それは、そうね……」
いい考えかもしれないと考え込んだフィオナに、レオンが胡乱に瞳を細めてヒースを睨んだ。
「フィオナ。騙されるな。本来はそれ、王家の仕事だぞ。国民の危機管理対策の一端を、さらっと押し付けようとしてるだけだぞ」
「あ……! そうよ! 王家の仕事じゃない! ヒース、押し付けないでよ!」
「でもどうせ覚えないと魔術核強化できないんでしょ? それなら指導して覚えてもらえれば、スクロールのための経費を抑えられると思うけど? それとも天下のアレイスター学園が人数分、業者に頼むつもりでいるの? 経費だって結構かかるよ?」
「うっ……」
笑顔で言い返されて、フィオナは言葉に詰まった。
スクロールは開いて魔力を込めるだけで発動する。作成に必要なのは紙と、インク。そして何より肉体強化魔術に関する正確な知識と理解が必要になる。業者に頼んだ場合、料金の大半は知識に支払われるのだ。その知識をお金をもらって教えるのが学園。それをわざわざお金を払ってまで、外部に発注するのは学園の矜持にも関わる。無駄にできる資金など一ゴールドたりともない上に、何より万が一の事態に国民の命を救う手助けにも繋がる。選択肢は一つしかない。
「……わかったわよ。魔術核強化希望者には、肉体魔術の座学講習もセットにするわ……」
ヒースに押し付けられる悔しさに歯噛みしながら、断腸の思いで吐き出したフィオナにヒースは殊更美しく微笑んだ。
「素晴らしい決断だね。アレイスター家の貢献に感謝して、宣伝は王家が協力するね」
「……無償で魔術知識を放出させるんだ。それくらいは当然だろ」
「うふふ……じゃあ、早速取り掛からないとね。フィオナとレオンは計画の下方修正を頑張ってね!」
「くっ……!」
ヒースにまんまとしてやられたフィオナは、敗北感に打ちのめされながらしおしおと掃除用具を片付ける。
学園黒字化計画の中でも、確実に成功すると思っていた「魔術核強化プログラム」。脳筋すぎて気づかなかった目玉商品の穴の大きさと、ヒースからの追い打ちにフィオナはしょんぼりと帰宅の途についた。
さらにはフィオナの立ち直りを待たずに、新たな試練が待ち受けていた。フィオナの父・ローランが一年半ぶりに帰還を果たす日がやってきたのだ。
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