第34話 取らぬ狸の



 ローランの帰還が近づくにつれ、フィオナは日々緊張を募らせていた。そんなソワソワと落ち着かない日常を、魔術核強化訓練の宣伝活動で忙しく過ごしていた。順調にすぎていくと思われた日々に、突然学園からの緊急連絡が届けられた。

 内容は「魔術核強化プログラムのトライアル中に、問題が発生」とのこと。黒字化計画の要のトラブルとあって、フィオナは慌ててレオンとヒースと共に学園に駆けつける。そして目の前に広がる凄惨な光景に、瞳を見開いて絶句した。


「……な、なに? 一体何が……?」

「……っ!! ダニー!!」


 レオンが顔色を変えて、訓練場に横たわるクジラ亭のダニーに駆け寄る。ぐったりとレオンに抱き起こされたダニーの顔色は、蒼白を通り越して死人のように真っ白だった。白目をむいてだらしなく開けられた口元は、嘔吐したのか吐瀉物で汚れている。


「しっかりしろ! ダニー! エンツォ! ユーリ!」


 ダニーの側に転がっている、他の友人達にもレオンが吠えるように声を上げた。ダニーと共にトライアルに参加してくれていた、平民街のレオンの友人達はぴくりとも動かない。


「死んで、る……ど、どうして……!」


 瞳を潤ませながら震える唇から声を押し出したフィオナに、ヒースは呆れたようにため息をついた。

 

「いや、フィオナ、落ち着いて。もうすぐ死にそうだけど、まだ生きてるよ」

「どうしよう……! リブリー教授は? すぐに神官を呼ばなきゃ!」

「だからフィオナ、落ち着いてってば。神官は多分リブリー教授が呼びに行ってるから」

「でも……このままじゃ……!」

「フィオナってばすっかり忘れてるんだね。大丈夫。死んだりしないよ。ほら、レオンもちょっとどいてて」


 ヒースは内ポケットから小瓶を出しながら、真っ青になってダニーに縋り付くレオンを腕で引き剥がす。鋭い目つきで振り返ったレオンが、ヒースの持つ小瓶にハッとしたように表情を変えた。急いでぴくりとも動かないダニーに、小瓶の液体を飲ませようとするヒースを手伝い始めた。ダニーがゴホゴホと咳き込みながら、うっすらと目を開ける。


「ダニー! よかった。ゆっくり深呼吸しろ」


 レオンとヒースは次々と倒れている他の友人達にも液体を飲ませていく。同じように覚醒した三人が、ぼんやりと深呼吸をし始める。その様子にほっとしながら、フィオナはようやく何が起きたのかを理解した。


「よ、よかった……でも、そっか……」

「思い出した?」

「うん……」

「魔術核強化訓練だもんな……」


 ヒースの問いかけにフィオナはしょんぼり頷き、冷静さを取り戻したレオンも苦い顔で同意した。学園生活での血反吐を吐くような実技訓練が蘇り、流石に忘れたのかとヒースが呆れたことに納得した。

 人間も魔獣も魔術核の構造は同じ。本能に従い魔獣が共食いをし、最終的に人間を襲いにくるのはより多くの魔術核を取り込み自身の強化を果たすための行動だ。つまり同じように魔術核を持つ人間も、魔術核の強化の仕方は同じ。

 ヒースの持っていた小瓶は魔獣から回収した、砕いた魔石を混ぜ込んだ栄養剤。王族として緊急回復用に持ち歩いているのだろう。効率的に魔術核を強化するために、フィオナたちも学園に在籍中にはこうして訓練していた。急激な魔力増加に耐えられるように、体を鍛えながら枯渇するまで魔力を使い果たして魔石を取り込む。座学よりも実技が得意だったフィオナでもしんどかった訓練なのだから、今ダニー達が死体寸前で転がっているのは、ある意味正しい光景なのだ。


「……ああ、来ていたのか。ゲッ! 殿下!」


 背後から声をかけられ、振り返るとリブリーが神官を連れて戻ってくるところだった。ヒースがにこりと会釈すると、リブリーはちょっと警戒するように眉を顰める。


「リブリー教授、どこに行っていたのですか!」


 倒れる友人を放置して姿が見えなかったことを咎めるレオンに、リブリーは困ったように眉を顰めた。


「スタン神官を呼びに行っていたんだ。頃合いを見て魔力回復薬を届けてもらう予定だったのだが、想定以上に早くへばりおってな?」


 やっと上半身を起こせたダニーたちは、リブリーの声にビクッと肩を揺らし怯えたように顔を伏せる。


「ああ、回復薬なら僕が飲ませましたよ」

「う、うむ……そのようじゃな……」

「スタン神官、念のためダニー達を見てもらえますか?」

「そうですね」


 レオンとヒースがへたり込んでいるダニー達を近くのベンチに座らせ、スタンが診察するのを見守った。


「……と、まあ、見ての通りなんじゃが……」

「体調は問題ありませんね。ですが魔術核強化効果は、本日の目標まで届いていないみたいです」


 スタンの報告にため息をついたリブリーに、驚いたようにダニー達が顔を上げた。


「やはりそうか……」

「原因は?」


 考え込む教授にヒースが問う。


「うむ。基礎訓練と魔力発散のバランスの問題じゃな。通常は肉体強化を発動させて基礎体力訓練をする。時折魔術を発動も織り交ぜて魔力と体力の枯渇が同時になるようにするのじゃが、三人とも肉体強化は刻印していないからのう」


 リブリーの見解に、フィオナは納得したように頷いた。

 

「あ、そっか……それだと確かに効率が……んー、じゃあ、トライアル期間中だけ肉体強化を刻印するとか……」

「いや、ダメじゃな。魔力が尽きる前に体力が尽きる。同時に枯渇させないとならん」

「じゃあ、部分的な肉体強化して、体力消耗を一部に押さえるとか?」

「部分的に発動して、魔力調整か。ふむ。面白い発想じゃな。だが強化訓練と考えるとダメだな。身体の訓練成果にバラツキが起こるからの」


 意見を出し合い考え込んでいると、信じられないと目を見張っていたダニー達が声を上げる。

 

「いや、待って! 体調に問題しかないんですけど! 動けないんですけど!」

「え? これだけやってダメとか……」

「マジかよ……こんなにキツイって聞いてない……!」


 騒ぎ出したダニー達を、フィオナが慌てて宥めにかかる。


「だ、大丈夫! 三日もすればきっと慣れるわ! ちょっと大変かもしれないけど、一ヶ月頑張れば中位魔術分の強化ができるんだし! 頑張りましょう!」


 励ますための渾身の慰めに、ダニー達が顔を引き攣らせた。


「い、一ヶ月……」

「無理だって……絶対俺死ぬって……」

「そうだよ! 魔術核が強化されても、死んだら意味ない!」

「いえ! 大丈夫です! 死にかけるだけで、死にはしませんから!」

「ごめん、レオン! 無理だ! こんなの続けてられないよ!」


 ダニー達はレオンから気まずそうに視線を逸らしながら、よろよろと立ち上がって帰り始める。


「せっかく声をかけてくれたのに悪いな……ちょっと続けていく自信ない」

「ま、待てよ、ダニー!」

「ダニーさん! ちょっと待って! 今より強くなれるんだよ!」

「ま、そうなるよね……レオン、無理強いは良くないよ? フィオナも強いのすごいって価値観はアレイスターだけの価値観だって理解しようね?」

「えっ!?」


 衝撃を受けるフィオナから、ヒースがレオンに視線を向ける。


「レオンも無理に引き止めても、成果は出ないってわかってるでしょ?」

「……ああ」

「で、でも……! 強くなれるのに?」


 そして何より学園の立て直しの、一番の目玉になる予定の授業なのだ。貴族学園という平民達にとって高い敷居を、この授業を糧に跨いでもらう予定なのだ。せっかく奨学金制度を作っても、学園で学ぶ価値を見出してもらえなければ意味がない。焦って涙目のフィオナに、ヒースはにっこりと笑みを浮かべた。


「でも仕方ないでしょ? 僕達も入学した「貴族」もこの訓練を八年間毎日続けてきたけど、一ヶ月も頑張るのは無理だって彼らは言ってるんだから」

「八年間……」


 ダニーが思わず顔を上げると、レオンが静かに頷いた。


「ああ……文字通り血反吐を吐きながら八年続けた。俺だけじゃない。騎士団に入団した奴もだ。平民街にくる貴族もな。学園を卒業しなくても基礎学術を修了する一年間は、同じ訓練を受けなければならないからな」

「ん? 同じではないぞ。卒業生のお前達は限界までだ。現状の訓練は中位魔術一つ分だからな」


 リブリーが鷹揚に頷くと、ヒースは小さく眉尻を下げた。

 

「じゃあ、ちょっと軽めの訓練なんですね。軽めだったらあんなに吐かずに済んだのかな……」


 ヒースが小さく呟くと、気まずそうにダニー達は唇を噛んで俯く。レオンはため息をついて表情を改めると、友人達に向かい合った。


「……貴族であれば学園で基礎学術を修める。どんなバカでも、最低一年はこれを続ける。俺たちと貴族との差は魔術核の資質だけじゃない。でも他国と違ってその差は絶対に縮まらないわけじゃない。アレイスターが奨学金制度と、強化技術を広く解放することを決断したから」

「王家としても魔力の底上げは推奨したいとこだけど、ノウハウが他国に流出する可能性が高まるのは心配なんだよね」

「ふん! 盗めるものなら盗むがいい!」

「今のところは戦闘魔術脳筋の最高峰だけの特権でしょうね。魔術核強化しようなんて脳筋が極まってるし」


 胸を張ったリブリーにヒースが肩をすくめる。


「……ダニー、魔術核強化なんてこの国に生まれて、アレイスターがあるからこそ得られるチャンスなんだ。でも無理強いはしない。今日手伝ってくれただけでも感謝してる」

「…………」


 レオンの言葉にダニー達は小さく返事を返し、礼をすると帰って行った。また来てくれるかはわからない。

 強くなれるかもしれなくても、しんどいと人はやりたがらない。この日フィオナは自分の中にはなかったその事実にショックを受け、ただただ茫然と帰っていく三人を見送ることしかできなかった。



 

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