第32話 幼馴染
「……レオン様は今は隣国の王配になった、第二王子殿下をご存知ですか?」
「陛下の王弟殿下ですよね?」
「はい。王弟殿下は学生時代にエレイン様と出会われまして、一目惚れをしたそうでずっと求婚をなさっていました。ところがエレイン様はだいぶフィオナ様でして。恋愛よりも魔術に夢中でした。ですが異国の魔術に興味を持ったのをきっかけに、ローラン様と親交を深め恋人になったのです。王弟殿下は通例通り大失恋なさいました」
「……そう、ですか。エレイン様はフィオナよりは脳みそが筋肉じゃなかったんですね」
「ふふっ……そうですね。婚姻もエレイン様のゴリ押しで、ローラン様が婿入りしてでしたので」
「ゴリ押し、ですか?」
眉を顰めたレオンに、エディが頷いた。
「はい。ローラン様もエレイン様に想いを寄せていたのですが、エレイン様は王弟殿下に望まれるアレイスター直系息女。対してバティオ家は子爵家でおまけに没落気味の家門。とても結婚なんてと尻込みしておいででした。それをそんなの関係ないっと押し切って結婚となったのです」
ローランがどんな気持ちだったか、痛いほどわかる気がしてレオンはグッと拳を握りしめた。
「ですがローラン様は本来本を好む繊細な方。肉体言語を好まれるアレイスターでは居心地が悪いようでした」
「……そう、でしょうね。野生のルールが罷り通ってますもんね」
ローランの絵姿を、レオンは同情するように見つめた。夕飯のメニューも対戦で決めるってなんだよ。
「ですがローラン様はエレイン様を愛しておられました。不得手な実技ではなく、別のことで力になろうとしたのです。傾いてる学園の経営に苦心するエレイン様のために。そうして頻繁に魔術収集に出かけられるようになりました。ほとんど屋敷にはいない日々が続きました」
驚いたように顔を上げたレオンに、ヒースは笑みを浮かべたがすぐに長いまつ毛を伏せた。
「エレイン様はローラン様の頑張りを理解しておられましたが、フィオナ様とてもお淋しそうでした。きっと理解するには幼過ぎたのでしょう。いつの間にか距離ができてしまいましたが、不在が続き埋めることができないままエレイン様がお倒れになりました」
「…………」
唇を軽く噛み締め俯いたレオンに、エディは静かに視線を下げた。
「……病床のエレイン様をフィオナ様は必死に看病されていました。エレイン様もローラン様を待っておられましたが……残念ながら間に合いませんでした」
「え……」
目を見開いたレオンに、エディは悲しそうに瞳を伏せた。
「もともとアレイスターを体現するようなフィオナ様と、学者肌のローラン様には距離がありました。ですがそのことが決定打となって、もうずっと拗れてしまっているのです」
「お、れ……」
涙目で叫んだフィオナの顔が浮かんで、レオンは真っ青になって頭を抱えた。
※※※※※
感情のまま駆け戻った私室に辿り着くと、フィオナは脇目も振らず椅子に座らせていた大きなクマのぬいぐるみに突進する。両腕が回らないほどでかいクマの名前は「バルトル君」。
殺風景なフィオナの部屋には不釣り合いな愛らしさを振り撒くバルトル君は、フィオナが三歳の時からこの部屋の住人だ。フィオナはバルトル君を抱えると、力任せに思いっきり抱きしめた。
「レオンのバカ! 何にも知らないくせに!! ヒースの腹黒! 知っててお父様の話を持ち出すなんて!!」
馬鹿力で抱きしめたバルトル君は、ちぎれることもなく首元の大きなリボンについた魔石が光らせる。修復の魔石が圧迫を受け流して、バルトル君は何事もなくふかふかしたままだ。
怒りのままにバルトル君のまんまるのお腹を、ボコボコと殴っていると私室の扉が静かに開く。フィオナは振り返ると思いっきり睨みつけた。誰かはわかっていた。
「ヒース、勝手に入ってこないでよ!!」
「んーでも、八つ当たりされてるだろうバルトル君が心配だからさ」
「…………」
フィオナはブスッとしてバルトル君を殴る手を止めた。ヒースは転がされたバルトル君を拾い上げる。
「バルトル君、いつも僕の幼馴染がごめんね。大事にしてねってプレゼントしたんだけどね」
「いつもは大事にしてる……」
「知ってる。この部屋にバルトル君以外のぬいぐるみないもんね」
バルトル君に優しく語りかけるヒースから顔を背けたフィオナに、ヒースはくすくすと笑った。
バルトル君は四歳の誕生日に、ヒースがくれた。大雑把なフィオナを見越して、修繕の魔石付きなのが良かったのかもしれない。おかげで今も壊れることなく、愚痴を聞いてくれたり八つ当たりに付き合ってくれている。
拗ねてベッドに突っ伏したフィオナの隣に、ヒースはバルトル君を抱えたまま腰を下ろした。
「それで頭は冷えた?」
「…………」
「父親を亡くしてるレオンに失言して恥ずかしい? それともローラン教授が帰ってくるからナーバスになってた? 教授に相談すべきだってわかってたのに、意地を張ってできないことを指摘されて居た堪れなくなった? どれ?」
「……全部」
「全部かー」
「レオンには謝ればいい。レオンも言いすぎたって反省してるから。ローラン教授のことは、いい機会だから今度こそちゃんと向き合えばいいよ。もしかしたら汎用魔術のことも解決できるかもしれないだろ?」
「……無駄よ。お父様はいつも私にごめんしか言わないから」
ベッドの突っ伏したままくぐもった声で返事をすると、ヒースは呆れたようにため息をついた。
「ごめんの先を待てばいいんだよ。ローラン教授はアレイスターと違って、脳みそを通過させてから言葉にするの。だから待つのが大事。アレイスターはせっかちなんだよ。あ、それと声量を抑えるのも大事だね。君らは声もでかいから」
「…………」
無言のまま顔を見せないフィオナの頭を、ヒースはバルトル君の腕で優しく突いた。
「何度も失敗してるから怖気付いてる?」
「……うるさい」
「今度はうまくいくかもしれないでしょ?」
「…………」
「それともエレイン様の葬儀に帰国が間に合わなかったことを責めそうで不安なの?」
「………ヒース!!」
思わず身を起こしてヒースの襟を掴んだフィオナに、ヒースは驚くでもなくいつもの飄々とした笑みを浮かべた。
「別にそれについては責めてもいいと思うよ? エレイン様が待ってたのにって」
「お母様は責めないであげてって言ったの! ルディオ叔父様だって……」
うるっと瞳を潤ませたフィオナに、ヒースはバルトル君を押しつけた。縋るようにぎゅっとバルトル君を抱きしめたフィオナの頭を、ヒースが優しく撫でる。
「それはエレイン様の気持ちで、学園長の判断だろ? フィオナは病床のエレイン様のそばでずっと、ローラン教授を待っていたのを知っている。帰ってきて欲しいの帰ってきてくれなかった。フィオナのそういう正直な気持ちを伝えることは悪いことじゃない」
「でも……」
「言い過ぎちゃうのが心配なんだよね。大丈夫、僕がそばにいて止めてあげるから」
「…………」
「家にいてくれなかったのは寂しかった。葬儀に間に合わなかったことを怒っている。ちゃんと伝えられるように、僕が手伝ってあげる」
フィオナはヒースにチラリと視線をあげる。見慣れたヒースの顔は金貨みたいにピカピカの髪に縁取られ、いつもの柔和な笑みを浮かべている。こんな時の笑顔は幼い頃から何も変わらない。まるでフィオナよりフィオナを知っているかのような口ぶりは、不思議なことに感情的になっていた心を落ち着かせていく。
「……幼馴染って厄介ね。考えてることが見えてるんじゃないかって気になるわ」
「実は見えてるんだよ。僕はフィオナのことならなんでも知ってるんだ。こんなにフィオナを理解してる男はいないんだから、早くお嫁さんに来るといいよ」
心底嫌そうに顔を顰めたフィオナに、ヒースがくすくすと笑みをこぼした。
「学園は黒字にして見せるわ! 肩っ苦しい王宮に嫁入りする気はないから!」
「そう。残念。気が変わったらいつでも言って?」
「変わるわけないでしょ! 大体ヒースだって魔物実習の奨学金事業に関わるんでしょ? ヒース自ら学園の黒字化に協力してるんだからね?」
「まあ、そうだね」
なんでもなさそうに同意したヒースに、フィオナは再び鼻の頭に皺を寄せた。ヒースは満足そうににっこりと笑みを閃かせ、ベッドから立ち上がった。フィオナも釣られてもそもそとベッドから抜け出す。
「さて、レオンに謝りに行くんだろ?」
「……うん。ちゃんと事情を説明する。それに板挟みで気まずい思いをさせるかもしれないって言っておかなきゃ……」
「そう。もうちょっと絶望させておくのも悪くないと思うけどね」
「……なんでよ。私が意地を張ったからなのに。謝罪はしなきゃ。ヒースもその底意地の悪さを早くなんとかしないさいよ」
「なんで? 別に困ってないよ?」
「……ヒースはね。そうじゃなくて周りが困るのよ」
肩をすくめたヒースに呆れて、フィオナは歩き出した。扉を出ようとしたところで一度立ち止まり、ヒースを振り返らずに口を開いた。
「……ヒース、ありがと」
「ふふっ……どういたしまして」
ふわっと笑ったヒースに、フィオナはそそくさと廊下に出る。
(本当に幼馴染って厄介ね……)
いつもどうしようもなくなった時、宥めてくれるのは金貨色の綺麗な髪色の幼馴染だった。見慣れたはずの顔を見るのが妙に恥ずかしい気がして、フィオナは振り返らないまま部屋を出た。
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