第17話 先祖代々続くイベント
息を詰めてヒースの条件を待つフィオナとレオンの様子を、ヒースは楽しそうにたっぷりと眺めた。焦れたフィオナが口を開きそうになったタイミングで、ヒースはようやくにっこりと麗しい美貌を微笑ませる。
「まずは一つ目の条件ね。改革の定期報告をすること」
「……定期報告」
「そう。立て直しの状況を月次で報告してほしい。他にも新規改革をする場合は、事前に連絡をしてほしい」
「……事前連絡」
フィオナはごく真っ当な条件の提示に、ごくりと唾を飲み込んだ。
(ヒースなのに、普通……)
借入している以上は、やって当然のことだ。あまりの真っ当さに、とうとうヒースも人の心を取り戻したのかもしれない。とちょっと希望が見えて思わず気が緩みかけたフィオナは、レオンが全く油断することなくヒースを見据えているのに気づいて表情を改めた。
(そうよ! 普通の条件だからって、油断してはだめ。相手はヒースなんだから!)
グッと警戒を強めたフィオナに、ヒースが心底楽しそうに笑顔を向けた。
「今度は忘れないで定期報告と事前連絡してくれる?」
「……ええ、約束するわ」
「よろしくね。じゃ、二つ目。二つ目の条件は、二年以内に学園経営を黒字転向させること」
「二年以内に……!?」
「うん。そう。二年以内に。これだけの費用をかけるんだ。そして二年の猶予がある。それでも黒字転向できないと言うなら、どのみち
「そ、それは……」
「……アレイスター
黙って聞いていたレオンが、ここで初めて静かに口を挟んだ。ハッと息を呑んでフィオナも、二年という期限より、その先こそが大事だと気がついた。できなかった場合の対処。それこそが王家の本音だ。聞き逃さなかったレオンに口角をあげたヒースを、レオンは真っ直ぐ見据えている。
ごくりと唾を飲み込んだフィオナと、微動だにせずにヒースを見つめるレオン。ヒースが麗しい微笑みをゆっくりと浮かべた。
「……二年以内に学園の立て直しの兆しが見えない場合、三つ目の条件を呑んでもらうことになる。条件はフィオナ・アレイスターは、クロイゼン王国の王太子と婚姻を結ぶこと。つまり僕と結婚してもらう」
不穏に瞳を眇めても動揺は見せないレオンに、ヒースはエメラルドの瞳を細めた。
「まあ、さすがに驚いては貰えないよねぇ」
「……驚いて貰えるとも思ってなかったろ? ちょっと考えれば、誰でもわかることだ」
「そうだね。無償の支援を何度も行うだけの価値が学園にはある。国防の一翼を担っていて、国益さえ左右してるんだから。でもその学園の創立一族が存続できないのなら、王家が存続を引き受ける以外の選択肢はない。なら結婚をすべきだと思うんだよね」
肘をついてにっこりと微笑むヒースを、レオンが睨むように見据える。二人の様子に完全に空気と化していたラルゴが、チラリとフィオナに視線を向けた。
(……残念ですが、驚いている方がいらっしゃいます!)
ちょっと考えれば誰でもわかる、驚いてさえ貰えない答えに、今言葉もないほど驚いている
「軍権の掌握……
レオンの低い呟きに、フィオナに気をつけて取られていたラルゴが息を飲んだ。慌てて視線を巡らせた先のヒースは、嬉しそうな微笑みを浮かべている。でもその瞳の色は、浮かべている微笑みとははかけ離れていた。
「ふふ……レオン。やっぱり今からでも王宮付きにならない? その頭脳をぜひ王国のために役立ててほしい」
「断る」
「即答はひどいな。青春を共に過ごした仲だろう? 全く……でも、いいよ。フィオナの持参金に、レオンを指定するから。というわけでフィオナ、持参金はいらないから結婚の時はレオンを連れてきてくれる? 大丈夫。金貨は僕がいっぱい持ってるから……って、あれ? フィオナ?」
ここでようやく完全に固まっているフィオナに気づいたヒースは小首を傾げた。レオンは石像になっているフィオナの前で、手を振り反応がないことに呆れてため息をついた。
「……固まってるな」
「……え、まさか学園長は僕との結婚の可能性を、この期に及んで伝えてなかったの? いや、でも言われてなくてもちょっと考えればわかることだよね?」
「まあ、フィオナだからな。普通にわからなかったんだろう。少なくとも学園長は学園継承の時は言ってなかった」
「そう……さすがアレイスターだな。しぶとい……幼少期から再三申し入れもしてて、さらにこの状況でも一言も伝えてないとか……」
「それだけ反対ってことなんじゃねーの?」
「おやぁ? なんだい、レオン君。棘がある言い方だね? 何? 反対であってほしいの?」
「……俺は別に……」
「参考までに言っておくと、別に反対されてるわけじゃないから。脳みそ筋肉アレイスターはね、恋愛ごとがただただ苦手なだけだ。婚姻は本人の自由意志って言い訳で、持ち込まれる婚約話は聞かなかったことにするんだよ。だからアレイスターの息女のフィオナに、いまだに婚約者がいない」
「……それは貴族としてどうなんだ?」
「そりゃ、アレイスターだからね。それが許されるだけの権威と名誉、あと筋肉がある。怒らせれば一族総出で殴り込みにくるからね。アレイスターに魔術で勝てる家門は存在しない」
「それはそうか」
「ただ、本人の意思。そう宣言してるからには貫くよ。そういう家門だ。本人が決めたなら反対はしない。その相手が僕でも、そして君でもね……」
「俺は……」
口ごもって視線を逸らしたレオンを、ヒースはしばらくじっと見つめていたが、やがて肩をすくめた。
「不参加でいてくれるなら僥倖。つまんないけどね。ライバルは少ない方がいい……さて!」
囁くように呟いて、ヒースはフィオナに向き直った。
「ねえ、フィオナ。そろそろ正気を取り戻してくれる? 三つ目の条件は二年で黒字転向できなかったら、フィオナは僕と結婚ってことで……」
結婚の単語にぴくりとフィオナは肩を揺らして、グリンとヒースに向き直った。
「はぁぁあああああーーー!? 結婚? 誰と誰が? 私とヒースが? 何言ってるのかわかってんの!!」
「あ、やっと覚醒した。よかった。あのね、フィオナ。そこまで驚く話でもないよ? フィオナ以上に僕のお嫁さんに相応しい子がいると思う?」
「いやいやいやいや、いっぱいいるでしょ? 学園中の女子がヒースのお嫁さんになりたがってたじゃない!」
「そうだね。確かに僕は超モテるよ。でもさ、考えてみてよ。フィオナ以上の子っている? 家柄、能力、魔術核。どれ一つとっても、フィオナに敵う子は一人もいないだろ?」
「いやいや、待って! 落ち着いて、ヒース!? 結婚よ? 確かに貴族はそういう基準で結婚を決めたりするわ! でもそれでいいの? そんな風に決めていいの? 結婚よ?」
「落ち着くのはフィオナの方だ。アレイスターとの婚姻は、王家の悲願でもあるんだ。王家は代々、アレイスターに結婚を申し込んできたし……」
「え……何それ……初耳なんだけど……」
「ん? あれ? それも知らなかった? まあ、アレイスターはそういう話はあんまりしないかもねぇ」
「う、うん……そうね。あんまりしないかも……特にルディオ叔父様は恥ずかしがり屋だし……って、え? あれ? 代々? でも一人も王族と結婚してる人、いなくない?」
衝撃の事実にあわあわしていたフィオナは、ふと思い至った事実をポロリと口にした。その途端、ヒースの笑顔がぴしりと固まった。
「アレイスターで王家と結婚した人いた、かな……? でも代々って……ん? 代々っていつから? ねえ、ヒース、代々って……ヒース……?」
笑顔のまま動かなくなったヒースに呼びかけるフィオナに、ずっと無言を貫いていたラルゴがそっと口を開いた。
「……あ、あの、フィオナ様。アレイスター家と王家は、まだ一度も婚姻関係が結ばれたことは……」
「あ……そう、よね……? 記憶にないし……でも代々なんでしょ? でも代々って一体、いつから……? 一人くらい……」
「……王国建国の時からです……アレイスター家の開祖が戦闘魔術を開発し、魔獣を掃討して王国建国の礎を築いた時から……」
「建国の時から……? え、でも……一人もいないのよね? 王家と結婚した人……えっと、それってつまり……」
「ぶふぅ……!!」
首を傾げたフィオナにレオンが吹き出し、思考を遮られて眉を顰める。
「……レオン? 急に何?」
「い、いや……な、なんでも、ない……アレイスター式……カウンターが……ツボに……」
片手を突き出し顔を背けながら、レオンが肩を震わせている。
「カウンター? 何言ってるのよ! もう……とにかく! 王家は建国時代から代々、アレイスター家に婚姻を申し入れてた訳で……でも結婚したことは一度もなくて……」
「つまり、王家はアレイスター家に、代々振られ続けてきた。だからアレイスターとの婚姻は、王家の悲願なんだって言えばいい?」
復活したヒースがヤケクソ気味に微笑み、フィオナはやっと腑に落ちて頷いた。
「あ、そうね……そういうことよね……なんかご先祖様達がごめん……」
「謝らないでくれる? レオンがますます笑うから。それにね、そんな悲しい歴史も僕の代で終わりだから。フィオナがお嫁さんにきてくれればね」
「あっ! そう、それよ! なんでそんな話になるのよ! ご先祖様たちはご先祖様達で、王家の悲願って別にヒースは……!」
「……ヒース、条件は二年後に学園が黒字転向できなかったら、だろ? 王家の悲願達成というには気が早いんじゃないか?」
笑いの余韻が残るニヤニヤ顔を上げたレオンに、ヒースが笑顔のままぴくりと青筋を立てた。
「……何、レオン? 不参加じゃなかったの?」
「不参加なんて言ってないだろ? 現に俺はここにいる」
「そうだね。でもずっと傍観者だった。てっきり譲ってくれたものだと思ってたけど?」
「勘違いさせたみたいだな。でも悪いが俺は職務に忠実なんだ。学園を黒字にするために雇われてる。それに不憫だろ? 貧乏なせいで相性最悪な王家に、雇い主が嫁ぐことになる事態になるのは」
「相性バッチリだよ? 王家とアレイスターは、建国以来代々仲良しだし」
「そうか? 建国以来、悲願になるほど代々振られ続けてるのに?」
「ああ、そう……それで元気になっちゃったんだ……ふーん、なるほどね。じゃあ、本人に確認しようよ、フィオナ!」
「……ふぁいっ!!」
何やら学生時代のように額を突き合わせ、言い合いする二人に一人蚊帳の外にいたフィオナは、急に振り返ったヒースとレオンにびくりと肩を跳ね上げた。
「条件を呑むよね? 学園立て直したいもんね?」
「いや、条件は考えるな。単純にフィオナはヒースと結婚するつもりがあるかを答えろよ」
「は? ちょっとレオン! 勝手に不利な前提に変えるつもり?」
「不利だって自覚はあるみたいだな」
「え……えぇ……」
レオンとヒースに真剣に詰め寄られ、情けない声をあげた。助けを求めるように巡らせた視線の先で、ラルゴが心配そうにフィオナを見つめている。でも助けてもらえそうにない。
(条件なしって……それ、考える意味あるの……?)
そもそもヒースとの結婚云々は、学園立て直しの資金を借り入れる条件として出たものだ。学生時代のようにギャアギャア言い合いするレオンとヒースは、いつの間にか本題を忘れてしまっているようだ。
(あ、もしかして……心配されてる?)
ヒースと結婚することになる可能性はゼロではない。条件なしで考えろというのは、もしヒースと結婚したらうまくやっていけそうか心配してのことなのだろう。それなら正直に考えを伝えるべきかもしれない。どのみちフィオナの答え決まっている。
よし、と気合いを入れると、フィオナは言い合う二人に向き直った。
「二人とも聞いて! 条件なしで考えるなら、「わかんない」が答えよ!」
元気に言い放ったフィオナに、騒いでいたレオンとヒースがぴたりと黙り眉を顰めた。
「……わかんない?」
「うん! わかんない! 私、今まで一度も結婚とか考えたことないの。したいともしたくないとも考えたことない。魔術研究で忙しかったし! だから正直、さっぱりわかんない!」
力強いフィオナの宣言に、レオンとヒースは顔を見合わせた。
「……一度も?」
「うん! 一度も! 術式解析なら死ぬほど考えたけどね!」
「いや、でも結婚はしないとだろ……」
「大丈夫よ! 結婚とかそういうのって、自然の流れ? みたいなのがあるんだって! ルディオ叔父様とローザ叔母様が言ってた! だからそれまでは学園と研究に邁進してればいいかなって!」
「流れ……」
「そう、あるらしいの! だから二人ともそんなに心配してくれなくていいから! 流れ? っていうのがくるのを待ってればいいわけだし!」
「……待機するのかよ」
流れがなんなのか全くわかっていないくせに、自信満々なフィオナにレオンがため息をついた。
「え……でも向こうから来るって叔父様達も……」
「……ねえ、フィオナ。令嬢達が着飾って僕を取り囲むのはなんでだと思う?」
「さぁ……なんで、だろ?」
「来た流れを掴むためだよ……」
出会うという「流れ」は、その先を求めて「掴まなければ」ならない。掴む気がないなら、ただ流れていくだけだ。
「掴む?」
「うん……」
「掴む……」
首を捻って考え込み始めたフィオナは、揃って珍獣を見るような目つきの二人に気づいて、何やらちょっと恥ずかしくなった。
「え、私なんか勘違いしてた……り……?」
「……フィオナだな」
「フィオナだね……」
額を突き合わせて怒鳴り合っていたはずの二人から、憐れむように見つめられフィオナはムッと眉根を寄せた。
「な、何よ! でも条件付きで考えるとしたら、すっぱりキッパリ答えは一択だから! 黒字にできなかったらヒースと結婚しようじゃないの! でもヒース、心配しないで! 無理に結婚しなくて済むように絶対、黒字にしてみせるし! だから安心私にお金を貸して!」
むんと気合いを入れて叫んだフィオナに、レオンとヒースはどうでも良さそうに頷いた。
「だろうな。それは知ってた」
「僕も知ってた。じゃ、定期報告、事前連絡、二年で黒字。できなかったら僕との結婚ってことで、あとで書面にして送るから……」
「じゃあ、ヒース。そろそろ帰るわ」
「うん、お疲れ様」
ダラダラと動き出したレオンとヒースに、フィオナは慌てて声を張り上げた。
「ちょっと、二人とも何よ! なんで急に興味をなくしてるわけ!! 一大決心なのよ!」
「いや、なんかフィオナだなって思ったらどうでも良くなった」
「うん、僕も……今日はもう疲れたから帰ってくれる?」
「え? なんで……ちょっと、ヒース!」
グイグイと小切手を押し付けられて、ヒースの私室から閉め出される。躊躇なく鼻先で閉められた扉は、フィオナが騒いでももう開くことはなかった。
「えぇ……なんなのよ、一体……」
結果として目的であった、王家からの資金の借り入れはできた。でも微妙な敗北感を感じながら、フィオナは釈然としないまま帰路に着いたのだった。
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