第16話 無駄土下座



 大失敗した顔合わせの重い空気の中、持参した立て直し計画案をヒースがパラパラと捲る音だけが響く。気まずい空気の中、僅かに眉を顰めたヒースが呟いた。


「ふぅん……さすがレオン……気づいちゃったかぁ……」


 その呟きにレオンがぴくりと眉を揺らした。ヒースの一言で巡り始めたレオンの思考を遮るように、全く違う箇所にフィオナが反応した。出会い頭の失態を挽回しようと、フィオナが勢いよく身を乗り出す。


「待って! ヒース! レオンだけじゃなくて私も一緒に考えたの! どう? すごく建て直せそうな計画案でしょ!」


 得意げに手柄を主張するフィオナに、ヒースは肩をすくめて平坦な視線を向けた。


「そうだね。でもフィオナが考えたのって経費削減案だけでしょ? この立て直し案の肝は魔術核強化と汎用魔術の導入。つまり立て直しの核はレオンの案だ」

「うぐっ……な、なんでそう思うのよ!」

だよ。フィオナでは出てこない発想だ。逆に言えば経費の件はフィオナ以外あり得ない案。だろ?」


 全くもってその通り。でもどこか含みのあるヒースの言い方に、フィオナは違和感を覚えて頷けなかった。フィオナよりよっぽど空気を読めるレオンが、表情を険しくしてヒースを見据える。


「……ヒース、違うとは思うけど……まさか……」

「わからない? じゃあ、フィオナでもわかるようにはっきり言うね。魔術核強化と汎用魔術の導入。これは貴族には出てこない発想だろ。逆に栄誉ある学園の教授に、草むしりをさせようって判断はフィオナにしかできない。そういう意味。わかった?」


 今度はさすがに意味を理解したフィオナはが、信じられないとヒースに目を見張った。


「……ヒース! あんた何言ってるかわかってる? 身分で判断するような……!」

「フィオナ、誤解しないで。。個人的な思想はともかく、現に今身分の違いは厳然と存在してるからね」

「でも……!」

「僕はレオンを一度たりとも、平民だと侮ったことはないよ。第一、それなら卒業後の進路を気にしたりしない。まあ、フィオナはすっかり、僕との約束は忘れ去ってたみたいだけど」

「約束……? あ……」


『……そんな顔しないで。きっと事情があるんだろうから。僕に連絡が来たら、ちゃんと知らせる。だからフィオナに連絡が来たら、僕にも知らせてほしい。レオンの頭脳を遊ばせておくのは勿体無いだろ?』


 ヒースと退園最終日の約束を思い出して、完全に忘れていたフィオナはまずいと目を泳がせた。

 

「僕はレオンの資質と頭脳を正当に評価している。ぜひ王宮に欲しい。王宮は年々人手不足が加速しててね。優秀な人材は一人も取り逃がしたくない。なのにフィオナは約束を忘れた挙句、僕から横取りまでしてくれたよね」

「……え、人手不足なの?」

「そう、人手不足で困ってるんだ」

「あー……連絡はごめん……い、忙しくて……でも、別に横取りなんて……」


 ヒースからの連続攻撃に、フィオナはしどろもどろに言い訳を探した。面白いようにヒースに転がされているフィオナに、レオンは呆れつつ秘書の仕事をすることにした。


「……フィオナ、ヒースに謝ることはない。俺は王宮付きをはっきり断った。フィオナが連絡してようが、答えは変わらなかった。だから謝罪の必要ない」

「レオン……!」


 約束通り助けてくれるレオンに、フィオナは感謝の涙目を向ける。レオンは瞳の色を濃くしながら、フィオナではなくヒースを見据えた。


「……それに今日はとっくに決まった、俺の進路相談に来たわけじゃない。殿頼み事をしにきたはずだ」

「……そうだね」


 同じくレオンを見据えていたヒースが、少し楽しそうに口角を上げた。

 二人の間に流れるピリついた空気に、フィオナもようやく本題に思い至って拳を握る。今目の前にいるのは元同級生のヒースではない。淡々と事実を口にする、クロイゼン王国王太子・ヒース・シュラルツ・クロイゼンだ。


(そうだった! 私のすべきことは一つ!)

 

 フィオナも自分の仕事を思い出し、大きく息を吸い込み気合を入れ直す。元同級生としてここに来たわけじゃない。フィオナもアレイスター魔術学園の、新米学園長としてここに来た。目的はただ一つ。


「……ヒース!」

 

 フィオナの決然とした呼びかけに、相変わらず柔和な笑みを浮かべたままのヒースが振り返る。唇を引き結んだフィオナは、サッとソファーから立ち上がった。美しい金貨色の髪の王太子の、エメラルドの瞳をまっすぐに見つめる。そのまま小さく息を吸い込み、フィオナは勢いよく床にへばりついた。


「お金を貸してください!!」


 フィオナの決めた見事な土下座を、ヒースが満面の笑みで見下ろす。今日一番の笑顔を浮かべたヒースに、呆気に取られていたレオンとラルゴはフィオナに哀れみの目を向けた。


「いや……フィオナ、ちょっと落ち着け……」


 レオンの言葉を遮るように、フィオナは真摯な姿勢を伝えようと、額を床に擦り付けた。

 

「計画書、見てくれたでしょ! 学園に足りないものが、ちゃんと詰まってる!」

「うん、そうだったね」

「あの計画書を実行できれば、きっと学園は建て直せる!」

「かもね」

「でもそうするだけの資金がない!」

「だろうね」

「だから……だから……お願い! お金を貸してください! 必ず返すわ! 今までみたいに無償でなんて言わない! 黒字になり次第、絶対に返す!」

「うん、いいよ」

「だから今回だけ……って……えっ? 今……」


 ガバッと顔を上げたフィオナを見下ろしながら、ヒースがにっこりと笑みを浮かべた。

 

「うん。貸すよ? っていうかもともと貸すつもりだったし」

「もともと……?」

「うん、もともと」

「…………もともと」


 ポカンと床にへばりついてヒースの顔を見上げているフィオナの腕を、レオンが無言でそっと引き上げソファーへと座らせる。呆然とソファーに座るフィオナに、レオンが慰めるような低い声で話しかけた。


「……フィオナ、言っただろ? 学園が破綻して一番影響が大きいのは王宮だ。土下座までしなくても、王宮は貸付に応じるつもりだった」

「……じゃあ、私は今無駄に土下座をしたの……?」


 ぼんやりと呟くフィオナに、レオンが言葉を濁し、ヒースがニコニコと小首を傾げた。

 

「無駄ではなかったよ。フィオナの真剣さと、誠意はしっかり伝わったからね!」


 パチンと片目を瞑って見せたヒースに、ブチっとフィオナの堪忍袋が千切れる音がした。


「ヒース!! あんた、最初から貸す気だったなら私が土下座する前に言いなさいよ!」

「いや、言う暇もなくフィオナが床に這いつくばったんだよ?」

「ならすぐにそんなことしなくていいって、声をかけてくれたらいいじゃない!」

「フィオナが真剣に話してたのに、話を遮れって言うのかい?」

「〜〜〜〜〜〜っ!!」


 即座に言い返されて、フィオナは茹蛸のように顔を真っ赤にした。言葉にならない怒りに身を捩るフィオナを、ヒースが愉快そうに見物する。レオンはラルゴと顔を見合わせ、楽しそうなヒースにため息をついた。

 しばらく悶えていたフィオナは、大きくため息を吐き出すとじろりとヒースを睨んだ。


「……まあ、こっちが迷惑をかけてるんだし……ちゃんと真剣さが伝わったって言うなら、土下座なんて安いもんだわ……!」


 プリプリしながら自分に言い聞かせるように呟くと、フィオナはヒースに仏頂面を向けた。

 

「ヒース、力を貸してくれてありがとう! 土下座する前に言ってくれたら、なおよかったけどね!」


 ぶすくれながら頭を下げたフィオナに、ヒースが瞳を細める。

 

「……フィオナは本当に変わらないね」

「それって私が単細胞だって言いたいの!?」


 不機嫌そうに言い放ったフィオナに、レオンとヒースが思わず顔を見合わせ苦笑する。


「違うよ。そうじゃない。でも懐かしいな。単細胞の脳筋が、学園でのフィオナのあだ名だったね」

「アレイスターの直系息女なのにな」

「言っておくけど私は一度だって、そのあだ名を容認したことはないからね!」

「ふふっ……そうだね。そう呼ばれたらブチギレてすぐに決闘してたもんね」

「すぐに決闘だって大騒ぎするから、そう呼ばれてるんだって、気がつけよ……」

「何よ! 二人してバカにして!!」

 

 完全にむくれたフィオナに、くすくす笑いながらヒースがラルゴに手を上げた。頷いてラルゴが小切手を手渡し、ヒースがテーブルにすっと滑らせた。


「フィオナ、黒歴史を掘り起こして悪かったよ。ほら、これで機嫌を直して? ね?」

「これ……って……」


 そっぽを向いていたフィオナは、ちらりとテーブルに置かれた小切手にすぐさま飛びついた。


「一、十、百……ってこれ……」

「計画案の概算よりちょっと多い分は、無償分として受け取ってくれていいよ。フィオナが見せてくれた、変わらない誠実さとまっすぐさに敬意を表してね」

「ヒース……とうとう人の心を……!」


 土下座が無駄じゃなかったとぱっと顔を輝かせたフィオナに、ヒースはずっとたたえていた笑みをすっと消した。


「でも計画案の概算分に関しては、フィオナが言い出したように貸付にする。もちろん条件もつけさせてもらうから」


 ともに勉学に励んだ元同級生から、王太子に表情が切り替わり、レオンとフィオナも表情を改めた。


「……じょ、条件は?」

「そんな顔をしなくて大丈夫。難しいことじゃないからね……」


 ごくりと固唾を飲んだレオンとフィオナに、ヒースはゆっくりと口元を釣り上げた。


 

 

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