第15話 麗しき金色王子様



「そ、それじゃあ、レオン……覚悟はいい?」


 ルディオとの対戦よりも緊張しながら、王宮を前にごくりと唾を飲み込むフィオナに、レオンは疲れたようにため息をついた。


「……だから覚悟はできてるって……何回このやり取りをするんだよ」

「ぐっ……自分がボロ雑巾にされるわけじゃないから、そんなことを言えるのよ……!!」


 飄々と肩をすくめるレオンを睨み、フィオナは王宮の裏門を睨みつけた。限られた者しか使用できない裏門を守る衛兵は、もう十分もこの調子の二人を礼儀正しく放置してくれている。


「いい加減覚悟を決めろ。もう約束の時間だろ? いくらヒースでも出会い頭に、とって食いやしないって」

「言い切れるの!?」

「…………」


 くわっと目を見開いたフィオナに、レオンが押し黙る。ほら見たことかとフィオナは、紫の瞳を胡乱に眇めた。


「……出会い頭にとって食われるとしても、いつまでもこうしてるわけにはいかない。俺たちは頼み込む方なんだから遅刻はありえない。覚悟を決めろ」


 安っぽい励ましは速攻取り下げ、レオンは現実を突きつける方法に切り替えた。


「わかってるってば……だけど、まだ覚悟が……ひゃあ!」

「わっ! す、すみません、フィオナ様。驚かせまてしまいましたね……」


 ぐずぐずと揉めている間に、向こうから扉が開きフィオナは飛び上がった。扉を開けたヒースの補佐・ラルゴも、フィオナの悲鳴に、驚いて声を上擦らせる。


「だ、大丈夫ですか? ずいぶん早く到着されていたのに、一向にいらっしゃらないので殿下より迎えに行くようにと……」

「え……もしかしてずっと見られてた……?」


 申し訳なさそうに無言で頷いたラルゴに、レオンにほらなと言わんばかりに肩をすくめる。ビビって中に入れない様子を、ずっと見られていた。と、一気に恥ずかしさが込み上げて、フィオナは顔を赤くして項垂れた。

 そんなフィオナを励ますように、ラルゴが穏やかな笑みを浮かべて中へと丁重に招き入れる。

 

「ヒース殿下がお待ちです。さあ、フィオナ様、レオン君、どうぞお入りください」


 しょんぼりと肩を落として、ラルゴの後をついて歩くフィオナを見かねて、レオンが小声で喝を入れた。


「フィオナ、ヒースに会う前からそんなに弱気でどうする。弱ってるところを見せたら、頭から丸齧りされるだろ。顔を上げろ」

「でも……」


 顔を合わせる前からすでに敗北感でいっぱいのフィオナに、レオンがため息をつく。


「ヒースに弱気は厳禁だ。足元を見られる。無理矢理にでも堂々としろ。なんかもう偉そうに金を借りろ」

「偉そうに……」

「そうだ、偉そうにだ。心配するな。骨は拾ってやる。最悪担いで逃げてやるって約束したろ?」 

「あっ……うん。そうだよね!」


 レオンの励ましに決戦前夜の約束を思いだして、フィオナは表情を明るくした。


「……レオンが私の代わりにボロ雑巾になってくれるって……」

「そうは言ってねーから。都合よく記憶を改竄するな」

「覚えてたのね……」

「そりゃな」


 即座に否定したレオンにむくれながらも、フィオナは気分が浮上するのを感じた。代わりにボロ雑巾にはなってくれなくても、少なくとも心強い味方として隣にいてくれる。レオンならヒースに太刀打ちできるかもしれない。だいぶ他力本願的に、フィオナはちょっと元気を取り戻した。

 気持ちを立て直したらしく瞳の色が強くなったフィオナに、レオンは小さく笑みを浮かべる。すぐ落ち込むけど、すぐ立て直す。この単純さがフィオナのいいところだ。


(さて……)


 一際堂々と聳える扉の前で立ち止まり丁重にノックするラルゴを、レオンは深呼吸で気合を入れ直して見守る。

 扉の向こうにはクロイゼン王国王太子・ヒース・シュラルツ・クロイゼンが待っている。フィオナとレオンは礼法通り、瞳を伏せ臣下の礼をとった。


※※※※※


「お連れしました」


 ラルゴの声に窓の外を見下ろしていたヒースがゆっくりと振り返る。


「……うん。二人とも待っていたよ。顔を上げて。久しぶりだね、フィオナ、レオン」


 そっと礼を解き顔を上げたフィオナとレオンに、窓からの陽光を背後にヒースが陽だまりの笑みを浮かべた。飛び込んできた卒業以来のヒースの美貌に、フィオナはゆっくりと目を見開き息を呑んだ。


(え? 嘘でしょ……ヒースって……)

 

 一目で脳内から何もかもが吹き飛び、フィオナはヒースを見つめたまま完全に固まった。待っても挨拶を返さないフィオナに、訝しげにレオンが振り返る。


「……フィオナ?」

「……綺麗……」

「「……は?」」


 頬を高揚させながら一心にヒースを見つめるフィオナの言葉に、レオンとヒースは同時に顔を見合わせた。


「……いや、フィオナ。急にどうした?」


 レオンの問いかけもなんだか遠くに聞こえ、フィオナは一心にヒースを見つめた。ヒースの眩さに目が離せなかった。

 陽光に淡く輪郭が溶けた白皙の美貌。新緑の輝きをエメラルドの瞳よりも、なお眩しく煌めく金色の髪。ヒースの美貌に硬直していた学友たちの気持ちを、今ようやく理解できた気がした。ヒースはものすごく綺麗だ。

 うっとりし出したフィオナとは対照的に、レオンとヒースは学園時代の女生徒達と同じ反応をしているフィオナに、ただひたすら困惑していた。なんでフィオナが? という戸惑いを隠し切れない。なんせ今まで一度もフィオナに、ヒースの美貌が貫通したことはない。

 フィオナの脳は完全に分厚い筋肉に侵食されている。全てが魔術師基準のフィオナの突然の豹変に、レオンとヒースは大いに困惑した。


「フィオナ、どうしたんだ? 具合でも……って……おい……まさか……」


 フィオナを覗き込んだレオンは、理由を察して真顔になった。うっとり固定されている視線は、ヒースの輝く顔面よりやや上だ。


「やめろよ、マジで……」


 色々察して絶句したレオンをよそに、心当たりのないヒースは標準装備の微笑みを戸惑わせながらも、うっかり口元が緩ませてしまっていた。

 

「……フィオナ? 僕の容姿なんて気にも留めたことがなかったのにどうしたの? もしかしてフィオナもようやく……」


 なんなら声まで柔らかくなったヒースに、レオンはまずいと慌ててフィオナを叱りつける。


「おい、フィオナ。しっかりしろ! 今は……!」

「私なんでヒースが綺麗だって、気づいてなかったんだろう……」


 煌びやかな美貌に熱心に見惚れているフィオナに、レオンの声は届かなかった。陶然と理性を手放したフィオナは、真っ直ぐ破滅に向かって進路を取り始める。


「ヒースの髪、本当に綺麗……なんて綺麗な……」

「金貨、色……? え、髪?」


 初めて聞く髪色表現に固まったヒースに、レオンは片手で額を覆いため息をついた。こんなところで赤字恐怖症の発作を起こすとは。


「……ヒース、フィオナに悪気はないんだ……フィオナは純粋に綺麗だと褒めている……ただ今は貧乏を拗らせてて……」

「貧乏を……?」

「……赤字恐怖症、らしい……」

「赤字、恐怖症……?」


 何それ。眉根を寄せたヒースに、レオンが苦々しく説明を繰り出した。

 

「……学園が破綻寸前の赤字だったことが衝撃だったみたいでな……それでその……赤字を連想する赤色に過呼吸を起こしたり、黒字を思わせる黒髪を唐突に褒め称えたりするようになった」

「黒髪……」


 もごもごと答えるレオンの漆黒の髪に、ヒースが視線を移した。レオンの髪は黒字の漆黒。


「……フィオナ。じゃあ、レオンの髪は……?」

「どうって最高よ!! 全ての色の原点にして頂点、漆黒! 真っ黒け! ヒースもわかるでしょ? 黒色は最高だって!!」

「そう……」


 食い気味に答えたフィオナに、事態を把握したヒースの声が冷ややかに温度を下げた。レオンが居た堪れなそうに視線を外す。


「なるほどね……貧乏を拗らせて、赤字恐怖症か……へぇー……それで黒字の黒髪を唐突に褒め称えたり、金貨色の髪にうっとりしたり、と。今まで気にもしなかった容姿に目がいくようになったのか……へぇー……」

「……ヒ、ヒース……フィオナには決して悪気は……」

「ラルゴ! 今すぐカーテンを閉めてくれるかい?」

「……っ!! は、はい……!」


 ヒースが笑顔に青筋を浮かべて言い放ち、レオンは挽回を諦めて顔を覆った。うわぁと顔を顰めていたラルゴが、慌てて窓に駆け寄りカーテンを急いで閉める。

 陽光が遮られたヒースの髪は、金銀財宝の眩さから金貨十枚分くらいの輝きにまで落ち着いた。キラキラと瞳を輝かせに見惚れていたフィオナは、分かりやすくテンションを下げる。ますますヒースの額に浮いた青筋が、色を濃くした。


「……ああ、フィオナ。に眩んだ目は覚めたみたいだね? それともまだ僕が金貨に見えるかな?」

「あ、今くらいなら大丈夫……かな……」


 輝きが落ち着いて正気に戻ったフィオナは、誤魔化すように笑みを浮かべた。


「あー……すごく綺麗でついガン見しちゃって……はは……」


 誰も笑ってくれない重い空気に、フィオナは恐る恐るヒースに笑顔を向けてみる。


「あの、ヒース……もしかして、怒って、たりする……? ちょっと不躾だった? よね、ごめん……でも純粋に綺麗だなって思ってだから……その……」

 

 褒めたんだし大丈夫だよね? と顔にデカデカと書いているフィオナに、ヒースはにっこりと笑みを返した。


「うん。大丈夫。全然怒ってないよ? 驚いたけどね。だってまさか一国の王太子の髪が金貨に見えるなんてね? 褒め言葉としては斬新すぎるからさ。黄金虫扱いされたのは初めてだよ。うん。でも褒め言葉だったんだよね? 脳みそが完全に筋肉な、フィオナなりの褒め言葉。だよね?」

「あー、うーん……? 黄金虫扱いなんて……」

「成人したから流石にフィオナにも、審美眼が備わったかと期待しかけちゃったよ。でも財布に見えてたんだねぇ。相変わらずフィオナはフィオナだねぇ。でも成長はしてるのかな? いまだに僕の美貌には気づけなくても、財力には気づけたみたいだし」

「ヒース……あ、あの……」


 おかしい。褒めたのになんで怒るのか。とあわあわするフィオナに、ヒースの嫌味は止まらない。

 返答の正解を求めてレオンをチラ見しても、レオンはもうなんか虚無を極めた真顔だ。助けは期待できない。フィオナはとりあえずもっと褒めることで、なんとか自力でこの場を切り抜けることにした。


「き、気づいたのは財力じゃなくて美貌だから! 財布だなんて思ってないよ? いやー、なんで今までなんで気づかなかったのって、びっくりしただけで……ヒースはすごく綺麗だったのにね! あはは……」

「そうだね。でも気づけたのは、学園がド貧乏って理解できたからだろうね」

「あー、そう、なのかな……? いつかは気づいてたんじゃないかなぁ、多分。ちょっと早めに気づくきっかけになったくらいで……う、うん……と、とにかくヒースは綺麗! って理解したってことだから。髪が! 特に髪が最高に綺麗!」


 とにかく褒めて機嫌をとっとけとばかりに、元気に失言を重ねるフィオナにレオンは引き結んでいた唇をこじ開けた。

 

「……フィオナ、もう本当に黙れ」


 これから土下座して大金を借りようとしている相手だ。もうやめるんだ。そう語るレオンの瞳に、フィオナは涙目で俯いた。

 

「なんで……? 褒めたのに……」


 全く良くならないどころか、ますます重くなる空気にフィオナはしょんぼりと肩を落とした。


 

 

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