第14話 学園の継承



「……ヨシュアも連れてくるべきでした」


 ふんわり温かく感じる治癒魔術を左頬に感じながら、フィオナはキルケの額に滲む汗に申し訳なくなった。重症のルディオの治療の後で、すぐにフィオナもでは負担が大きいのだろう。


「キルケさん、ごめんね……応急処置までしてくれたら、後で神殿に行くよ?」

「そうですか? いやぁここまでとは予想外でした。風神でふっとばされてすぐ終わるだろうと思ってたんで、一人できちゃたんですよねぇ……助かります!」

「……やっぱりなし! 責任持って最後まで治療して!」

「え! なんで……!!」


 あっさり負けると予想されていたことに腹を立てたフィオナは、涙目のキルケをせっついてきっちりと治療を完遂させた。治療を終えてヘロヘロのキルケを置き去りに、レオンとルディオの元に向かう。


「う、わ……!」

「おい、大丈夫か?」


 魔力の枯渇でふらついたフィオナは、レオンが咄嗟に伸ばしてくれた腕を掴んだ。

 

「うん……大丈夫!」

「そのまま捕まって、深呼吸しろ」


 素直にレオンに支えられたまま、大きく深呼吸するフィオナの左頬をレオンがホッとしたように見つめる。


「……ちゃんと塞がったな」

「ん? 何?」

「左頬。深く切れてたみたいだったから……」

「ああ、うん! キルケさん、優秀だから!」

「そうだな……」


 ちゃんと塞がっているのに、レオンはまだ眉根を寄せている。


(レオンって……割と繊細なのよね……)


 深呼吸で空気中の魔素を取り込みながら、フィオナは学生時代を思い出した。

 学園でも対戦のたびに、レオンはこんな顔をいつもしていた。実践形式の授業にはケガはつきもので、常駐する神官がちゃんと治療をするのに。いつもこんな風に心配そうに治っているかを確認していた。ふとフィオナは懐かしさに笑みが浮かんできた。


「なんだ? 急にニヤついて……」

「ふふ……だって懐かしくない? 学園時代は実技の授業のあとは、みんな深呼吸してたなって……」

「フィオナはすぐに復活してただろ? 魔力変換効率が良すぎるんだよ。そのせいで休憩時間が短くなった。どうせ空気を読めよって思われてたって気づいてないんだろ?」

「え? そうなの?」

「俺も思ってた。まあ、気づいていないだろうとは思ってたけどな」

「どうしよう……みんなに恨まれてないかな?」


 しょぼんと肩を落としたフィオナに、レオンが呆れたように片眉を跳ね上げる。

 

「今更気にしてもな……」

「でも……」

「恨んでる奴もいるかもしれんが、感謝してる奴もいるだろ。あの時、無理やりフィオナのペースに付き合わされたから、王宮付きになれた奴もいるからな。学園であんだけゴリゴリやったから、フィオナだって今日学園長に勝てた。だろ?」


 金の瞳を細めたレオンを見つめ、フィオナはゆっくりと笑みを浮かべて大きく頷いた。


「うん! そうだよね! 私たち学園ですごい頑張ったもんね! 頑張って頑張って……それで今日、やっと叔父様に勝てた……!! あのルディオ叔父様に……!!」


 空っぽになった魔力の代わりに、喜びが全身を満たしていく。震えがくるほどの嬉しさに、瞳が潤んで口元が緩んだ。レオンの言葉で急に湧き上がった勝利の実感に、フィオナは頬を高揚させてレオンを振り仰いだ。


「やったよ! レオン! 私、勝った! 言ったとおりでしょ!?」

「そうだな、ちゃんと見てた。すごかったよ」

「学園立て直しのための第一歩を踏み出せた! これからは私が引き継いでいくんだ!!」


 ゴリゴリと魔術漬けで過ごした学園時代。ひたすらに努力した日々は、今日この瞬間の喜びを掴むためのもの。


「レオン! 心底欲しいと思ったものを掴めると、こんなに嬉しいのね! もう人生最高ってくらい! 掴めたのは学園で死ぬほど努力したからなんだって思ったら、それすらも最高だったって思えるくらい嬉しい! だから私、そういう学園を作るわ!」


 たくさんの欲しいものを、自分の手に掴み取る力を得る場所。がむしゃらに自分のための努力できる場所。思う存分それができる場所にしよう。人生最高の瞬間に、この日のための努力だったと思い出せる場所であるように。

 明確に定まった目標に、視界の明度が上がった気がした。爆発しそうなほどにやる気が満ち溢れてくるのを感じて、フィオナは掴んでいたレオンの腕を離して走り出した。


「行こう、レオン! 叔父様に会いに行かなくちゃ! やることは山積みだもの! 一刻も早く引き継いで、学園を建て直さないと!!」

「おい……! フィオナ……!」


 伸ばしかけた手が空をかき、レオンはフィオナの後を追って歩き出した。


「成人しても一ミリも変わらないってどうよ……」

 

 呆れるほどの回復力も、脇目もふらず駆け出していくところも、学生時代と一ミリも変わらない。


「……心底欲しいと思ったものを掴めると、人生最高、か……」


 フィオナが掴めたのは学園で死ぬほど努力したから。それなら死ぬほど努力した自分にも、掴めるだけの力はあるのだろうか。掴もうと思って努力していた未来と、欲しい未来が変わったいたとしても。


「まあ、望まなきゃ掴めないよな……」


 まずはフィオナのように脇目もふらずに、手を伸ばすのは誰にでもできることではないから。駆け出したフィオナの後を追いながら、レオンは小さくつぶやいた。

 

※※※※※


 通された部屋でルディオはまだベッドの中にいた。それでも上体を起こし、何やら書類を捲っている。側にいたエディがフィオナに気づくと、目を細めて会釈をしその気配にルディオが顔を上げる。


「……フィオナ。もう歩けるのか?」

「叔父様より、ずっと若いので!」

「魔力変換効率が私よりいいだけで、若いからではない! ……まあ、老眼だったかもしれないとは認めよう。対戦の結果だからな……」


 得意顔でベッドに近づくフィオナに、ルディオはムッと眉根を寄せてムスクれてみせた。側にいたファリオルとローザが、やれやれと首を竦めている。

 むすっとしていたルディオは表情を改めると、書類をエディに渡し学園長の顔つきになった。


「……さて、フィオナ。改革計画は見せてもらった」


 ハッとなってエディを見ると、ルディオから渡された書類に視線を落とし、小さく微笑んで頷いた。さすがエディ。と感謝の笑みを向けると、唇を引き締めてルディオに視線を戻した。レオンも緊張したように、隣で気配を固くしている。

 

「……二人で考えたのか?」

「はい」


 ルディオは緊張しながら反応を待つ、フィオナとレオンをじっくりと見つめてから、厳しく見据えていた眼差しを和ませた。


「よく考えたな。汎用魔術……今日のフィオナの姿を見た者は、その有用性を言葉はなくとも理解したはずだ」

「……叔父様!」


 ぱっと顔を輝かせたフィオナは、レオンと顔を見合わせルディオに頷いてみせた。


「父上の言う通りだ。今日来てた奴は度肝を抜かれたはずだぜ! なあ、もう実用圏内なのか? 学園で教えるんだろ? 俺も通えば汎用魔術を取り入れられるか?」


 ファリオルが明るい笑みで身を乗り出し、フィオナは肩を竦めた。

 

「実用はまだ……でもなんとかするわ。ファリオルも通うなら、授業料は払ってよ?」

「まだなのか……いや、レオン君を一ヶ月ほど貸してくれれば……!」

「ダメよ! レオンは私の秘書なんだから! 仕事が山積みなの! 一日だって貸せないわ!」

「ちょっとくらい良いだろ? 減るもんじゃなし! 俺の刻印魔術にも……」


 騒ぎ出したフィオナとファリオルに、ルディオが目を細めた。


「……昔の私と姉上のようだな。私も姉上と魔術理論を語り合ったものだ……」

「父上……?」

「……ファリオルよ、レオン君は諦めろ。これから立て直しが待っている。汎用魔術が学びたいなら二人が実用化するまでもう少し待て。通わせてやろう。好きなだけ学ぶんだ。私のように驕ったりせぬようにな」


 怪訝な顔をするフィオナとファリオルに、ルディオは小さく疲れたようなため息を聞かせた。


「汎用魔術の有用性を思いつきもしなかった。教える立場になって長くなり、私は学ぶことをいつの間にか忘れていたらしい。この地位も姉上から勝ち取ったのではない。譲り受けただけだったのに……ただの一度も姉上には勝てなかった……」

「叔父様……?」

「フィオナにぶっ飛ばされて思い出したよ。魔術の高みに終わりはないと……わかっているつもりで自惚れていたようだ。ぶっ飛ばされるのはずいぶん久しぶりだ。誰もぶっ飛ばしてくれないから、もう赤龍に肩を並べていると勘違いしてしまっていたよ」


 ともに魔術の高みを目指した大好きだった姉。必死に追いかけ続けた背中は、突然目の前からいなくなってしまった。赤龍と呼ばれるほどに強かったのに、病なんかであっさりと早逝してしまった。フィオナとローラン、学園をルディオに託して。


「いつかフィオナが私を倒す日が来るとしても、まだ五年は先だと思っていたんだ。でも私を見下ろしながら、邪悪に高笑いする姿は姉上を見ているようだった。強くなったと勘違いしている私を、叱り飛ばしに来られたのかと思ったよ」

「そんなにお母様みたいでしたか……?」

「ああ、そっくりだ。一瞬手を止めてしまうほどな。本当に姉上が戻られたようだった……」


 姉のエレインの業火がトラウマと公言して憚らないルディオ。でも言葉とは裏腹に声はひどく懐かしそうな響きを聴かせた。

 エレインが亡くなり呆然とするばかりの父・ローランに代わって、必要な手続きを取り仕切ってくれたのはルディオだった。フィオナを抱きしめて一緒に泣いてくれたのも、傷心に閉じこもりやがて家に帰らなくなったローランではなくルディオだった。

 強くて優しい自慢の叔父。母と自分と同じ色を宿すルディオの、優しい瞳に見つめられフィオナはうるりと瞳を揺らした。


「とはいえ、汎用魔術を学園の基準にするには、時間がかかるだろう。魔術核の強化鍛錬はともかく、汎用魔術のノウハウはゼロに等しい。かといってアレイスター学園が教える魔術だ。半端な魔術は決して許されない」

「……はい! わかっています!」


 ビシッと顔を引き締めたルディオに、フィオナも急いで滲んだ涙を拭い頷いた。学園はアレイスター一族の誇り。経営破綻寸前を言い訳にして、中途半端な魔術を広めるようなことは絶対にしない。


「その言葉を決して忘れるな」

「はい」

「私のように驕ることのないようにな」


 ルディオはニコリと笑みを見せると、指につけていた魔石をゆっくりと外した。アレイスター家の始祖が倒したと言われる魔獣の核。最上級の魔石に刻まれているのは、アレイスター学園の紋章。

 

「フィオナ・アレイスター。今この時を持って、アレイスター魔術学園の全権限を譲り渡す。示した武勇に敬意と尊敬を……願わくば全てを変えるのではなく、受け継ぐべき伝統と誇りはそのままに……」

「……はい、きっと……!」


 途切れたしまったならもう取り戻せない。古臭くカビが生えたように思えても、その根幹があればこそ今がある。色褪せず消えることのない、存在する意義としての伝統は受け継ぎながら。

 フィオナは推し頂くように、魔石を受け取った。伝統はそのままに、今求められる形になれるように。脈々と受け継がれてきた想いを背負う責任の重さに、魔石を受け取る手が震えた。


「……これからは全面的にフィオナが矢面に立つことになる。あー……何かあったら相談しなさい。私も一族も必ずフィオナの力になる」

「はい……ありがとうございます……?」


 ちょっと歯切れ悪く視線を微妙に逸らしたルディオに、フィオナは首を傾げた。レオンも少し顔を顰める。どうしたのかフィオナが問いを口にする前に、ルディオが続けた言葉にフィオナはムッと紫の瞳を釣り上げた。

 

「それと……もうすぐローランが戻ってくる。学園改革に取り組むときは、ローランともよく……」

「わかってます! ちゃんとお父様とも話し合います。でもお父様が学園に何も貢献してないのは、叔父様も知ってるでしょう?」

「フィオナ……お前の気持ちがわからないわけではない。でもローランがどれほど不器用かも知っているだろう? 必ずよく話し合うこと! 姉上の遺言でもあるんだ。それは約束してくれ」

「……わかりました。約束します……」


 ぶすっと返事を返したフィオナに、ルディオは困ったように眉尻を下げ、エディとレオンに瞳を縋らせた。頼むぞ!! と力強く丸投げしてくるルディオの表情に、レオンは戸惑いながらエディと顔を見合わせる。促すように頷いて見せるエディに習って、わけがわからないながらもレオンも頷くしかなかった。


「よし! 難しい話は終わったな! フィオナ、もう大丈夫なんだろ? 飯食いに行こうぜ!」


 気まずくなった空気を変えるように、ファリオルが手を叩き顔上げたフィオナに片目をつぶってみせた。

 

「え! 祝勝会の用意してくれたの? やった! すごいお腹すいてたの!!」


 ぱっと嬉しそうに顔を輝かせたフィオナに、ファリオルはうんうんと頷きながら笑みを浮かべた。


「レオン君も参加してくれ! ぜひ脳筋フィオナにどんな入れ知恵をしたのか、詳しく聞かせてほしい!」

「いや……でも学園長が……」

「父上はもうちょい休んで魔力が回復したら参加するさ! 俺たちは先に飯だ! な? 父上」

「あ、ああ……」


 ガシッとファリオルはフィオナとレオンを捕まえ、ずるずると引きずるように部屋から連れ出していく。賑やかなファリオルの声が廊下に消え、残されたエディ、ローザ、ルディオの大人組はため息を吐き出した。


「……ローランとフィオナちゃんはずいぶん拗れてしまってるのね……」

「はい……」


 エディの返事にローザは困ったように瞼を伏せた。

 

「……それと、ルディオ。フィオナちゃんに言っておかなくてよかったんですか?」

「だが、言ってどうなる? いずれ分かることで、避けられる問題ではない……」

「でも……」

「殿下とフィオナ、それにレオン君は同級生でお互いをよく知る仲だ。口出しするより、むしろ任せたほうが丸くおさまる……かもしれない……」


 ローザの目を気にしながらしおしおと答えたルディオに、ローザは盛大にため息をついた。

 

「……全くアレイスターはこれだから……」

「だって……」

「まあ……先祖代々続くイベントみたいなものですからね……私たちはフィオナちゃんの意思を尊重するしかありませんし……」


 ローザの嘆きにエディも控えめに苦笑を浮かべた。

 大人組の心配をよそに、階下は戦勝会に賑わっている。フィオナへの入れ知恵を聞きたがる脳筋にレオンは囲まれ、フィオナは極度の空腹にハムスター並みに肉を口に詰め込んでいる。喉に詰まらせ呼吸困難に陥り、キルケが呆れながら治療に当たる。いつもの祝勝会の光景だった。


「フィオナ、凄かったわよ! まさかルディオ叔父様に勝っちゃうなんて!」

「よかったな! ずっと目標にしてたもんな! 頑張れよ! 応援するから!」

「みんな、ありがとう!!」


 次々に掛けられる祝福の言葉にフィオナは、湧き上がる喜びのままに笑みを浮かべる。夢の一歩を踏み出したフィオナは、この先に待ち受ける試練を思うことすらせず、掴み取った勝利の喜びにただ酔いしれていた。


 

 

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