第12話 ルディオVSフィオナ



 枝を揺らす緑と晴れ渡る空は、日毎に夏の色を滲ませている早朝。

 アレイスター学園長・ルディオ・アレイスター家の演習場は、観戦にやってきたアレイスター親族たちで賑わっていた。


「……対戦であって、祭りじゃないよな……?」


 だいぶ呑気に賑やかなアレイスター一族の様子に、レオンが半ば呆然と呟くとフィオナがきょとんと首を傾ける。


「いつもこんな感じよ?」


 エディがニコニコと頷き、神殿から派遣されてきたアレイスター係の神官・キルケも真顔で同意した。


「本っっ当にいつもこんな感じですよ。みなさん、朝っぱらから無駄に元気なんですよね。夕飯のメニュー対決の時は、ビーフシチュー派閥とクリームシチュー派閥で、応援合戦でも白熱してましたよ。あの時は対戦での怪我ばかりか、応援で枯れた喉の治療までやらされて言葉もありませんでした」

「ああ、あの対戦は大変盛り上がりましたねぇ。私は僭越ながらクリームシチュー派閥でした」

「……私は少数派のオニオンスープ派閥に加わりました。応援も含めて大変見応えはありましたが、今も夕食のメニューは家族で話し合うべきだったと思っております」


 苛立ちが滲み出ているキルケを、フィオナが取りなすように見上げた。

 

「キルケさん、朝早かったから怒ってる、よね? でも今日の日時を決めたのはルディオ叔父様だよ? 私じゃないからね」

「怒ってなどいませんよ。今回の対戦理由は割とまともですからね。精神的にはまだマシです。ですがルディオ様はそろそろ、私が朝が苦手だと覚えてくださってもいいとは思いますけどね!」

「……伝えておくわ」


 怒ってるじゃん。といいそうになるのをやめとけと目配せしてきたレオンに止められ、フィオナも早起きで不機嫌なキルケをそれ以上刺激しないように口を閉じた。


「……学園の第三演習場くらいか?」

「うん。作りは学園と一緒よ」


 観客席から階下に見える中央の円形演習場を見下ろすレオンに、フィオナは頷いた。

 地上にあるのは円形の演習場のみで、観客席は二階相当の高さに作られている。演習場を囲むように観客席が壁の役割を果たし、屋根は観客席にだけ設置され演習場は空まで吹き抜けだ。

 石造りの舞台には魔石が取り付けられていて、魔術師が立つことで魔力感知し自動的にアレイスター最高位結界が展開される仕組みになっている。


「フィオナ、レオン君、おはよう!」


 背後にかけられた声に振り返ると、フィオナより六つ年上の従兄弟、ルディオの長男・ファリオルがニッカリと笑みを浮かべた。その後ろには本日の対戦相手・ルディオが妻のローザ、執事のバンスを引き連れて立っている。


「ファリオル先輩、お久しぶりです」

「学園以来だな! フィオナの秘書になったんだって? せっかくだから今日は一緒に観戦しよう!」

「あ、はい」


 和やかに挨拶を交わすレオンとファリオルとは対象的に、瞬時に戦闘モードに切り替わったフィオナは、先手必勝とばかりにルディオに顎を逸らした。

 

「おはようございます。ルディオ叔父様。昨日はゆっくり眠れましたか?」

「おはよう、フィオナ。もちろん、ゆっくり眠れたよ。叔父に勝てると思い込んでいる姪の、高くなりすぎた鼻っ柱をどんなふうに切り刻んでやろうか考えながらね」

「まあ、叔父様ったら……考えなければならなかったのは、地面をたっぷり眺めさせてくれた姪への、賛辞の言葉だったのではありません?」

「若さとは周りの景色も己の力量すらも、キラキラと輝かしく見せてしまうのだな。そんな青二才に現実を教えてやるのも、先達の勤めか」

「青二才……」


 ぴくりとこめかみを震わせたフィオナに、ルディオがふふんと鼻を鳴らす。


「……先達である叔父様は老眼が始まって、周りの景色も力量もぼやけて見えているご様子……老眼で衰えた視界では、現状を正確には把握できないようですね」

「老眼……」


 瞳を爛々とさせながら睨みつけて言い放ったフィオナに、紳士然としていたルディオの額にピキりと青筋が浮かぶ。お互いの安い挑発にあっという間に頭に血を上らせた二人は、ぐぬぬと睨み合うとキャンキャンと吠え始めた。


「フィオナ!! 叔父さんは老眼じゃない! 疲れ目なだけだ! 二度と間違えるな!」

「いいえ、老眼です! ローザ叔母様も言ってたから! 最近、新聞を離したり近づけたりしてるって!」

「疲れ目のせいだ! ブルーベリーを食べれば治る!」

「必要なのはブルーベリーじゃなくて、老眼鏡! 疲れ目じゃなく老眼です!」

「はいはい! じゃあ、早速対戦で決着をつければいい! みんな待ってるぜ。フィオナも父上も準備しろよ! な?」


 脳筋一族の割に比較的貴族的だった舌戦は、あっという間に子供の喧嘩に成り下がりファリオルが割って入る。


「可愛い姪ならばと、ちょっと手加減してやろうと思っていたがもう知らん! 単なる疲れ目だと認めさせてやるから覚悟しとけ!」

「覚悟するのは叔父様の方ですよ! ぶっ飛ばしたお詫びの品に、老眼鏡を送りつけてやりますよ!! 泣いてありがたがれ!!」 


 フィオナとルディオは鼻息荒く顔を背けると、ドスドスと演習場に向かう階段へと歩き去っていく。その後を審判を務める、キルケがため息をつきながら追いかけた。背中を見送りながら、レオンは眉根を寄せる。


「……学園の継承を賭けた対戦だったはずだよな……?」


 決してルディオが老眼か否かではなかったはず。眉間を顰めていたレオンの首に、フォリオルの腕がガシッと回される。


「よっし! 我が後輩、レオン君! 君は俺と一緒に観戦を楽しもうじゃないか! 特等席に案内してやろう!」

「え、あっ……俺はここで……」


 ずるずると引きづられるレオンの後を、ニコニコとエディがついていきながら、若干目的がすり替わった対戦がいよいよ幕を開けようとしていた。


※※※※※


 ファリオルに連れ込まれた特別席に腰を下ろしてすぐに、怒り心頭のフィオナとルディオが演習場に入場してくる。

 二人は一メートルほどの高さの演習場に、階段を使わずひらりと上がった。途端に埋め込まれた魔石がチカリと反応し、ゆらりと結界が張られるのがわかった。ちゃんと階段を使ったキルケが、壇上に上がると観客席のあちこちから歓声が上がる。


「フィオナちゃーん! 頑張ってねー!」

「ルディオ! 若いもんに負けるなよ!」


 完全に観戦を楽しむつもりの掛け声に、


「いや、だから、学園の運営権限をめぐる対戦で……」


 ボソリと呟いたレオンにファリオルが飲み物を差し出してくる。


「……あ、すいません。ありがとうございます」

「心配いらねーよ。みんなちゃんと分かってて楽しんでる。フィオナが勝てば運営権限は継承されるし、一族は従う」


 白い歯を見せて笑うファリオルを見つめ、レオンは気になっていたことをためらいながら口にした。

 

「あの……」

「ん?」

「……先輩はいいんですか? 学園長の後を継いだりとか……普通は世襲ですよね?」

「ん? ああ、よそは世襲らしいな。うちは違うけどな」

「……フィオナが引き継ぐことに、反対とかは……?」

「心配しなくていいさ。他にやりたい奴がいるなら、俺も含めてとっくに父上と対戦してるよ。それにな、元々学園はエレイン叔母上が支えてたんだ。父上は代理みたいなもん。叔母上の娘のフィオナなら誰も文句はない。文句があれば対戦するだけだし」

「そう、ですか……」


 ホッとしてレオンは胸を撫で下ろした。

 野生動物のルールだと呆れていたが、案外いいルールなのかもしれない。不満があれば対戦者として名乗り出てくるシステムは、非常にわかりやすい。


「とは言ってもアレイスター学園は一族の誇りだ。好き勝手なことをすれば、フィオナだろうが一族総出で殴りにいくからな。秘書になったんだろ? フィオナのことをよろしく頼むぜ」

「……はい、そのつもりです!」

 

 真摯に答えたレオンに、ニッと笑うとファリオルが顔を上げた。


「お、そろそろ始まるな。さて、今回フィオナは何分もつと思う?」

「勝ちますよ……」

「いや、フィオナは父上に引き分けたことしかないんだぞ? それも一度だけだ。前回は十分でボコボコだった」

「そう、ですか……」


 引き分けられたのは一度だけなのに、なぜフィオナは超自信満々だったのか。フィオナらしいとため息をつきながら、レオンが演習場を振り返った。

 その瞬間ににキンと耳鳴りがするほどの無音が演習場に広がった。次いで鼓膜が圧迫されるような無音は、鼓膜を凍りつかせる甲高い炸裂音が弾き飛ばされる。そのまま演習場の空気が、連続して響き続ける炸裂音に空気を震わせ続ける。もう対戦を開始したらしい。さすがアレイスター一族。ものすごくせっかちだ。


「……っ! フィオナ……!」

「うわっ……父上、大人気ないな。容赦なく開幕一撃目に「風神」かよ……」

「これが……風神……」


 フィオナが立っていた場所に、生き物のように明確な質量を持った空気がうなりを上げている。色のない空気を白く見せるほど高速で渦を描く様は、風属性を付与された膨大な魔力が巨大な蛇が鎌首を、天空高くもたげうねうねと身を捩らせているかのように見えた。

 ルディオ・アレイスターの必殺魔術「風神」。

 自然現象の竜巻を参考に開発された魔術は、構造も理論もシンプルで本来は「風切り」と呼ばれている。

 ルディオが放つ「風切り」が「風神」と呼称されるのはルディオだけが可能な、圧倒的な魔力で威力を増した魔術への敬意が込められている。圧倒的なルディオの魔力の渦に、フィオナの姿は見えなかった。


「分かってても止められねーんだよな……あれ……」


 シンプルな魔術なだけに対応策はある。でも同じ理論の魔術のはずの「風神」には通用しない。バカみたいな魔力出力で、アホみたいに威力を上げた脳筋仕様。小手先の対処法は高笑いしながら飲み込んでいく、アレイスター流に昇華されている。目の当たりにした王国最強魔術師の一角を担う、ルディオが放った「風神」にレオンはごくりと唾を飲み込んだ。

 狂暴に渦巻く風のうねりがなおも全てを弾き飛ばし切り裂きながら、ゆっくりととぐろを解くのを見守った。


「……フィオナ、できたよな……?」


 まだ炸裂音が聞こえている。だからできたはず。ぎゅっと両手を握り締め、勢いがおさまっていく魔力の渦を見守る。


「おい……嘘だろ……」


 呆然と呟いたファリオルが、立ち上がり演習場を食い入るように見つめる。魔力の渦が完全に消え去った場所には、まだフィオナが立っていた。

 顔を腕で庇うようにして立つフィオナの姿に、観客席からもどよめきが起こる。圧倒的な風属性の渦は、フィオナの左頬と肩、太ももを深く切り裂いていた。刃物で切られたようなその傷からは血が流れている。長い髪を高い位置で結んでいたリボンは解け、足元には斬られた薔薇色の髪も落ちていた。でもフィオナはまだ立っている。


「よし……!」


 思わず拳を握ったレオンは、演習場で発動動作の右手を突き出したままの状態で、驚愕に目を見開いているルディオに笑みを浮かべた。固唾を飲んで見守る視線の中で、両腕で自身を庇ったまま立つフィオナの肩が震え始める。


「ふっ……ふふっ……ふはははは! 風神敗れたり! さあ! ルディオ叔父様! 地面の砂の数を数えるお時間ですよ! 砂つぶがよく見えないのなら、疲れ目ではなく老眼ですからね! 確かめさせてあげますよ!!」


 高笑いをするフィオナに詰めていた息を吐き出し、レオンは小さく笑みを刻んだ。


「老眼かどうかの対戦じゃねーって……」


 レオンの小声のツッコミに、ぐりんとファリオルが振り返りガシっと肩を掴んだ。


「おい! レオン君! 君の入れ知恵か? フィオナは何をした!? 教えろ!!」

「うっ……あっ……先輩、ちょっと……フィオナが……!」


 激しく揺さぶられ苦しそうなレオンに、ファリオルは慌てて演習場を振り返る。


「……あいつ! まだ飛空を刻印してるのかよ!?」


 ファリオルの叫びに応えるように、フィオナが両腕を広げる発動動作をとる。特異魔術「飛空」が展開し、フィオナの身体がふわりと演習場から舞い上がった。


 

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