第9話 呼び水



 魔術国家・クロイゼン王国王太子の執務室には、陽が傾いても羽ペンが紙の上を滑る音が響いていた。遠慮がちに叩かれた扉の音に、ヒースが手を止めると、扉の外から報告書を受け取った補佐官・ラルゴが振り返った。


「殿下、本日分の報告書です」

「うん。ありがと」


 差し出された報告書を受け取り、ヒースはギシリと椅子の背もたれに背を預けた。無言で報告書に目を通すヒースの室内灯の灯りにも輝く見事な金髪が、さらりと頬に流れ落ちる。


「……ああ、やっぱり欲張りすぎたみたいだね。レオンは取られてしまったよ……」


 柔和で優雅な美貌を小さく顰めたヒースに、ラルゴが礼儀正しく苦笑をこぼした。


「フィオナ様ですか? 残念でしたね」

「ふふっ……さすがはアレイスター。レオンを取られたのは残念だけど、あの頭脳の国外流出は阻止できたんだ。満足しとくべきだよね。厄介にはなりそうだけど……」

「……厄介……ですか? もう時間の問題なのでは……?」

「時間の問題。そう思う? ラルゴ、君は痛い目を見る前に、僕の学友達への認識を改めるべきだね」


 ギッと椅子を鳴らしてテーブルに両肘をついて微笑んだヒースに、ラルゴは慌てて両手を振ってみせた。


「いえ! 甘く見ているわけでは……ただいくら首席のお二人といえど、成人したばかりですし現状を挽回するのは……」

「フィオナだよ? 簡単に諦めるわけがない。不屈の脳筋が最高の頭脳を得たんだ。簡単には崩れてくれないよ。レオンが王宮付きを選んでくれたら、本命にだけ的を絞れたのにな。欲張ったのが仇になった」

「ではなおさら早めに手を打たれた方が……」

「もちろんそのつもりだよ。でも挑むなら真っ向勝負だ。ふふっ……フィオナはヘソを曲げたら手がつけられない」

「ですが……」

「じゃあ、あの脳筋フィオナの魔力切れまで、騎士団を動員してみるかい? 資質はかの赤龍に匹敵するんだよ? ああ、アレイスター一族も総出で参戦するだろうな。果たして何部隊が最後まで立ってられるだろうね?」

「それは……」


 困ったように口をつぐんだラルゴに、ヒースはニコリと笑みを向けた。

 

「貢献と功績には最大限の敬意を払うべきだ。父上も僕の最後の我儘を理解してくださっている。問題ないよ」

「殿下……」

「そんな顔をされると少し傷つくな……無理だと思ってるのかい?」

「申し訳ありません。ですがお相手があのフィオナ様なので……」

「ふふっ……そうだね。でも大丈夫。ベッコベコのギッタギタにしてやれば、フィオナだってちゃんと理解するよ」

「…………」


 美しいヒースの微笑みに、ラルゴはごくりと唾を飲み込んだ。美しく非常に優秀な敬愛する主。でも一切の手心も容赦もない。


「……ああ、連絡が待ち遠しいな」

「はい……」


 柔らかく微笑んだヒースはとても美しかったが、その笑みはベッコベコのギッタギタにする日を楽しみにしている笑みだ。誰かを跪かせる時にこそ、最も美しく微笑む主を見つめラルゴは学友の二人にそっと同情のため息を吐き出した。


※※※※※


「……レオン! 財政状況は確認できた?」


 無事魔術契約書を交わし、私設秘書として初出勤を果たしたレオンに、フィオナはドサドサと資料を積み上げた。


「確認した。マジで真っ赤なんだな」

「うん……」


 しょんぼりしたフィオナは発作が起きないように、レオンの黒髪にそっと視線を向けた。今日も素晴らしく漆黒だ。レオンはパラパラとページを繰りながら、トントンと指で膝頭を叩きながら呟く。


「……確かにこれはのんびりと、汎用魔術の導入を試せる状態じゃない……フィオナ、資金のアテはあるって言ってたけど、どのくらいいけるんだ? この状態だと銀行は無理だろ」


 顔を上げたレオンに、フィオナが頷く。赤すぎる帳簿と今後の展望の不透明さから、レオンの言うように銀行からの融資は望めない。フィオナはレオンの隣に腰を下ろし、ページを遡った。

 

「アレイスター家門も色移り多数で無理。でも、ええっと……あ、ここね……」


 該当箇所を見つけて顔を上げると、至近距離でレオンと目が合った。思ったより近くてレオンは慌てたように帳簿に視線を落とした。慌てていた表情は険しくなり、苦いものを食べたような表情に変わる。


「王家からの無償援助……アテって王家か」

「うん。資金力から考えても、頼れるのは王家のみ。過去に救済してくれた実績もある。でも……」

「間違いなく今までのように無償はあり得ない、な」

「うん……」


 ヒースが王太子に即位している以上、無償であることを期待するのは馬鹿げている。フィオナとレオンは複雑な表情を見合わせた。フィオナは憂鬱をそっと吐き出すと眉尻を下げた。


「多分ヒースは学園の状況を知ってると思う。確実ではないけど貸す気はあるんだと思うの……多分土下座でもして見せれば、泣きの一回くらいはなんとか……」

「もう何か言われてたのか? でもまあ、当然王家は貸すだろうけどな」

「……どうしてそう思うの?」

「王宮付きになるためには学園の卒業が必須だろ? つまり学園が機能しなくなって、一番影響を受けるのは王家なんだよ。だからこれまで王家は無償で資金提供までして、学園の存続に協力してきた」

「そっか、じゃあ、間違いなく貸してはくれるのね!」


 パッと顔を明るくしたフィオナに、呆れ顔のレオンはため息をついた。

 

「これくらいは普通にわかれ。それでよく学園を建て直すとか言い出したな……」

「レオンが売れ残っててくれて本当に助かったわ! 理論首席、賢い!」

「売れ残ってない。あとな、売られたんだよ。妹に……」

「でも王家に貸す気がありそうってだけでも安心した! 実はヒースのことだから無理かもって……レオンを速攻無職にしなくてすみそうね」

「確信なく大口叩いてたのかよ……ヒースはフィオナを見捨てたりしないさ……」

「……ヒースよ?」


 瞳を眇めたフィオナに、レオンは何も言わずため息をついた。

 

「……とにかく資金は出すはずだ。でも無償ではない。間違いなく条件はつく。それも極悪な、な。安心はできないと思っとけ」

「うん……」


 しょんぼりと肩を落としたフィオナを励ますにように、レオンが帳簿をパタリと閉じる。


「……まあ、なんだ……資金調達しなきゃどうやっても無理なんだ。覚悟を決めるしかない。もしかしたらヒースに人の心が芽生えたかもしれないだろ?」

「純真すぎない? いつからそんなに奇跡を信じるようになったの? まあ、それはそれとして……今は土下座でヒースを笑顔にする前に、建て直しの計画を考えるのが最優先よ!」

「そうだな。手ぶらで行けば土下座のし損だ」

「うん。経費削減は私がやるわ。一石二鳥のいい案を思いついたの! レオンには汎用魔術に関わる全般をお願いしていい? その後必要な資金の概算を算出しましょ!」

「了解。俺もちょっと考えた案がある」

「うん、じゃあ、よろしく!」


 早速仕事に取り掛かった二人はあちこち飛び回りながら、立て直し計画の草案作成に走り回った。十日後の中間報告でフィオナは、理論首席の頭脳を思い知ることになった。


「レオン……これ……」


 衝撃に呆然としながら顔を上げたフィオナに、レオンは疲労が浮く顔で頷いた。

 

「……俺なりに考えてみた。多分これが最適解だ……給料分は働かないとだろ?」

「うん……うん! 本当にすごい! さすが理論首席! 魔術核の強化鍛錬カリキュラムだなんて! 真っ先に思いつくべきことだったのに!」


 キラキラと瞳を輝かせたフィオナに、レオンはくまができてる目元を和ませた。

 

「まあ、俺たちにとっては日常になりすぎてたからな」

「うん。でもこれこそアレイスターにしかない強みだわ!」

「汎用魔術の導入を試すにしても、現状ノウハウはない。その上すでに他校に遅れを取ってる。対抗できる水準に達するには、どうしても時間がかかるがそれまで帳簿がとても保ちそうにない……」

「でも魔術核強化鍛錬ならすぐに転用できる! うちの伝統だもの! すぐにでも取り掛かれるわ!」

「汎用魔術は他校で学べても、授業料は割高な上在籍するのは貴族が大半。そう考えると平民が学園への鞍替えするのは敷居が高い。でも魔術核の強化鍛錬なんて、脳筋学園でしか持ちえない強みだ」

「うん! 魔術核強化は敷居の高さを差し引いても有り余るメリットよね! 確実な呼び水になるはずよ! まあ、死ぬほどきついんだけど……」


 学生時代の魔術核強化訓練を思い出して、渋い顔で眉根を寄せたフィオナにレオンも苦笑を返した。

 

「確かにきついが……魔術核の容量の増大と魔力増量は、必ず食いついてもらえる」

「でもレオンの設定する期間だと、強化できても中位魔術一つ分の強化が限界じゃない?」

「それで十分だ。俺たちみたいに、卒業まで長期で限界まで強化する必要はない。重要なのは即効性と確実性だ。できるだけ短期間かつ効率的に。仕事に穴を空けずにすませられる範囲じゃなきゃいけない。平民に時間を持て余してる奴はいないからな」

「そっか……うん、大丈夫! 魔術核強化なら、すでにそれだけのノウハウがあるわ! 設立からの伝統だもの!」


 平民にとって中位魔術一つ分の増量は値千金。それをフィオナも平民街を肌で感じている。レオンのおかげで。フィオナは早速給与以上の仕事してみせた、レオンの心休まる黒髪をニコニコと眺めた。


「レオンを秘書にして本当、よかった! 優秀だし観賞するにも最高だし! ララちゃんに感謝ね!」


 フィオナの報告書を確認しようとしていたレオンが、フィオナの言葉に固まった。


「……は? 何言って……」

「何って褒めてるのよ。レオンは有能で観賞を楽しめるくらい、見た目も良くて最高だって。特にその髪がいいわよね! ツヤツヤでサラサラで、本当に綺麗な黒! 心が洗われるわ! ずっと見てても全く飽きない! むしろずっと見てたいくらい!」


 心の安寧のためにも。にっこり微笑んだフィオナに、レオンが呆然と目を見開く。

 

「……いや、フィオナ……他人の容姿なんか興味もなかっただろ……何を急に……」

「え、何、変? 褒めたんだけど? 私だって綺麗なものは普通に好きよ? レオンのおかげで赤字恐怖症の症状の減って本当に助かってるの。漆黒最高! 本当に本当に心の底からレオンって観賞用にも最高の人材よ!」


 親指を立てて元気に言い切ったフィオナに、レオンはゆっくりと片手で口元を覆い、ぶっきらぼうに顔を逸らした。

 

「そうかよ……俺はてっきり……」

「てっきり?」

「いや……別に……」


 そっけなく言い放ったレオンの耳先が、ちょっと赤くなっていることに気づいて、フィオナは意外さに首を傾げた。


(……もしかして、照れてる? 言われ慣れてるんじゃないの?)


 学園で普通にモテていたはずのレオンが、照れているらしいことにフィオナは首を捻った。

 レオンの言うように容姿に全く興味がなくても、レオンの容貌が整っていることくらいわかる。そして優秀。当然学園時代は、普通にモテていた。ヒースのように取り囲まれて騒がれるのではなく、人目がつかない場所で手紙を渡されているのを何度か目撃もしている。わかりやすいヒースとは、タイプが違うモテ方でも容姿への賛辞は言われ慣れていると思っていたがそんなこともないらしい。


(レオンでも照れたりするのね……)

 

 冷静沈着で皮肉屋なレオンの知らなかった一面に、まだ顔を逸らしながら報告書に目を通すレオンを眺めていると、執務室にノックが響いた。


「フィオナ様、レオン様。お茶をお持ちしました。休憩されてはいかがですか?」


 エディの声にフィオナはパッと顔を輝かせる。フィオナの意識はエディの一声により、一瞬でレオンから甘くて美味しいケーキへと切り替わった。

 

 

 

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