第8話 貴族と平民



「ん? なんだ?」


 気まずそうなフィオナに、レオンが歩調を緩めて視線で先を促す。機嫌の良さそうなレオンに、フィオナはおずおずと疑問を口にした。

 

「……あのさ……もしかして貴族ってさ……嫌われてる……?」

「…………」


 気まずそうに黙り込んだレオンに、もう答えが分かったフィオナはため息を吐き出した。


「やっぱりそうなのね……レオンはずっと貴族だ平民だってうるさかったし、ララちゃんもすごく怯えてた。家名を名乗ったらダニーさんはドン引きだったもんね。でも名前だけ名乗ったおじさんとおばさん、クリーニング店の人は親切だったし……」

「……別にフィオナを嫌ってるわけじゃない。ララは元から人見知りだし、ダニーはフィオナが単なる脳筋だって知らないだけだ。それにアレイスター家は別だよ。尊敬と畏怖の対象だからな」

「慰めありがとう。でもそれってつまりは、貴族は嫌われてるか怯えられるの二択ってことでしょ?」


 眉尻を下げる仕草で認めたレオンに、フィオナは再び大きなため息を吐いた。


「理由は何? 知ってるんでしょ?」


 気を遣ってかちょっと困ったように口を閉じたままのレオンに、フィオナは瞳をグッと強めた。


「気遣ってくれなくていいから教えてよ。学園の立て直しのためにも、知っておかなくちゃいけないことだし……」

「……まぁ、そうだな」


 レオンは短く認めて、表情を改めると淡々と話し出した。


「学園いたザインを覚えてるか?」

「ザインって自分より下位の貴族を脅して、課題をやらせてバレて罰則喰らったザイン? 自分より成績のいい特待生入学の平民に、不正だっていちゃもんつけまくるのが趣味だった奴よね?」


 試験の時期には特に学年首席争い圏内のレオンに、しつこく絡んできていた。嫌な奴を思い出して、フィオナは鼻に皺を寄せる。

 

「そ、そのザイン。平民街にくる貴族の振る舞いは、そのザインと同じって言えば嫌われる理由はわかるか?」

「はぁ? 仮にも貴族を名乗ってるのよ? 家門を背負ってそんなことするわけ……」

「するんだよ。平民街にまでわざわざ来るのは、上位貴族のようにノブレス・オブリージュの精神は持ち合わせていない下位貴族くらいだ。平民が貴族に逆らえないのをいいことに、横柄に振る舞ってストレス発散してるのさ」

「そんな……! それじゃあ、貴族が嫌われるのは当然じゃない!」


 絶句するフィオナを、たどり着いたリンバーク魔術学園横のベンチにレオンが座らせる。


「まあ、落ち着け、フィオナ」

「無理よ! そのバカどものせいで貴族の評判最悪なんでしょ? もし汎用魔術を取り入れたとしても、そのバカどものせいで誰も入学してくれなかったらどうすんの! おのれ、バカ貴族め! 今すぐ治安維持隊に通報してやる! いや、なんなら私が直接……!」

「だから落ち着けって。俺らも別にやられっぱなしなわけじゃない。それに言ったろ? アレイスター家は別格。なんせアレイスター最高位結界術の開発家門だからな。おまけに一族揃って引きこもりで、評判も下がりようもない」

「でも……! そんなバカをいつまでも野放しになんて……!」

「平民の家業はダニーの家や露店のように商売人ばかりじゃないんだ。貴族家門の使用人もたくさんいる。平民だとバカにするような貴族は、見下してる使用人の前だと割とやらかしてるもんだ。結構、何かしら弱みを握られてたりするんだよ」

「それって……」

「やり過ぎれば相応の報復がある」


 ニヤリと笑ったレオンに、フィオナはごくりと唾を飲んで口を閉じた。そして気をつけようと思った。

 メイに起こされた時、布団がはだけてパンツ丸出しの情けない姿だったことは、何度あっただろうか。公開されたら顔を上げて外を歩けない秘密は、誰だって一つや二つ持ち合わせているものだ。


「メイの……お給料を上げた方がいいかしら……?」

「口止め料ならケチらない方がいいと思うぞ?」

「ふふ……そうね。ケチらないことにするわ。逞しいのね」

「そう、平民らしくな」

 

 理不尽な行いをする貴族がいても、どうやらやられっぱなしでいるわけではないらしい。少しホッとしてフィオナは笑った。

 突然やってきた見ず知らずのフィオナに、仕事で忙しくても快く見学を許してくれた。そんな親切な人たちに、理不尽な目に遭っては欲しくない。

 フィオナに訪れた人生最大のピンチを、バイト代もなく助けようとしてくれているのは、彼らと同じ平民のレオンなのだから。そっと隣に座るレオンを伺うと、艶やかな漆黒の髪がさらりと風に揺れている。その心休まる色彩を見つめながら、フィオナは引き寄せられるように問いかけた。


「レオンも……貴族が嫌い?」


 フィオナの問いにレオンが僅かに目を見開くと、自嘲するように口角を上げた。


「……俺はアレイスター学園に通えたからな。そんな貴族ばかりじゃないってわかってる」

「そっか……でも好きでもない、よね? だから王宮付きを断ったの?」


 学園を卒業して再会したレオンは、フィオナを貴族として扱った。その態度は身分の差もなく魔術を志す仲間として、学園という箱庭にいた時とは明らかに温度が違っていた。隔った距離を寂しく感じるほどに。


「そうじゃない……ただ、見たくなかっただけだ」

「何を……?」


 フィオナの問いにレオンは少しだけ笑って見せた。視界に映るレオンらしくない笑みに、フィオナは口をつぐんだ。それ以上はなんとなく聞けなくなって、少しだけ沈黙が流れる。自嘲のようにも見えたレオンの笑み。よく知っているはずのレオンが、今はまるで知らない他人のように感じた。無言の時間が、もどかしさを連れてくる。

 友達なのに何も話してもらえない。卒業して成人しても、ライバルとして学友として過ごした時間が消えるわけではないのに。共に過ごしてきた時間などなかったかのように、レオンが遠く感じるのはなぜだろう。


「……王宮付きを断って、どうするつもりなの?」

「傭兵、かな。国外に出るつもりだ」


 寂しさも入り混じったもどかしさを堪えながら聞いたフィオナは、返ってきた答えに思わず立ち上がった。


「傭、兵……って……なん、でよ! 国外に出るつもりはないって言ってたじゃない!」


 フィオナの知るレオンなら、絶対に選ぶはずのない選択。一気に怒りが湧き上がってきて、フィオナはレオンに詰め寄った。

 傭兵ギルドに所属して、商隊や貴族などの護衛を生業とする傭兵。結界外に行くことになれば、当然魔獣と遭遇し命の危険を伴う仕事だ。その分確かに稼げはする。レオンほどの魔術師なら、すぐにでもギルドランクも駆け上がれるだろう。でもそれだけ危険は増していく。


「お母様は!? お身体が丈夫じゃないんでしょ!? ララちゃんはどうするのよ! まだ未成人の学生なのよ?」

 

 レオンの父は早逝している。残された母親は身体が弱く、まだ幼い妹のララもいる。だからこそレオンは待遇も良く、国内に留まれる王宮付きの魔術研究職を、入学時からずっと目指していた。そのために並々ならぬ努力もしていた。それなのに王宮付きを断り、レオンの中ではありえなかったはずの傭兵になると言っている。一体何がそうさせたのか。


「せめてララちゃんが卒業する成人するまでは、国内に残るべきでしょ!? 王宮付きがいやなら貴族の私設騎士団でもいいじゃない! レオンの実力があれば、どこだって歓迎するはずよ!」


 激昂して声を荒げるフィオナに、レオンは小さく息をつき至極冷静に返事を返した。

 

「……歓迎されなかったぞ? 貴族より戦闘魔術に長けた平民は生意気だってな」

「え……?」

「雇い主よりもアレイスター学園を、優秀な成績で卒業するような平民は生意気なんだと。雇われたいなら開発魔術の権利を主人に捧げ、汎用魔術で魔核を全部埋めてから出直せと言ってたな」 

「……何よ、それ……あり得ないでしょ! アレイスター学園の魔術理論首席卒業者なのよ! 「雷撃」はレオンが開発したのよ? 今の防御魔術じゃ完全に防げない性能よ!? それを……!」


 信じられないと唇を震わせたフィオナに、レオンは肩をすくめて見せた。


実技脳筋首席を吹っ飛ばせる魔術を、平民が刻印してるのは不敬らしい。まあ、そう言われても権利も手放すつもりはない。家計の足しになってるしな。でも元々国内に留まるか迷っていたんだ。それで決心はついた。今刻印している戦闘魔術を汎用魔術で埋め直すより、今の刻印のまま傭兵になる方がよっぽど稼げる」


 なんでもないように話すレオンに、すうっと目の前が暗くなるような気がした。


(だからレオンは……)


 学園時代とは人が変わったように、平民だ貴族だとこだわっていたのだと、フィオナはようやく気が付いた。それと同時に腹が立って仕方なかった。

 レオンにそんなことを言った貴族になのか、なんでもないように話すレオンになのか、それとも何も知らずにいた自分になのか。何に腹が立っているのかはわからない。でも目頭が熱くなるほど、腹が立って腹が立って仕方がなかった。

 俯いて震える手を握り締め、なんとか怒りを堪えながらフィオナは必死に声を絞り出した。

 

「……なら、レオンは私が貰う……!」

「……フィオナ?」

「私がレオンを雇う! その頭脳と才能は私が貰うわ! 無駄なく隅々まできっちり役立ててやる!!」

「フィオナ……お前なに言って……」

「本当ですか!?」


 すっとんきょうな声をあげたレオンを遮るように上がった声に、フィオナが振り返るといつの間にか下校してきたララが、真剣な眼差しをフィオナに向けていた。


「フィオナさんがお兄ちゃんを雇ってくれるんですか? 職種は? 月給はいくらですか? いつから働けますか?」

「お、おい……ララ?」


 呆然とするレオンには見向きもせず、ララはフィオナに詰め寄ってくる。なかなかしっかり者のララに、驚いていたフィオナはすぐにふふんと腕組みをし、ニヤリと笑みを浮かべた。


「当面は私の私設秘書として、学園の立て直しの補佐をしてもらうわ。月給はそうね、破格の二十五ゴールドよ! レオンにはその価値があるしね! 雇用は今この時、この瞬間からよ! ララちゃん、それで構わないかしら?」

「いや……何言ってんだ。俺は構うって……!」

「二十五ゴールド……!! 大丈夫です! フィオナさん、ぜひ、お兄ちゃんをよろしくお願いします!!」


 レオンを無視してララが、キラキラと瞳を輝かせて勢いよく頭を下げた。


「なっ……!! おい、ララ! 俺はやるなんて一言も……」


 勝手に兄の仕事を決めようとしているララに、レオンが慌てて止めだてしようとすると、ララは下げていた頭を上げてレオンにきつく瞳を釣り上げた。


「何がいけないの!? フィオナさんは他の貴族とは違うでしょ! お兄ちゃんだってそう言ってたでしょ! 信用できる人だって!」

「いや、そうだけど……」

「お兄ちゃんだって本当は魔術の研究をしたいんでしょ! 今だってずっと勉強を続けてるじゃない!」

「ララ、俺は……!」

「……お兄ちゃんが本当に傭兵になりたくてなるんなら我慢する……でも違うじゃない! お母さんだって心配してるんだよ? お兄ちゃんまでいなくなったら……私……」

「ララ……」

「お兄ちゃんが危ない目に遭うくらいなら……私、学校なんて行けなくていい……!」


 釣り上げていた瞳から涙を溢し始めたララに、レオンは押し黙りフィオナは腕を組み頷いた。


「……決まりね。レオン、まさかこんなに可愛い妹を泣かせてまで、傭兵になるだなんて駄々を捏ねないわよね? 私の私設秘書としてその頭脳を思う存分役立ててくれるでしょ? 大丈夫、心配しなくても給料以上にこき使ってあげるから」

「いや、バイト代も出せないほど赤字なんだろ? 新たに雇い入れる余裕なんか……」

「ご心配なく。秘書って言ったでしょ? 学園経費では無理でも、アレイスター家でなら雇えるわ。家門の帳簿はまだちゃんと黒字だし!」

「いや、色移り秒読みの泥舟なんだろ?」

「……ど、泥舟だろうが沈ませなければいいのよ! 色移りなんかさせないためにもレオンが必要なのよ。仕事が山積みのアットホームな楽しい職場です!」

「ブラックな職場の常套句じゃねーか……」

「お兄ちゃん……いいでしょ……? 家にいてくれるよね……?」


 ボロボロと涙をこぼしながら必死に見上げてくるララに、レオンが顔を顰めガシガシと髪をかき混ぜた。じっと見つめてくる二人の視線に、やがて諦めたように深くため息を吐いた。


「……ああ、もう、わかった! その泥舟に一緒に乗ればいいんだろ! だからもう泣くな」


 ヤケクソ気味のレオンの返答に、パッと笑みをララと見合わせる。

 

「よっしゃ! 有能秘書ゲット! レオン、早速屋敷に来てよ! すぐにでも正式に契約を交わしましょ!」


 逃げないように一刻も早く契約を交わそうとするフィオナに、ララが嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「フィオナさん! お兄ちゃんをよろしくお願いします」


 キャッキャッと手を繋ぐララとフィオナに、レオンは苦虫を噛み潰したように髪をかき上げた。

 

「結局こうなるのか……」


 小さく呟いたレオンの声に、フィオナが顔を上げる。

 

「何? 何か言った?」

「いや……何も」

「そう……とにかくレオン、一緒に全力で赤字に抗いましょう! ちょっと財政が破綻しそうなくらいなんでもないわ! 私の秘書になったからには一蓮托生だからね! 遠慮なくモリモリ働いてくれていいわよ!」

「はいはい……わかったらからちょっと落ち着けって……」


 レオンの小さな呟きを聞き取るには、フィオナは優秀な秘書ゲットにあまりにも浮かれすぎていた。ご機嫌で馬車に乗り込むフィオナに、レオンは諦め顔でドナドナされたのだった。


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