第7話 生きた汎用魔術

 

 

 目的地を見上げたフィオナは、年季の入った石造りの店舗に首を傾げた。長くここにあるお店なのだろう。長年の風雪に耐えた風格と、親しまれ続けてきた温かみがあった。

 

「クジラ亭……?」

「地元で人気の食堂なんだ。ランチがうまい」

「ランチ……ねえ、レオン、生きた汎用魔術って食堂にあるの?」


 フィオナは改めてクジラ亭を見上げる。通りに面した両手開きの扉の上には、年月を経た木製看板が掲げられている。本日のランチメニューは、オニオンスープと特製ポテトサラダセットらしい。とても美味しそうだが、どう見ても普通に食堂だ。


「そうだ。ほら、いくぞ」

 

 若干不満げな表情のフィオナには構わず、レオンは準備中の札がかかる扉を押してさっさと中に入っていった。慌てて後を追って中に入ると、モップで床掃除をしていた茶髪でそばかすの青年が顔を上げる。


「……ああ、レオン。おはよう。やっと来たか。もう仕込みは始まってるぞ」

「ダニー、準備中に悪いな」

「いいさ。レオンにはいつも世話になってるしな。それでそっちが……?」


 レオンと挨拶を交わしていたダニーの視線を感じ、フィオナは挨拶に備えて急いで軽く髪を整え姿勢を正した。

 

「ダニー、フィオナだ。フィオナ、幼馴染のダニーだ」

「初めまして。フィオナ・アレイスターです」


 レオンの紹介にフィオナはよそ行き用の笑顔で、軽い会釈とともに自己紹介をする。その途端ダニーが飛び上がるようにして後ずさった。驚いて目を丸めるフィオナに、ダニーは青くなって目を見開いている。


「え、嘘だろ……今、ア、アレイスターって……!?」

「あ……」


 レオンはしまったと言いたげに片手で額を押さえ、モップを握りしめて震え出したダニーに執りなすように笑みを浮かべた。

 

「あー……いや、ダニー、すまん、大丈夫だ。フィオナはそういうんじゃない……なんていうか大丈夫なんだ」

「い、いや、そんなこと言っても、アレイスターって……名門貴族じゃないか……」


 ダニーの呟きにオロオロしていたフィオナはようやく、どうやら怯えられているらしいと事態を把握した。ダニーはレオンが貴族を連れてくるとは思っていなかったようだ。拒絶の気配に妙に悲しくなって、肩を落としたフィオナにダニーは慌てて頭を下げてきた。


「あ、あの、申し訳ありません! 俺、知らなくて……!」

「……いえ、こちらこそすいません。急に押しかけて迷惑ですよね。お忙しいのに協力してもらって、ありがとうございます……用事が済んだらすぐに帰るので、私のことは気にしないでください……」


 気分が落ち込んだのを誤魔化すように、フィオナは無理やり笑みを浮かべて見せた。


「えっと……」

 

 口を閉じた途端にしょんぼりと肩を落としたフィオナに、ダニーが驚いたようにレオンを振り返った。レオンはちょっと困ったようにダニーに苦笑を向けて、俯くフィオナを促した。


「……じゃあ、ダニー。邪魔させてもらうな。フィオナ、行こう」

「うん……」


 フィオナはダニーに小さく会釈をして、踵を返したレオンについてトボトボと歩き始める。


「え? 本当に名門貴族家の令嬢……しかも、アレイスター、なんだよな……?」


 その後ろ姿を呆然と見送ったダニーは、二人が厨房に消えると戸惑ったように独り言を呟いた。


※※※※※


「ああ、レオン。おはよう。来たんだね」

 

 奥まったカウンタードアから厨房に入ったレオンに、作業の手を止めた中年の夫婦が振り返って笑みを浮かべる。


「おじさん、おばさん、おはようございます。今日は邪魔させてもらってすいません。えっとこっちは……」


 しょんぼりしていたフィオナは、レオンの肘に突っつかれのそのそと顔を上げる。ニコニコと人の良さそうな夫婦に、フィオナは小さく頭を下げた。


「……フィオナです。今日はお邪魔させてもらってありがとうございます」


 今度は名前だけを名乗ったフィオナに、夫婦がにっこりと笑みを返してくれる。


「こんにちは。驚いたわ! レオンにこんな美人な友達がいるなんてね」

「見学するような大したもんでもないが、ゆっくり見ていくといい」

「はい……ありがとうございます……」


 小さく答えたフィオナに、夫婦は頷くと手なれた様子で作業を再開する。目の前で夫婦が魔術を展開し始めると、フィオナは落ち込んでいたのを忘れ、徐々に瞳を輝かせ始めた。


「うわぁ……! すごい! もしかして「切断」に「条件設定」をつけているんですか?」

「わかるかい? 余計なものまで切らないように「木材」「金属」は除外するように条件をつけてるのよ」


 まな板の上の玉ねぎが「切断」でみじん切りされる過程を、フィオナは嬉しそうに覗き込む。


「切り分けが均一……もしかして範囲を最小化して、コントロールの精度を上げてる……?」

「おや、すごいね。もしかしてレオンと同じ、学園の特待生かい? 風属性を付与すればスピードを上げられるけど、早すぎても使いにくくてね」


 女将の手元を覗き込むフィオナは、今度は大鍋に水を注ぐ主人に視線を向けた。

 主人は魔力を「水」に属性変換し、鍋を水でたっぷりと満たした。水が溜まると今度は指をパチンと鳴らし「火」属性の魔力を発動させる。鳴らした指の幅を広げることで大きくした炎を、鍋下に置き少しだけ指幅を狭めて火勢を調整している。


(ご主人の方は条件設定とコントロール精度は大雑把にして、その分魔力効率を上げてるみたいね……)


 主人の扱う魔術を観察し、フィオナはそう結論づけた。

 女将はその間も食材を切りまくり、大量の食材を「浮遊」させ主人のそばに並べていく。主人は並べられた大量の食材を、炒めたり鍋へと投入し煮込んでいく。役割分担が明確で、作業は見ていて気持ちいほど無駄がない。

 主人が条件をシンプルにし魔力消費が抑え、魔術を長く展開できるようして、女将が精度が必要な魔術を担当し、下準備が終わった後は「浮遊」で配膳も担当するそうだ。

 派手さはなくても用途が明確な機能美を感じる魔術。夢中になって作業を見守るフィオナに、レオンがホッとしたように口元を緩めた。


「見学させてもらってありがとうございました! 今度は食事をさせてもらいにきますね!」


 見学を終えたフィオナとレオンを、夫婦が見送ってくれる。魔術見学の面白さにすっかりご機嫌になったフィオナが、元気よく挨拶をした。

 

「ふふっ……サービスするから、レオンと一緒に食べにおいで」

「はい! レオンの奢りで食べに来ますね!」

「俺に集るなよ……」

「いいじゃないか。美人さんにうちの味をご馳走しておやり」

 

 いやそうに顔を顰めたレオンに、夫婦が笑い出した。一緒に笑いながらフィオナは、ダニーが扉の影からハラハラしたように覗いているのに気がついた。フィオナの視線に気がつくと、ダニーは慌ててまた奥に引っ込んでしまう。結局ダニーには挨拶ができないまま、約一時間ほどの見学を終えてクジラ亭を後にした。

 続けて向かったのは二軒隣のクリーニング店。ここで見学できたのは属性付与効果の可能性だった。魔力に水と火の属性を組み合わせ蒸気にして汚れを浮き上がらせる。水と風で高圧水流を発生させ汚れを洗い流し、風と火で発生させた温風がシワひとつない仕上がりを実現していた。一つ一つは小規模魔術でも、術式は複雑で精密に制御されていた。

 クジラ亭の夫婦と同じく、明確な目的を定めた洗練された魔術。求める結果の違いが、発動する魔術を全く違うものにしている。汎用魔術が多彩なのは知識で理解はしていたが、実際に見て感じると浅い理解でしかなかったことを実感した。

 レオンの言う通り、だった。特異魔術のように発動させる機会がなくても、その魔術を刻印していることこそが重要な魔術ではない。汎用魔術は極限まで研ぎ澄まし、日々活用するために洗練された魔術だった。

 間近で体感しながら理解したフォオナは、見学を終え店を出てからも大興奮だった。


「すごかった! 限界まで不必要を削った魔術って、洗練されていてとても美しいのね! あーー! もっと早く知っていれば、絶対今の刻印魔術の術式にも反映したのに!」

「フィオナは豊富な魔力量に甘えて、魔術の発動が雑すぎる。技術首席を取り逃がした理由が少しは理解できたか? これを機に魔力制御まわりを見直せ」

「さりげなく傷口を抉らないで。見直しはもちろんするつもりよ。でもキースとは比べないでよ! キースの魔力制御は異次元でしょ。魔力でリリアンとか編めるとか変態でしかない!」

「まあ、それはそうだな」


 あっさりと頷いたレオンを、フィオナは腕を組んでむすっと見上げた。

 

「レオンは汎用魔術取り入れて、戦闘魔術の術式を組み上げてたのね。変則的だから戦いにくいのかと思ってたけど、ようやく理解したわ」


 睨み上げたレオンの澄まし顔を、フィオナはむっつりと睨み上げた。

 戦闘魔術は効果や威力を突き詰め、汎用魔術は使用目的を追求して発展する魔術。レオンは両方からいいとこ取りをしていたのだと、汎用魔術を見学してフィオナはようやく気がついた。

 戦闘スタイルが独特なレオンは、かなり強くとても対戦を嫌がられていた。その理由は他の対戦相手と比べ長期戦になって疲れる上に、ものすごくイライラするからだった。フィオナもレオンは苦手な相手だった。

 基本的に戦闘魔術は攻撃の核となる「必殺魔術」をベースに、魔術構成を構築するのがセオリーだ。でもレオンは学生時代と同じ構成のままなら、必殺魔術と呼べる攻撃は刻印していない。その代わり全属性の中位程度の魔術を、複数刻印している。

 相反する属性で必殺魔術の最大の利点を潰して決定打を避けつつ、防御魔術と相性の悪い攻撃魔術でチクチクと攻めてくる。それでも勝つには上位の必殺魔術を放つしかなく、押し切れなければ最終的に中位魔術構成のレオンに魔力切れで敗北することになる。非常にむかつく戦術が持ち味だった。


「もっと早く気づいていれば、卒業試合であそこまでコテンパンにされなかったのに……!」


 ぐぬぬと拳を握るフィオナに、レオンはふふんと鼻を鳴らした。

 

「いや、フィオナがボロ負けしたのは防御を全捨てしたからだろ。防御を全捨ての脳筋相手に、負ける方が難しいって」

「蒸し返さないで……!」

「はいはい。ああ、こんな時間か。なあ、フィオナ。このままララの迎えに行ってもいいか?」

「あ、うん。もちろん」

「じゃあ、こっちだ」


 頷いたフィオナにレオンはリンバーグ魔術学校へと足を向ける。そのまま訪れた沈黙にフィオナはしばらく黙って歩きながら、そっと隣のレオンを見上げた。


「あのさ……レオン。聞いてもいい?」

 

 フィオナは聞こうとすることの内容の気まずさに、つま先に視線を落としながらずっと心に小さく蟠っていた疑問を口にした。


 

 

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