第6話 平民街



 翌日、フィオナは張り切って、レオンとの待ち合わせ場所に向かっていった。

 侍女か護衛の同伴をとエディに粘られたが、レオンがいれば迷子の心配はない。そしてフィオナは護衛より強い。なので自由に動き回るために、護衛もドレスも断った。

 服装も着慣れたパンツスタイルとローブを選んだが、メイは全くお気に召さなかったようだ。そのため一切笑みのない真顔での、お見送りとなったが、あまり気にしないことにした。

 待ち合わせ時間の少し前に、昨日のカフェに到着すると、レオンはすでに待ってくれていた。


「レオン! 待たせたよね? ごめん!」


 慌てて駆け寄ったフィオナに、レオンは軽く手を上げてそのままスタスタと歩き出した。

 

「時間前だ。別に大して待ってもない。行くぞ」


 そっけなく返事をしたレオンを慌てて追いながら、見上げる位置にある形のいい後頭部を見上げた。美しく心安らぐ漆黒は、心地よい風に今日も優雅に靡いている。本当にいい色だ。

 

「ねえ、レオン、どこに行く予定なの?」

「脳筋には理論より実践。汎用魔術は、あるんだよ」


 そう話す間にも長い足で歩くレオンに、フィオナは小走りについていきながらあたりをキョロキョロと見回した。


「平民街ってすごく賑やかなのね」


 昨日は見回す余裕もなかった平民街は、人々が忙しなく行き交い活気に溢れている。その活気に釣られてフィオナも、だんだんと浮き足立つの感じた。

 

「貴族街に比べれば騒がしいかもな。ってちゃんと前を向いて歩けよ」

「あ、ごめん。見たことがないものがたくさんで……あ! 露店が出てる! ねえ、あれはなんのお店なの?」


 物珍しさによそ見ばかりするフィオナに、レオンは呆れたようにため息をついた。


「露店見学はなしだ。今日の目的を忘れてないか? 魔術研究で引きこもってないで、たまには外出ろよ」

「貴族街にはたまに行くわよ。平民街は初めてだから気になって……」

「そりゃ、平民街には用事も興味もなかっただろうからな」


 少しだけ皮肉めいて聞こえたレオンの声に、何となく素直に頷くのは躊躇われた。確かに研究の合間のたまの外出は貴族街。平民街には来たことも来る用事も思いつかない。でも、

 

「……私は平民街の方が好き、かも」


 貴族街では眉を顰められるパンツスタイルでも、誰もヒソヒソと額を寄せ合い忍び笑いをしたりしない。忙しそうな彼らはこちらを気にもしていないから。

 元気に呼び込みする露店には所狭しと色とりどりのフルーツが並べられ、奇妙な雑貨をのんびりと店頭に並べる主人の後ろを、子供達がはしゃぎ声を上げながら駆け抜けていく。前を見ずに走っていく子供達から、花をいけた木桶を庇いながらご婦人が子供達の背中に叱り声を響かせた。

 そんな平民街を改めて見回して、フィオナは吸い込んだ息で胸を膨らませながら頷いた。


「うん! やっぱり私は貴族街より、賑やかな平民街の方が好き! ドレスに着替え忘れてても誰も気にしないなんて最高だもん!」

「それが理由かよ……まあ、脳筋フィオナはそうかもな」


 フィオナの返事に呆れたように同意したレオンだったが、もうその声に皮肉めいた響きは消えていた。なぜだかそれが嬉しくて、笑みを浮かべかけたフィオナは、すれ違った男に足を止めて振り返った。右肩に大きな木箱を四つも背負って歩く男は、そのままのしのしと歩いて行ってしまう。


「……ねえ、レオン。あの人が発動してるの強化魔術、よね?」 

「ん? ああ、そうだな。強化魔術だな」

「でもなんか違和感が……」

「限定展開だからだろ。普通強化魔術は全身発動だから、違和感があるんだろ。多分下半身と右半身だけに展開してる」

「限定展開? 強化魔術で? 確かに右だけで荷物持ってるけど……でもなんでそんなことを……全身展開すればいいのに……」

「魔力量が足りてないんだろ。左半身に発動しないなら、その分魔力を節約できるからな」

「魔力の節約をしたいなら、中途半端に強化魔術を発動するよりいっそ「浮遊」を習得すれば、もっと荷物を運べるんじゃない?」

「いや、よく見てみろ。装備が傭兵だろ? 荷運びは臨時の仕事で、本職は傭兵なんだと思うぞ」

「本当だ……傭兵装備だ」


 言われてみれば肩、腰、膝に年季の入ったアーマーを装着している。


「強化魔術なら荷物にも魔獣討伐でも使えるが、浮遊は荷物は運べても魔獣討伐はできない」

「あ、そっか……それで……強化魔術の限定展開なんて考えたこともなかった……」

「強化箇所を限定をする意味はないからな。魔力が足りるなら普通は全身展開する。だが強化魔術は刻印容量はそこまでじゃなくても、魔力の消費は大きいだろ?」

「それで限定してるってこと?」

「そ。できるだけ魔力消費を抑えて、長時間展開をするための苦肉の策だな。魔獣相手に生存率が高いのは、短時間の爆発力より長時間の耐久力だし」

「そっか、そうね……確かにそうだわ。傭兵との兼業だから強化魔術で、生存率を高めるのが目的だから限定展開で魔力を節約……そっか……すごく考えて習得してるんだ……」

「フィオナは刻印容量も魔力量もやたらと多いからな、そこまで深刻に厳選することはないだろ?」

「うん……」


 だからちゃんと理解できてなかった。刻印容量と魔力消費量の確保がどれだけ大事かを。


「平民の刻印容量の平均は、せいぜい中位魔術式が二、三式ってところだ。無理に刻印したとしても、今度は魔力量が足りなくなる」

「そうなのね……」


 こくりとフィオナは頷いて、再び歩き出しながら低く唸った。刻印容量も魔力量も比較的多い貴族に囲まれていたからこそ、気づいていなかった現実。


『習得できる魔術は限りがある。魔術核への刻印容量が少ない平民なら、なんの魔術を習得するかで人生が左右される。貴族よりはよっぽど慎重に、習得する魔術を厳選するんだよ。魔術刻印された魔石は、平民にはそうそう手が出ないから』


 昨日、知識として理解したつもりだったレオンの言葉に、今更ながら実感が伴った。戦闘魔術が必須ではなくなったからこそ、求められる魔術は変化している。それは平民だけでなく、貴族にとってもだ。


「……万人のための学園で在るためには、学園は本当はもっと前に変わらなきゃダメだったのね……私、本当に何もわかってなかった……」

「フィオナ……まあ、あれだ。理解できたなら今から始めれば……」


 俯くフィオナにレオンが慰めるようにかけた声を、遮るようにガバリとフィオナが勢いよく顔を上げた。


「でも今、完っっ璧に理解したわ! 目指すべきは低コスト低容量ってことね! それでいて高性能! 学園は今後はその方向に爆進することにするわ!」


 キラキラを通り越して、ギラギラと瞳を輝かせ始めたフィオナに、レオンは冷静に肩を竦めた。


「……それでこそフィオナだな。まあ、やる気なのは結構だが、いいのか? 無駄が大好きな貴族には、低コスト低容量は受けが悪いぞ?」

「それが何? 貴族より平民の方が、圧倒的に多いのよ? つまり今後取り込むべきは貴族より平民出身の魔術師! 需要の多い方に寄せていくのは、経営の基本よ!」

「いや、まあそれはそうだけど……名門学園としての権威とか伝統とか、な?」

「うちは万人のための魔術学園なんで!」


 きっぱりと言い放ったフィオナに、レオンが目を丸くしてプッと噴き出した。


「ははっ。まあ、立て直すためにはそれが正解だろうな。でもフィオナだって貴族だろ? もうちょっと貴族らしく威厳とか面子とか、気にした方がいいんじゃないか? それでも本当に貴族かよ」

「れっきとした貴族よ! でも貴族だろうが魔力量と刻印容量には限界があるじゃない。効率より見栄が大事なら無駄にド派手な、古臭い術式をドヤ顔で使い続ければいいのよ」


 つんと顎を逸らすフィオナに、レオンがおかしそうに笑う。フィオナは眉根を寄せながら、笑い続けるレオンにはっきりと言っておくことにした。

 

「レオン。この際だから言っておくわ。なんかずっと、やたら貴族だ平民だって口にするけど、私は魔術師だからね?」


 笑っていたレオンが口を閉じ、真顔をフィオナに振り向けた。フィオナは顎を逸らしてふふんと鼻を鳴らす。

 

「女だとか貴族だとかの前に、私は魔術師だから。魔術師に性別も生まれも面子も威厳も一才関係ないわ。関係あるのは実力。その一点のみ! だからいちいち貴族だとか平民だとか持ち出さないでくれない?」


 高らかに宣言してみせた得意顔のフィオナを、レオンがマジマジと見つめてくる。そんなレオンにわかったか? と鼻息を吹き出して見せると、呆れたような気が抜けたような表情を浮かべ小さく口角を上げた。 


「……そうだな。フィオナは貴族の前に完全なる脳筋魔術師だったな。卒業したのに全く変わってなくてびっくりだよ。成人した名門アレイスターの息女だからって、敬意を払ってたのは無駄だったみたいだな」

「……敬意って、払ってた? 覚えがないんだけど?」

「フィオナはフィオナ。他の貴族とは違うのにな……悪かったよ。これからは俺より魔術理論がしょぼい、一人の魔術師として接することにする」

「待って? しょぼくはないわ。レオンが出来すぎるだけで、私、別にしょぼくない。それに実技なら私の方が断然上だし……」

「ああ、そうだな。確かに頭脳理論では余裕で勝てても、単純にぶっ放す魔力量の出力では脳筋実技には勝てない。ちゃんとわかってる」

「え……あ、うん……うん?」


 微妙な表情で首を傾げながら、フィオナは今ここで確実に訂正しておかなくてはならないことを言葉にしようとした。


「あ、フィオナ、ついたぞ。ここだ」


 だが言葉にする前にどうやら目的地にたどり着いてしまい、結局訂正することは叶わなかった。


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